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感想レポート
受講生の感想レポート

人生で一番の衝撃を受けて。あの人に、感謝のⅠメッセージを届けたい!

東京校  柳澤 孝彦さん(30歳 男性)


<体験ゼミでの衝撃>

初めて観た衛藤先生のライブは「人生で一番の衝撃」でした。

体験ゼミでの衛藤先生の一つ一つの話、一つ一つの言葉に込められている気持ちが自分の心に大きくぶつかって揺さぶられ、ずっと目を閉じていたのが開いたと感じる時でした。

体験ゼミが終わった直後の僕はしばらく言葉を発することができず呆然としていました。
今まで観てきた映画やライブコンサートやミュージカルとは違う、心に響く感動を初めて受け、手に汗握った手元の基礎コース前編の申込み用紙に、迷わず書いている自分がいました。

欲しい物は過去にたくさんありましたが物以外でこんなにも強く自分に与えたいと思ったのも初めてで、衛藤先生からのマインドをもっともっと自分の心に響かせたい、心理学とはどんなものなのか知りたい。

衛藤先生のような魅力のある人になりたい、そして自分の心に響いたように自分にも人の心に響かせることができる人になりたいと・・・・・。

自分が人生の中で成長できることがあると空を見上げながら帰り道を歩いていたことを今でも昨日のように思います。

<自己開示・Ⅰメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)>

僕は美容師を10年やってきて今も仕事の一つとしてやっていますが、3年前こんなことがありました。

7年間、大好きで働いていたお店を突然やめてサラリーマンになるという、普通ではあまり考えないような行動をとりました。

なぜ、いきなりそんなことをしたかと言うとアシスタントの下積みを終えスタイリストになり数年、お客様も多くなり順調な日々。

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「ママは私のこと好きじゃないんだよね」娘の微笑みと、心の傷。

東京校  朝貝 智香さん(35歳 女性)


《I love you, because you are you.》
一見簡単な言葉ですが、この言葉のように私が長女をありのまま愛せるようになるには随分長い時間がかかりました。
私は結婚2年目に主人の仕事の関係でイギリスのバーミンガムに引越しました。その時、妊娠7か月。出産については「どうにかなる」と気楽に考えていました。実際、安産で長女が生まれ、日本から持って行った育児書を読みながら子育てを始めました。
イギリス駐在は突然決まり、主人は先に1人で渡英しました。いきなり別居生活が始まり、私は実家やイギリスに送る荷物をまとめました。
出産後は長女が病気で入院したり、授乳で睡眠時間が減ったり、寝不足から主人とケンカすることが増えたりと生活が一変しました。そして、しっかり鬱になってしまいました。
長女の泣き声が嫌で嫌で、キッチンに1人逃げ込んで耳を塞いでいたこともあります。日曜日の昼間、主人が長女を抱っこしたままソファで眠ってしまうと、自分の居場所がなくなった気がして、家を出て公園のベンチで泣き、夕方私がいないことに気づいた主人が車で捜しに来たこともあります。

私の住んだ町には日本人が1人もいませんでした。主人は会社で唯一の日本人だったので、仕事で遠方に住む日本人と会うことはあっても、近所に住んでいる日本人の知り合いは誰もいませんでした。私が日本語で愚痴を言える相手は主人だけだったのです。けれど、慣れないイギリスでの仕事に精一杯の主人は、毎日毎日繰り返される私の不平、不満、ため息を1人では受け止めきれず、「もうやめてくれ!」と声を荒げて拒みました。それは仕方のないことでした。でも自分の言葉で悩みや愚痴を言える相手がいないのはとても辛く、「日本で子育てしていたら、こんなことにはなっていなかったはずなのに」と後ろ向きな思いばかり浮かびました。

自分が産んだ娘をかわいいと思えず、「この子がいなかったら…」と思うこともありました。もちろん、常に後ろ向きなことを考えていたわけではなく、週末に家族でドライブすれば楽しい気持ちになるし、お買い物をすれば笑顔になりました。そして週末が終わり、長女と自分2人きりの時間が多くなると、また鬱が強まるのです。
私の鬱の度合いが強いことを心配し、イギリス人のカウンセラーが近所に住む日本人を探し始めました。そして幸いにも、隣町に日本人のコミュニティーがあることがわかり、少しずつ日本人の友達ができ始めました。

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気持ちの変化を見ようとするのが心理学なんだ

東京校  佐々木 雅明さん(37歳 男性)


このセミナーを初めて受講したのは5年前です。
基礎コースに進む事に決めた理由は体験ゼミの中で衛藤先生が、
「相手の為相手の為と言っている人は自分の為自分の為と言っているようにしか聴こえない」と言う言葉が頭から離れなかったのです。
「あなたの為にやってあげる」「あなたの為を想って・・・」
自分もよく使う言葉でした。
衛藤先生の言葉の真意が知りたいと思い、基礎コースの前編に進もうと思いました。

セミナーの内容はとても楽しく4回のセミナーはすぐに終わってしまいました。その中でも印象に残ったのは前編4回目の講座で行ったライフライン(自分の人生を1本の線であらわすワーク)でした。過去にいろんな辛い事や悩みがあったけど今こうして生きているし、この場所にいるし、これから辛い事や悩みがあってもきっと乗り越えて行けるって思う事ができました。
ただ、衛藤先生の言葉の真意はわからないままでした。

