「離別感」を持ち人を尊重する考え方へ~母に「殺して」と言われた過去を振り返って |
東京校 遠藤 カンナさん(35歳 女性)
年の初めに、その年の“目標”を手帳に書くようになって、3年。
今年の手帳に大きく書かれた文字は・・・『離別感』
昨年末、衛藤先生の『心時代の夜明け』に出会い、貪るように読み進め、気がつけば 今までずっと抱え続けてきた胸のしこりが一気にスッーと軽くなっていった感覚・・・ でも、同時に何かもっと深いところのモヤモヤ感を刺激された感覚を今でも覚えています。 何故、私が『離別感』を今年のテーマに掲げたのか?
その理由を遡ると、8年前の母の大手術がきっかけなのかもしれないし さらに遡り、24年前の母からの“告白”がきっかけになっているのかもしれないし いずれにしても、私が何かあるごとに躓き、何かあるごとにその要因を突き詰めると 相手に対して“母子一体感”(子どもが、お母さんは何も言わなくても自分のことを分かってくれ、思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘え・依存心のこと)を持っていることが原因の一つではないだろうか?と思ったのでした。 そして、その問題の大きな根っこにあるのは“母子一体感”の名のとおり “母”との関係にあるのだと・・・。
『私は母のことが大好きです。ひとりの女性として尊敬しています。 そして、私とは違う個性を持ったひとりの人間として、母らしい個性があり可愛い魅力的な人だと思います。』 心理学を学んだ今は、こう言えます。 でも、学ぶ前までの私は 『私は“母”のことが大好きです。尊敬はしているけど、時にどうしようも無い位情けなくなります。“母”を馬鹿にしてしまう自分がいます。だって、私のほうが正しいから・・・』と。
私の母は、私が15歳の時に髄膜腫という脳腫瘍の病気を患いました。 それから約20年の間に3度の大手術をしています。 手術のたびに、歳を重ねると共に、母は“母”ではなくなっていくように私には思えました。 母は昔から明るく行動的で、社交的で常に前向きで、可愛らしい女性性を兼ね備えた、出会った人すべてを魅了するような人でした。
そんな母に幼い頃から言われていた言葉が「心に思い描いたことは必ず実現するから、常にいい事を思い浮かべなさい!」と。 今思うと、まるで“無意識の作用”について母が勉強していたかのような、素晴らしい教えを私に授けてくれたと感謝しています。
私にとってはスーパーマンのような自慢の母が大きく変わったのは、“もうここで手術しなければ助からない”と言われた8年前の3度目の手術の時でした。 手術の後遺症で、顔面半分が歪み、目は兎眼になり口からは涎が垂れるなど身体的な症状が出てしまったのです。(目は回復していませんが、他は今では元に戻りました)
自分の姿を見た母は驚愕し、そしてそこから後遺症は身体的症状だけでなく “精神的な症状”が出るようになったのです。
自分の顔を恨み、手術を勧めた家族を恨み、イライラ、愚痴、全てのモノゴトに対してマイナス感情を抱き・・・そしてほとんどの矛先は娘である私に向けられました。 ある日は、こんな状態なら生きていないほうがマシだと叫び、紐を持ってきて私に殺せとまで言われました。 母親に“自分を殺してほしい”と言われた娘の気持ちは、恐らくその時の母には全くわからなかったことでしょう。
当時私は会社でキャリアを積み、マネージャー候補として日々頑張っている中、“母親の入院に娘が戻るのは当然”という母の要望のもと休職し、帰省しました。退院後も“今の状況で娘がそばにいて痛みを分かちあうのが当たり前”という母の要望のもと、会社を退職し実家に帰省していました。
私の中では躊躇したのも事実ではありますが、最終的には自分の意思で帰省したものの、その思いはいつしか「・・・・・してあげたのに」、「休職したおかげで自分のキャリアを捨てることになり、犠牲になってあげたのに」という思いに変わっていきました。
その頃からでしょうか。小学生時代のことを思い出すようになったのは。 朝起きて、学校へ行く支度をしているとき、母がこう言ったのです。 「もうおじいちゃんとのゴタゴタは嫌だ。もしパパと離婚したらどっちにつく?」と。
何故、この人はまだ小学生の幼い私に、あんな事を問うてきたのだろう? なぜお兄ちゃんには聞かないんだろう? なぜ私にいつもおじいちゃんとのいざこざを愚痴ったりするのだろう?
