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私の心の隠し部屋

大阪校  小川 圭子さん(40歳 女性)


私が初めて日本メンタルヘルス協会というものの存在を知ったのは 2008年 5月頃でした。
受講生である先輩が、体験講座を紹介して下さったのがきっかけです。体験講座を受講して感じたのが、笑いあり、涙あり、感動ありの、ジェットコースターに乗っているかの様な心の変化に動かされる楽しさと爽快感でした。

「吉本風心理学」というほどに、みんなでワイワイ楽しく笑いながらも、人生や人間の心の深い部分に触れるというメリハリのある奥探い講座に、どんどん魅了されていきました。

私は人に、自分の欠点や失敗、過去の挫折感や辛い体験などについて話す事はあまりなく、それらは心の奥にしまいこみ、気持ちの上ではなかった事にしてしまっていました。

「言いたくないことは、言いたくない。これでいいんだ」と自分に言い聞かせてはみるものの、すべてをさらけ出す勇気が持てない自分に、偽りの気持ちと、なんだか後ろめたい、自己不信の気持ちをいだいていまいた。

過去の挫折感やつらい体験を信頼できる人に話し、傾聴し、共感してもらえたとしたら、どんなに楽になるだろう・・・。
本当に自分らしく、ありのままの自分を信じて堂々と生きていく事ができれば、どんなに素晴らしいんだろう・・・。

そう思えたのは、日本メンタルヘルス協会が私たちを信頼し、自分の欠点や失敗、過去の挫折感や辛い体験を話してくれた、その真撃な姿勢に感動したからだと思います。

「自分の辛い体験等、人前で話すなんてとんでもない」そう思って、かたくなに心の奥に隠し、辛い事なんてなかったかの様に振る舞っていた自分が、「私も心の扉を開きたい!!」そう思えるようになりました。

なので私は、あまり言えなかった自分の辛い体験を、このレポートに書く事から、心を解放する第一歩を踏み出していきます。



この様な勇気を持たせてくれ、この様なチャンスを下さった日本メンタルヘルス協会に、心より感謝いたします。

私は心理学が大好きで、自己啓発など、興味を持ったものをかたっぱしから勉強しています。私がどうして心理学に興味を持ち始めたのかというと、1997年に私にとっての大きな悩みの第一弾がやってきた事がきっかけでした。

1994年~96年にかけて、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアに滞在し、英語を勉強したり、ツアーガイドの仕事をしたり、オーストラリア一周旅行を楽しみました。そしてオーストラリアを離れるにあたり、そのままバックパッカーとなって、アジアを一人で周遊した後帰国しました。

オーストラリアに行く前は「一人で1年間も、海外で生活なんて、できるかな ?」などと不安に思っていた事を、今でも鮮明に覚えています。

特にオーストラリアから日本までのアジアの道のりを、陸路で旅をして帰ろうという発想を自分がする事になるとは全く予想もしていませんでしたし、旅をするまでは「アジアを女の子が一人で旅するなんて、危険だ!」そんな考えが私を支配していました。

そんな私がオーストラリアで1年間楽しく過ごし、アジアの貧乏旅行を満喫し、自分らしい旅を存分に楽しんだという経験は奇跡に近く、この経験は本当に私に大きな自信を与えてくれ、その後の人生を大きく変えていくきっかけとなりました。

そして、大きな自信と自分らしさを手土産に日本に帰国し、復職するのですが、その後しばらくは、なんだか分らない違和感を感じ続ける事となりました。

私は当時助産師として産婦人科に勤務していたのですが、仕事に復帰し、同僚達に海外での体験を聞かれ、話す事がたびたびありました。

「すごいねぇ」と最初は驚かれるものの、みんなの関心も薄れる中、だんだんあの奇跡とまでに感じられた大きな自信が、病院と家の往復となる日常生活を繰り返す中で、何の意味ももたない様に感じられていきました。

そして悩みました。「あの大きな自信を感じていた私はいったい何だったんだろう?」と。そして考えました。「旅をしていた時の自分、親の前での自分、彼氏の前での自分、職場での自分、助産師として産婦さんと接している時の自分、一人でいる時の自分、なんか全部自分が違う。本当の自分って一体どれなんだろう?」と。そして本当の自分知るための旅が始まったのでした。



自己啓発セミナーを受講し、自分の価値を再認識し、本当の自分がどんどん明確になっていきました。「すべてが本当の自分だったんだ。」そんな自分が統合され、今までいかに自分の価値を認めて来なかったかという事に気づきました。
「自分らしい人生を生きたい」そんな思いを胸に、自分をやっと認め、人生目標も設定していきました。

