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大阪校 小川 圭子さん(40歳 女性)
私が初めて日本メンタルヘルス協会というものの存在を知ったのは 2008年 5月頃でした。 受講生である先輩が、体験講座を紹介して下さったのがきっかけです。体験講座を受講して感じたのが、笑いあり、涙あり、感動ありの、ジェットコースターに乗っているかの様な心の変化に動かされる楽しさと爽快感でした。
「吉本風心理学」というほどに、みんなでワイワイ楽しく笑いながらも、人生や人間の心の深い部分に触れるというメリハリのある奥探い講座に、どんどん魅了されていきました。
私は人に、自分の欠点や失敗、過去の挫折感や辛い体験などについて話す事はあまりなく、それらは心の奥にしまいこみ、気持ちの上ではなかった事にしてしまっていました。
「言いたくないことは、言いたくない。これでいいんだ」と自分に言い聞かせてはみるものの、すべてをさらけ出す勇気が持てない自分に、偽りの気持ちと、なんだか後ろめたい、自己不信の気持ちをいだいていまいた。
過去の挫折感やつらい体験を信頼できる人に話し、傾聴し、共感してもらえたとしたら、どんなに楽になるだろう・・・。 本当に自分らしく、ありのままの自分を信じて堂々と生きていく事ができれば、どんなに素晴らしいんだろう・・・。
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名古屋校 櫻井 清美さん(47歳 女性)
「人は泣きながら生まれて、笑いながら死んでいく。」
この言葉は私が日本メンタルヘルス協会で最初に出会った言葉で、耳にしたと同時に涙がこみ上げてきました。 「本当だ。その通りだ。」 亡くなった父の事が、頭にそして私の心に鮮明に浮かびました。
7年前、私の尊敬する大好きだった父が、5年間の闘病生活の末、ガンで亡くなりました。父はスポーツマンで、私が物心ついた頃から、野球部の監督・ソフトボール部のコーチなどをしており、周りのたくさんの人達からも信頼・尊敬されていました。 私はそんな父が自慢でもあり、亡くなった今でも尊敬の気持ちが変わることはありません。 「できる事なら・・・お父さん!生き返って!」と何度も願う事があります。 それは、父が娘の私に無条件の愛を注いでくれたからだと思います。 まさに、「 I love you because you are you (私はあなたを愛しています。なぜならば、あなたはあなた自身だから)」 この言葉を日本メンタルヘルス協会の講座で聞いたとき、ハッとしました。 父は私にこの言葉を教えてくれた人だと思いました。
私は父の口からマイナスな言葉を聞いた事がありません。 いつも明るく冗談を言っては周囲を笑わせて、私が悩んでいる時は何も口出しする事なく、ちゃんと話を聞いて見守ってくれていました。 今になって思えば、父は私の心の癒しであり、心理カウンセラーだったのです。 そんな父も病状が悪くなり、亡くなる3日前には、「もう1年だけ生きたかった。」と初めて私に涙を見せました。 父の弱った姿を見たのは、それが最初で最後でした。 その翌日の夜、突然私の携帯が鳴りました。父からでした。 「清美か?お父さんだよ。いつもありがとうな。お父さんはもう大丈夫だからな。心配かけて悪かったなぁ。」
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福岡校 小田 一人さん(45歳 男性)
私は、日本メンタルヘルス協会の講座に通い始めてから、両親との関係、妻との関係、子どもとの関係を見つめなおすことが出来ました。
私は高校を卒業したのち、コンピュータの専門学校に進みました。中学や高校の先生からは大学へ行き教師になれと勧められましたが、大学で学びたいことがありませんでした。そして、当時私は大人に対して不信感が強く、大人の言うことを信じられなくなっていました。「いい大学へ行って、いい会社へ就職して」言われれば言われるほど頑なに拒んで行きました。早く働いて、お金を貯めて家を出たいと考えていました。
コンピュータは、それほど好きではありませんでしたが、就職率がよさそうなので選びました。就職した当時、自分のやりたいことが見つからずに毎日モヤモヤしていたのですが、ちょうどテレビで観たグランドキャニオンに強い憧れを持ち、実際に自分の目で確かめたいと思ったので、それからはお金を貯めてアメリカへ行く計画を立てていました。