なぜ子どもである私に、いつも大人の事情を対等に話してくるのだろう? そして、今も尚・・・なぜ私にばかり“求めて”くるのだろう?と。
そんな疑問で頭が一杯になった私は母に昔のことも含め聞きました。 すると母は、「娘だからいいじゃない」 と。 この人は、私という人間を“ 自分の所有物”だと思っているのか? 娘だったら何を言っても、相手がどう思うのか構わないのか? なんてレベルの低い人間なのだろうと、母親として“あるべき姿”がこの人には欠落している。 そこには母を見下している自分が居ました。 病気前に母が沢山与えてくれた愛情や、沢山のすばらしい教えや、子どもや家族のために身を粉にして日々を送ってきた母の姿を全て忘れ・・・
一旦そう思ってしまうと、母の行動・言動全てが幼稚に見え、“人として間違っている”ように見えてしょうがなくなってきたのでした。
3度目の手術から1年後。私は東京へ戻り仕事を再開するようになりましたが 母から弱音や愚痴の電話がかかってくるたびに、最後は喧嘩。 母は毎度のように「娘だから、こういう事言えるんじゃない!娘なら聞いてくれていいじゃない!」と。それに対して私の口癖は 「私が言うことは正しいんだから、私の言うとおりにしておけば絶対間違いない。心を強く、前向きになってよ!」でした。 母が愚痴ってくる内容に対して、全て一刀両断。 一切共感的理解を示すことなく・・・。
そして電話を切った後は、大きな虚脱感に見舞われるのです。 “なぜ、私はこんなにまともに成長したのに、その母親がこんな考えなのだろう?” “なぜ、自分の親なのにこんな事を言うんだろう?私の親だったらもっときちんとしてほしい” “昔はとても前向きで太陽のような人で、素晴らしい人だったのに、どうして元に戻ってくれないんだろう。“ “なぜ、親子なのに言葉や思いが通じないんだろう” 様々な“母に対する私の期待”が頭に浮かんできました。 同時に、「母のことは何があっても、やっぱり大切で大好きで、だから昔の母に戻ってく れて、また家族の太陽となり、みんなを照らしてくれたらこんなに幸せな事はない」と。 でも、この思いを口にした事はなく、真っ先に“思いが伝わらない怒り”をぶつけていたのでした。 そんな時に授業の中でこんな言葉を知りました。
「私の人生は私のものであり あなたの人生はあなたのもの 私の人生はあなたの為にあるのではなく あなたの人生も私のためにあるものではない」 ~ゲシュタルトの祈り~
“ 心時代の夜明け”の中にも同じ一節がありました。 読んだときにも、胸にグサッと突き刺さり そして、再度授業で聞いたときも更にグサッと突き刺さりました。
でも、まだこの時私はこの言葉の本当の意味をわかっていなかったのでした。 なぜなら、この言葉を聞いたとき真っ先に思い浮かんだことは“母を責める”事だったからです。 「私はワタシの人生であり、“母”の人生ではない。 ワタシの人生は“母”のためにあるのではない。 ワタシは娘として、もう十分のことをしてきた。 これ以上ワタシに何を求めるというのか?」 そんな思いが頭をよぎりました。
そんな思いが頭をよぎりながらも、どこかで「いや、ゲシュタルトの祈りが伝えたいことは本当にそういう事なのか?何かが違う気がする・・・」という疑問がわいてきました。
そんな時に出会ったのが“Iメッセージ”(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)でした。 「どんな時に、どんな相手にYOUメッセージ(相手の言動を責めるメッセージ)を伝えますか?」と授業で先生が問いかけた瞬間、一気に今までの母とのやり取り、母に対して自分がしてきたこと、キツイ言葉を浴びせてきたこと・・・いろいろな思いや考えが頭を駆け巡りました。 そして、やっと分かったのです。