その後は自分の夢、目標の通りに歩き、次々とそれらを実現していきます。旅の楽しさが忘れられず、再びバックパッカーとして世界に飛び出し、インドのマザーテレサのもとでボランティア活動をさせて頂いた事をきっかけに、国際協力の道に進みます。

もっと世界のお役に立ちたいと、青年海外協力隊員として西アフリカのセネガルに赴任し、その後もカンボジア、モロッコでの専門家としての仕事に従事していきました。

念願の国際緊急援助隊の医療チームの一員として、ミャンマーの災害復興支援にも関わらせて頂きました。信頼し、尊敬できるパートナーもできました。人生目標は次々と達成されていきます。

しかし、楽しくて、嬉しくて、幸せを実感した反面、苦しかったこと、悲しかった事、つらかった事もありました。2004年には父が肺癌である事を知りながらもカンボジアに赴任し、父を看取る事ができず、自分のエゴに罪悪感を感じ続けていたりもしました。

その後、母子保健関連のプロジェクト専門家としてモロッコに派遣され、やりたい仕事だったし、自分としてもとても光栄に思い、はりきっていたのですが、50代独身の女性リーダーとの関係がどうしても上手くいかず、ずっと悩んでいました。

現地ではモロッコ人の友人はたくさんでき、応援してくれる人もいたのですが、限られた数少ない(3人のみ)日本人の中では、相談できる友人もおらず、当時は日本にいた彼(現在の夫)との電話やメールだけが心の支えでした。

気持ちの切り替えがなかなかできず、自分を追い込み、ここから飛び降りたらこの現状から逃れられ、楽になれるんじゃないかとも思いました。彼の「いつでも帰っておいで」という言葉が、本当に心の支えでした。

結局、任期半ばでプロジェクトを去るという決断をしたのですが、自立を目標に自分で何でも決めて生きてきた私にとって、任期を全うできなかったという悔しさ、そして周囲に多大な迷惑をかけてしまうという罪悪感、自分の不甲斐なさ等を認めざるを得ず、とても苦しい決断でした。しかし、当時の私の心は本当に限界だったと思うので、帰国を決断して本当によかったと思っています。


この事をきっかけに人間関係の大切さをより一層実感し、日本に帰ってからはひたすら心理学を学び続けています。人が好きで、誰とでもすぐ仲よくなれると自負してきたのですが、やはり誰とでもというのは、そう簡単にはいかないものですね。

自分が良くても相手にも都合があるという事も、心理学で学ばせて頂きました。

人間関係について、思いおこせば私は、50歳前後ぐらいの独身女性から嫉妬されたり、批判されるのではないかという思い込みもあります。

海外赴任前、フランス語の勉強をしていた際の担当の先生が50代の独身女性で、私に冷たくあたると悩んでいました。

それからカンボジアでの仕事で、後任の方との引き継ぎの際、後任の方は50歳近くの独身女性で、どんなに親切に対応しても、私には敵意を見せていると感じました。最後には教え方が悪いと怒鳴られたりもしました。

日本に帰国し、パートで働きだした病院では、婦長を引退した後もバリバリ働いている口うるさい年配の女性の対応に悩みました。相手のせいにしてみたり、自分のせいにして反省してみたり、どうしてこうなるのか色々原因を探ってみたのですが、どうもよく分りませんでした。

「相性の合わない人もいるさ」と、さらっと流していきたいところだったのですが、どうもそういう権威的な女性に反応する自分の心理が、そういう現実を作り出しているのではないかと気づき、自分をもっと知りたい、相手をもっと知りたいと、心理学に没頭していきました。

そして、権威的な女性の象徴が母である事に気づきました。

私は中学生ぐらいまでは、従順ないい子であったと思います。しかし、実家から少し離れた高校に行く事を選択する事をきっかけに、親離れが進んでいきます。部活にエネルギーを注ぎ、彼氏もでき、そちらに居場所を見つけていきます。

「高校を卒業したら結婚して欲しい」彼からのプロポーズを受け、私もすっかりその気になっていました。

7歳年上だったので経済的にも問題はなく、彼の両親、家族共、とてもいい人たちだったのですが、私の両親の答えは「まだ早い」でした。

そして私は高校生にして彼の子どもを妊娠します。彼は産んで欲しいと私に言ってくれましたが、


私が自分で下した答えは「NO」でした。

高校3年生だった私は、年齢を偽り、両親には内緒で手術を受けました。

私は高校を卒業したら、就職するつもりでした。「大学に行きたい」と言ったら「お兄ちゃんが大学に行くから、お金がないでしょ。女の子は勉強なんてせんでもいい。普通に就職して、結婚したらええんや」という母の価値観に影響を受けていました。

