Home 受講生の感想レポート 人を傷つけていた、自分のずるさ、弱さ…
人を傷つけていた、自分のずるさ、弱さ…

東京校  辻 沙織さん(30歳 女性)


「自分を演じるのに疲れました。」

 そういってHは自殺を図りました。
 Hは、もともと姉の友人でしたが私も面識がありました。
 姉のうちに遊びに行くとHもよく遊びに来ており、4人いる姉の子供たちのいい遊び相手をしてくれ、子供たちのどんなわがままにも笑顔でこたえ、台所に食器が残っていれば洗って片付け、自分が帰宅するときには必ず掃除機をかけていきました。

 もちろん、姉や私が頼んだわけでもなく、Hは「そうするのが当然」という風な感じで、姉も私も特に気にもとめず、「Hみたいな人と結婚する人は幸せだね。」とよく言っていました。
まさかHが死を考えるほど自分を追いつめているとは予期していませんでした。
自分の無力さが本当に悔やまれた出来事でした。

 Hと同様、「自分を演じるのに疲れて」いた人物をよく知っています。
 それは私自身です。

私の父は異常に厳格で暴力的な人でした。完璧思考が強く、父の「こうあらねばならない」という理想から少しでも外れると父は大変怒りました。容姿も成績も振舞い方も、父の理想の型に近づくようになっていきました。とにかく父の顔色を伺いながら生きました。父の機嫌を損ねると、食事が抜きになったり、殴られたりすることはまだ序の口で、刃物で脅されたときにはいつか本当に殺されるのではないか、とひどい恐怖に怯えることもありました。

 そんなわが家で笑い声の代わりにあるのは沈黙、あるいは泣き声でした。メンタルの後編講座で習ったエリクソンの発達心理学でいう「基本的信頼感」を獲得することもろくにできず、人とどう関わっていいかわからないまま私が得たものは、どうしようもない劣等感や失望感、そして自分を抑圧し、他人に合わせるというコミュニケーションパターンでした。そうすれば相手は機嫌を損ねることも、自分に危害が及ぶこともないと信じていました。また、本来の自分では、親にすら受け入れられない「だめな子である」という意識もしっかりと心に刻まれました。

 私が8歳のとき、母は私と姉を連れ、父のもとから逃げました。本当に命がけの逃亡だといっても大
げさではないように思えます。父との生活の拠点だった長崎から各地を転々とした後、私たちは、岩手の母の実家に落ち着き、一悶着ありましたが、父母の離婚も成立しました。父が自殺を図ったということもずっと後になってから知りました。

「三つ子の魂百まで」とはよくいったもので、新しい生活がスタートしてからも、「自分はだめな子であり、いい子でいなければならない」という、私の基本的な姿勢は変わりませんでした。
学校でも友達がほしいと願いながらも、同級生たちと一緒にいることは自分にとって大きなストレスとなり、実際は一人でいる方が楽でした。

高校生になってから、私は膵臓の疾患を患い、入退院を繰り返すようになりました。大変稀なケースで、治療も難しいとされ、トータルすると1年近くにも及んだ入院生活が大きく影響し、私は看護師になりました。しかし、看護師として就職してから後も、持病が再発したり、手が麻痺するという神経疾患を患ったりして、またしても入院生活を余儀なくされ、医師に書かれた診断書には「就業不可能」とあり、結局看護師もあきらめざるを得ませんでした。

子供のころの環境や、繰り返す病気、それに伴う失業など、自分はなんてつくづく不幸なのだろうと思いました。自分にとって辛く困難なことがあるたびに、自分の運命は不幸にできているのだと思うようになりました。

しかし、このままではいけない、と思った頃、私は幸いメンタルと出会うことができました。

基礎コースを終える頃、「不幸な自分もそれなりにがんばったから今の自分がある。そんな自分を認めてあげよう」と、以前より前向きに自分を捉えるようになりました。
しかし、基礎コースの頃の自分と研究コースを終えた今の自分の間でも、また考え方に変化があります。
その中でも私が特に影響を受けたのは研究コースで深く学んだ「交流分析」の講座でした。