しかし、私が就職して働きはじめると両親は離婚をしました。私が高校生の頃から、父と母はうまくいっておらず、母は、時々家出をしていたので、離婚は時間の問題でした。私は、母と一緒に暮らすことになりました。母は、体調がいい時は知人の仕事の手伝いをしていました。
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母に贈るレクイエム と、「先生のクラスになれてよかった!」という生徒からの数々のメッセージ |
東京校 小池 由季子さん(30歳 女性)
私は高校で国語の教員をしています。かわいい生徒たちと優しい同僚に囲まれ、毎日楽しく仕事をしています。 学校の先生になりたいというのは、私が物心つくかつかないかの頃からの夢でした。学校の先生方の姿を見て、「私もああなりたい」「私だったらこんなことをしてみたい」と考えることが、気付いたら癖になっていたのです。長年の夢がかなって今の学校にお勤めできることになり、初めて出勤した日には、嬉しさのあまり、電車の中で涙がとまらなくなったほどでした。 採用されたばかりの私は22歳。夢と希望に満ちあふれ、学校のため、生徒のためと、毎日がむしゃらに仕事に励んでいました。生徒からも、歳が近くて相談しやすいからと、ベテランの先生方には相談しにくいことを相談されたり、一緒に問題を解決したりして、生徒の役に立てていることを嬉しく思っていました。
しかし、新人と呼ばれるような頃を過ぎ、一人で担任を持つようになってしばらく経って、ふと考えてみると、自分に個人的な相談に来てくれる生徒がほとんどいなくなっていることに気付きました。学校の体制が変わり、全体がにわかに忙しくなるとともに、年数を重ねるごとに増えていく責任の重い仕事に振り回される毎日。以前は生徒に声をかけられるとあんなに嬉しかったのに、今では、忙しい時に執拗に声をかけられるとついイライラしてしまう。自分のクラスの生徒のことで他の先生からご注意を受けると、「どうしてちゃんとできないの!」と本人を必要以上に叱ってしまう。そんな先生に、誰が相談したいなんて思うでしょうか。いつしか、自分は教師に向いていないのではないか、辞めて別の仕事をした方がいいのではないか、とさえ思うようになりました。
そんな時です。
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「離別感」を持ち人を尊重する考え方へ~母に「殺して」と言われた過去を振り返って |
東京校 遠藤 カンナさん(35歳 女性)
年の初めに、その年の“目標”を手帳に書くようになって、3年。
今年の手帳に大きく書かれた文字は・・・『離別感』
昨年末、衛藤先生の『心時代の夜明け』に出会い、貪るように読み進め、気がつけば 今までずっと抱え続けてきた胸のしこりが一気にスッーと軽くなっていった感覚・・・ でも、同時に何かもっと深いところのモヤモヤ感を刺激された感覚を今でも覚えています。 何故、私が『離別感』を今年のテーマに掲げたのか?
その理由を遡ると、8年前の母の大手術がきっかけなのかもしれないし さらに遡り、24年前の母からの“告白”がきっかけになっているのかもしれないし いずれにしても、私が何かあるごとに躓き、何かあるごとにその要因を突き詰めると 相手に対して“母子一体感”(子どもが、お母さんは何も言わなくても自分のことを分かってくれ、思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘え・依存心のこと)を持っていることが原因の一つではないだろうか?と思ったのでした。 そして、その問題の大きな根っこにあるのは“母子一体感”の名のとおり “母”との関係にあるのだと・・・。
『私は母のことが大好きです。ひとりの女性として尊敬しています。 そして、私とは違う個性を持ったひとりの人間として、母らしい個性があり可愛い魅力的な人だと思います。』 心理学を学んだ今は、こう言えます。 でも、学ぶ前までの私は 『私は“母”のことが大好きです。尊敬はしているけど、時にどうしようも無い位情けなくなります。“母”を馬鹿にしてしまう自分がいます。だって、私のほうが正しいから・・・』と。
私の母は、私が15歳の時に髄膜腫という脳腫瘍の病気を患いました。 それから約20年の間に3度の大手術をしています。 手術のたびに、歳を重ねると共に、母は“母”ではなくなっていくように私には思えました。 母は昔から明るく行動的で、社交的で常に前向きで、可愛らしい女性性を兼ね備えた、出会った人すべてを魅了するような人でした。
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