それから、しばらく経って今の奥さんと出会い、メンタルヘルスで得た自分の出来る限りの知識を駆使して、見事結婚する事ができました。(笑)

いつからか自分達の目標は家を買うことというのが出来ていて、奥さんも働くのが当たり前の状態が続いていました。私は出張でほぼ家にいることはなく、一緒にいるのは日曜日だけで、休みの日は家でゆっくりしていたいし、家に帰っても奥さんの話はテレビを見ながら、インターネットをしながらなど、奥さんの顔を見て話す事がその時はなかったかもしれません。

いつからか覚えていませんが、妻の行動がおかしくなってきました。

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娘の話を否定せず、心を汲んで傾聴してみて

大阪校  林谷 拓哉さん(47歳 男性)


私が初めてメンタルに行き始めたのは、娘が不登校になったことで、親としての責任を感じたことと、経営者としてこれまでの自分を見直すこと、そして自分を変えていかなくてはと思ったからです。

娘は、不登校だった中学生時代に友人関係で悩み、中学校へはほとんど行けない状態でした。
当初、私たち親に言っていた学校に行けない理由は、みんなが自分のことを仲間はずれにしてクラスに自分の居場所がないということでした。
どうして、うちの子を!という思いでした。
正直、腹が立ちました。ぶつけるところがなくて、私自身も苦しかったです。

そして娘にいろんな提案をしました。
そんなに今行っている学校がいやだったら、転校しては?私立の中学校は?フリースクールに行ってみては?と、しかしどれも絶対にイヤ!と言うのです。

私は目の前が真っ暗になりました。娘の将来はどうなるのだろうって!

その時にメンタルを知り、私は講座で学び、少し遅れてある時期から娘もメンタルのカウンセリングを受けることになり、親子共々メンタルにお世話になることになりました。

不登校になった初めの頃の娘はいつもふさぎこんで、話しかけても暗い表情でした。自殺しないかと気が気でなかった時期もありました。
その娘がメンタルのカウンセリングを受けるようになってからは少しずつでしたが、明るさを取り戻し、いろんなことを私たち親に話してくれるようになりました。

ある日、夜中に娘と二人で話をしていると、仲間はずれになった原因は自分にあったということを私に話してくれました。
その原因というのは、ある友達に対して自分を含めた数人で、仲間はずれにしていた。それで最終的には、自分がターゲットになったことを打ち明けてくれました。
それまで、他人に対して自分がしたことが、こんなにも辛く悲しいこととわかり、自分を責めてとても苦しんでいたようです。

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「ママ、“心に虹を”だよ。」と笑顔の娘。見上げる空は、広くて青い─

東京校  立花 典子さん(35歳 女性)


体験ゼミナールで衛藤先生がおっしゃっていました、「笑う門には福来る」と。私はこの言葉で日本メンタルヘルス協会で学びたいと思いました。何故かというと、それは私の夫がよく口にしていたからです。そして私が落ち込んでいたときに励まし、慰めてくれたのです。

その励ましと慰めをなくした時、私はうつ病とパニック障害になりました。ご縁があって日本メンタルヘルス協会を知ることができ、体験から基礎コースを今学び終えようとしています。講座を受けてみて、久々に笑顔になれたように思います。胸にズン…と響くようなショックも受けましたが、ショックを受けた部分とは、心の奥底でわかっているけれど向き合いたくないという気持ちが蓋をして、今でもしこりとなって残っている部分だと思います。でもその蓋を開けた時、今までの自分を振り返りながらその時々の悩みや殻に閉じこもっていた気持ちが整理されていくようでした。

私は、小学校2年生くらいの時、学校の健診で左耳が難聴であることがわかりました。片方が聞こえていたので、テレビを見て笑ったり、日常にさほど困難な様子を見せていなかったので、両親は驚いたのでしょう、大学病院から鍼灸治療の名医といわれる先生や様々な所へ私を連れて行きました。でも「諦めてください」という結果でした。

中学へ行くまで私は左耳が聞こえないことや両親がなぜあちこちの医者に相談するのかよくわかりませんでした。きっと不自由さが当たり前だったからです。そして、中学へ入学してから孤独感をあじわうようになってきたことに気付きました。あとで友人が教えてくれましたがクラスメートから呼んでも知らんぷりしている、お高くとまってるいんじゃないかなど思われていたそうです。クラスの皆の輪から外れてしまっている自分がいました。

右耳も音はわかっても言葉がよくわからないという状態になってしまった時期もありました。皆にわかってもらえなくてもいいと意固地になり、それから人間関係に積極的ではなくなりました。社会人になっても、表面的な付き合いはしましたが、やはり一人で趣味を見つけてあちこち出掛けたりと、一人の方が楽だったのです。負けん気が強く、その分仕事は人一倍頑張り、それなりに評価してもらえました。その頃は楽しかったし、生き生きしていました。でも、本当はすごく寂しかった…それをかき消すように仕事をし、自分が周囲に認めてもらえることで皆と同じ場所にいられると考えていたのだと思います。

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