ゲシュタルトの祈りを聞いたとき、私が感じた事に対する違和感の正体。 離別感を持てていなかったのは、母ではなく私自身であり 母子一体感を抱き続けてきたのは、母ではなく、まぎれもなく私自身であったのだと。
「母の人生は母のもの。 母の人生も私のためにあるものではない」 この部分が私の中で、すっぽりと抜けていたのでした。
何をもって、いままで私は“自分は絶対に正しい”と主張していたのか・・・ そこには、私が絶対であるという根拠はどこにもありませんでした。
何をもって、私は母を自分の思い通りにしようとしていたのか・・・ そこには“自分にとって理想の母親でいて欲しい”という期待感があり、さらには その根底に“母のことが大好きだから”という思いがあった事に今更ながらに 気付いたのでした。
この思いはずっと変わらなかったはずなのに、間違った愛情の表し方で根底にある 一番大切な思いを素直に伝えていなかったのでした。 伝えていたのは、私の“エゴ”だったのです。
大切で、大好きな相手だからこそ、“母”に期待してしまう。 大切で、大好きな相手だからこそ、“母”はわかってくれるはずと思いこんでしまう。 大切で、大好きな相手だからこそ、“母”の悩みや愚痴を私が何とかしてあげたいと思ってしまう。
でも、その“何とかしてあげたい”という思いこそが、大切で大好きな母から成長の機会を奪い、母自身の個性や人格を否定していたのだと、ここで気付かされたのでした。
そして、“ 人はこうあるべきだ”、“母親たるもの、こうあるべきだ”という私の思い込みが更にそれらに拍車をかけ、自分自身をがんじがらめにしていたという事も気付かれました。
母の手術以後、私が責め続けてきた“愚考と思っていた母の考え”は実は“私自身”であり、自分自身を責め続けてきたことと同じ事。 母と喧嘩した後の、虚脱感の正体はこれだったのです。
授業の中で先生がおっしゃっていた言葉。 「出来事には何の意味もないよ。結果は全て、自分がどういう捉え方をするのか? それ次第で結果はいいようにも、悪いようにも変わる」と。
私が今まで抱いてきた“母”への感情が、母の行動や母が言った言葉に色を付け、勝手に“不快な結果”を導いていた事も、分かりました。 そしてこう思いました。 今までかけていた色つきのめがねを外し、透明なめがねに付け替えよう。 母はこうあるべきだ”という色眼鏡を外して、母というひとりの人間として、まっすぐに見ようと。
母も私たちの母親であるという前に、一人の人間であり、一人の女性である。 母にも子ども達には分からぬ苦悩や葛藤があり、傷つくこともあれば 投げ出したくなる時もあるのは当たり前のこと。 そんな状況から、時には現実逃避し他に目を向けたくなる事もあるかもしれない。
小学生の私に問いかけてきた“母”の当時の年齢は、奇しくも現在の私の年齢です。 今の私に、子どもを二人育て、お舅・姑と同居し、家業の仕事もこなすことが果たして出来たでしょうか? 答えはNOです。 自分が絶対に正しい、まともだと思い上がっていた自分がとても恥かしいです。
ただ、母が昔から、そして今も私に対して「母子一体感」を持ち続けている事は否めません。 でも、私がまずは“自分自身”に気付き、母を認め受け入れ、何よりも「Iメッセージ」で伝える事によって、何かが変わると思っています。 現に、この事実に気付いてからは1度も言い合いになることはありません。 私がきちんと「Iメッセージ」で伝えることで、母もそれを素直に受け入れ無茶苦茶な理論を言わなくなりました。
私がメンタルに通いだした時期と同じくして、以前の“太陽のような母”に戻ってきています。そして、母もまた自然と少しずつですが「Iメッセージ」で伝えられるようになり、お互いいい関係を築けているような気がします。