商業高校を自ら選らんだ理由は、家から遠いという事と、高校を卒業して、すぐ就職しやすいようにという事でした。

簿記やマーケティングの授業を受けた事から、銀行や証券会社への就職を希望していました。

そんな私が廊下に張り出されていた1枚の求人票を見て、「ここだ!」と思ったのは、銀行屋や証券会社の求人でも、事務の求人でもありませんでした。産婦人科の看護助手の求人でした。

今から思うと、自分のした事への罪悪感、そして麻酔から覚めた時に介抱してくれた優しい看護師さんへのあこがれの気持ちがあったのだと思います。

そうして全く自分では想像もしていなかった看護師・助産師の道へと進んでいきました。
私は今まで「どうして助産師になったのですか?」と聞かれた際、今書かせて頂いた高校生の時の体験がどうしても語れませんでした。「ただなんとなくあこがれて・・・」と言葉を濁す自分にうしろめたさを感じながらも、そうしか語れませんでした。

出産をサポートする助産師なのに、そんな経験は自分にはあってはならない・・・。
と思い込んでいました。それが心理学を勉強し、先生方の過去の体験を耳にし、ようやく今になって私も・・・と少しずつ語れる様になってきたところです。

こうやって痛みを伴う過去の部分を人に語る事ができるようになってきたのは、日本メンタルヘルス協会という絶対的安全な場を実感し、先生方の自分の過去の体験を堂々と語る姿に感動し、心理学を学ぶ中で自分という人間に少し自信が戻ってきたからなのだと思います。

語る事で人との距離が近づきます。語る事でより自分らしくいられる様な気がします。
語る事で、ありのままの自分を受け入れて下さった方々に感謝の気持ちが湧いてきます。
やはり自分の気持ちを語る事は私の心が望んでいた事の様です。

このレポートを機に、私の心の隠し部屋に隠していたものを手放し、扉を解放する事ができました。


どうもありがとうございました。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:磯馴

小川さんとは何度かお話させていただく機会があり、
『いのち輝かせ屋』として助産師をされているということは以前から聴いていました。

今回のレポートを拝見させていただき、なぜ『いのち輝かせ屋』という言葉を使っているのかという
深い部分に触れさせて頂きました。

自分の欠点や弱さを人にさらけ出すこと。
それは、思っている以上に簡単なことではないものです。

小川さんのレポートを通して、ぼく自身が『偽りのプラス思考』で
自分を着飾っていた頃を思い出しました。

人に弱さを見せてはいけない。常に強く前向きであらねばならない。
当時のぼくはそう思って、かたくなに自分の本心を心の奥に閉ざし、
『いい人』という仮面をずっと被っていました。

『人当たりもいいし、前向きな人』

そういった周囲の評価を嬉しく思う反面、本当はもっと弱い自分がいることに苦しんでいました。

小川さんがこれまで頑なに閉ざしていた過去の自分。
見えないようにはしているものの、それが何よりも自分の重荷になる。

講座で衛藤先生は、『プラス思考とは、プラスの側面だけに焦点を当てることではありません。』
本当のプラス思考とは良い面も、悪い面もしっかりと向き合った上で、
自分にとってプラスの選択ができることなのです。』と、おっしゃっています。

人には知られたくない過去。そして弱い自分。
それらにしっかりと向き合って、一つ一つを受け入れていくこと。



そうやってありのままの自分を見つめてさらけ出すことで、
本当の強さと自信が見えてくるということを改めて実感させて頂きました。

『心の扉を開ける鍵は、内側にしかない』
衛藤先生はいつもそうおっしゃっています。

外からいくら開けようと思っても、決して開かないもの。
自分の意思で、内側から鍵を外さないと本当の自分は見えてこない。

学びを通して、小川さん自身が内側にある心の鍵を外したことで、
今の笑顔で自然体な姿があるんだと感じさせて頂きました。

小川さんは現在旦那さまと一緒に研究コースに通われています。

過去の経験があったからこそ、助産師としてこれからも
沢山の方の『いのちを輝かせる』お手伝いをしていかれることだと思います。

『過去の向き合いたくない経験こそが、未来の自分を輝かせるヒントになる。』

そんな気づきをいただけた素敵なレポート、ありがとうございました!