私自身も“母”を受け入れたことで、周りの人間関係に対しても見方が少しずつ変わってきました。 「母子一体感」を捨て、「離別感」を持ちひとりの人間として相手を尊重し、そして自分自身も尊重すること。 それが“ほんものの愛情”であること。 「離別感」と、大きな文字で今年の念頭に手帳に書いたときと今とでは、「離別感」に対する考え方や私自身の目標も進化しています。
日々、気付きの毎日です。 授業を受けるたびに、“以前の気付き”が更に“大きな気付き”へと変わり “気付き”が増えるごとに、新たな疑問が出てきたり、クリアになったり・・・ それの繰り返しの毎日で、時には悩んでしまうこともありますが、ひとつ言えることは 確実に心が軽くなり私自身の“心の夜明け”が近づいてきているような、そんな楽しみを感じながら毎日を過ごしているという事です。
学んでいくうちに、心理学とは人の心を知るものではなく、自分自身を知る学問なのだということに気付きました。そして、私が気付きを得たことで、周囲の人達にも変化が出てきています。 “他人と過去は変えられない”この言葉のとおり、自分自身がまずは変わることで、相手も変わっていくことを実感しています。
まだまだ知りたいこと、疑問に思っていることが沢山あります。 これを研究コースで更に深めていきたいと思います。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:乙川 |
今年の目標として遠藤さんが掲げた『離別感』という文字。 大きな気づきを得るための意味ある大切な言葉となったんですね!
大切で大好きなお母様が大病を患い、そこから徐々に変わっていく姿を傍で見ているのは、 どうしようもなく辛くて、何とかしてあげたいという娘としての想いが痛く伝わってきました。 そして、レポートの言葉一つひとつには、お母様への愛がいっぱい詰まっているのを感じます。
私も受講生の頃、『離別感』という言葉を聴いたとき衝撃を受けたのを覚えています。 そしてこの言葉に、自分を大切にし、相手も価値ある大切な存在だと認め尊重する。 互いの違いを認め、分かり合いそして、その中には相手に対する思いやりや感謝の気持ちがあふれている、愛ある感情だということを知りました。
この言葉を知らなければ、大切に思えは思うほど、互いの距離が近ければ近いほど、 相手への勝手な期待であったり、自分の思い通りにして欲しいというエゴが強くなったり、 自分と同じ価値観や感情を相手にも求め続けていたかもしれません。 「私は私、あなたはあなた」一見冷たく聴こえるかもしれませんが、 自分と相手は違うものであると一線を引くことが出来たように思います。
遠藤さんのレポートと出会い、「先ずは自分自身を知ることからはじまり、そして相手をありのまま受け入れ、一人の人間として尊重する」ことの大切さを改めて感じました。 離別感をもって相手への感謝の気持ちや素直な思いを伝えることができたら、 さらに優しい関係になっていけるんだと思います。
今年、私の誕生日に父がメールをくれました。 一緒に暮らしているのに何でメールと思いましたが、 「お誕生日おめでとう。すっかり大人になって言うことは何もありませんが、人生の先輩として一言。 やりたい事は何でもやる。例え失敗しても長い人生で必ず役に立つと思う。 悔いを残さないように。ただし自分の責任で! これからも時間があるときは色んな話をしよう。」というメッセージに、嬉しくって涙が止まりませんでした。
普段あまり多くを語らない無口な父ですが、いつも私を信じて見守ってくれている、 そんな父からの愛情を感じました。
なかなかゆっくり話す機会がないのですが、今一緒に過ごせる幸せを感じながら「いつもありがとう」と感謝の気持ちを素直に伝えたいと思います。
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