交流分析の講座で事前にエゴグラム(性格診断テスト)を作成する課題が出されましたが、友人や家族につけてもらったエゴグラムでも、また、自分でつけたエゴグラムにおいても、私はNP(Nurturing Parent-やさしい親のこころ-)とAC(Adapted Child-自分を抑える子どものこころ-)が高得点を示しました。講座で自己否定・他者肯定という基本的構えをもっていることを知りましたが、子どものころから「自分はだめな子」という強い意識は常にあり、私の行動基準の多くはこの「自分はだめな子」に影響されていたと思います。
だから自分はいい子でなければならない。

つき合って2年目になる彼も、出会った頃の私を「こんな素敵な女性にあったことはない」と思った
そうです。私は、彼の理想とする女性を自分で勝手に考えながら、架空の理想の女性に近づくようにし
ていました。だからその言葉には嬉しさ以上に不安を感じました。

きっと本当の私を知れば彼は離れていくにちがいない。

そんなとき、彼との間に問題が生じました。
私は自分の過去について彼に話すことがありました。自分を理解してもらいたい、ちゃんと向かいあいたいと思っていながらも、私は、そのうち、都合の悪い部分を幾分修正して伝えていました。本当の自分を知られるのが怖くて、自分にあった辛いできごとを周りのせいにし、あたかも自分は被害者である風に話したのです。本当は「自分はだめな子」だと知られたくない、「自分はいい人」だと思われたい、その自分の弱さが、実は彼を苦しめていたとは知りませんでした。

ある日、いつもと違う彼の雰囲気をすぐに察知し、すごく嫌な予感がしました。彼から別れを告げられたとき、苦しくなり、頭が真っ白になりました。「どうして??」という思いと、しかしどこかで「やっぱり」という思いとが交錯しました。当初何も話さず別れようとしたようでしたが、彼は私の過去の事実を知ったことを教えてくれました。

彼にはその出来事について、自分は裏切られた被害者のように話してありました。しかし、実際は自分にも原因があり、自分が招いたことでもありました。そのことをわかっていながらも、自分に非がないような言い方をし、自分をよく見せようとしていたのです。すべてを知った以上、別れはまぬがれない、と覚悟を決めた上で、私は自分の記憶にある範囲で覚えていることを正直に話しました。いくら自分を「だめな子」と認識していても、自分のずるさ、弱さ、汚さを認めること、その上人にさらけ出す、ということは非常に辛いことでしたが、重い荷を下ろしたかのように、どこかでほっとした感じもありました。

そして意外にも、彼から出たことばも「安心したよ。」だったのです!
「人はだれでも弱いところも卑怯なところもある。自分をよく見せるためのウソもあってもいい。ただ、ずっといい人でいようとして自分にもいいところしかみせないように振舞う姿がずっと前から気になっていた。飾らなくてもいいんだよ。」と。

私は涙が止まりませんでした。人に受け入れてもらえるよう、人に合わせ、いい人を演じていたつもりなのに、逆に距離を作り、信頼関係を築く上で大きな障害となっていたことに気づいたのです。深い人間関係を築けないからますます自信をなくし、よく見せようと本当の自分を隠し・・・負のスパイラルのできあがりです。

Hも「自分を演じてきた」ということばで表わしました。
ひょっとするとHも私と共通するところも多かったのではないかと思います。
いい子でなければ受け入れられない。そういう思いが強かったのかもしれません。

Hにも「そのままのあなたでいいんだよ。」と言ってくれる存在があれば、死を考えるほど自分を追いつめなかったのかもしれません。

また、私はこれまで「自分は不幸」と思って生きてきましたが、自分の人生がなぜ不幸だったのか、そのカラクリも見えてきました。

私は小さい頃から、周りから「不憫でかわいそうな子」として見られてきました。私自身も「自分はかわいそうな子、不幸な子」と思うようになり、そしていつの間にか、その同情に自らどっぷり浸かることで自分を慰めていたように思います。自分に危害がないうえ、一目置いてくれる同情すら、私にとっては心地いいものという錯覚を起こしていたのかもしれません。

そしてまた、何か壁にぶち当たると、「自分の育った環境はこうだったから」「自分は病気なのだから」仕方ないのだ、と自分にも言い訳し、周りもそれで許してくれるとどこかで期待していたように思います。
もしかしたら不幸であることが自分にとって都合がよかったのかもしれません。
だから自分で不幸な状況を作り出し、「やはり自分は不幸」と思いたかったのかもしれません。
母親や祖母、叔父や叔母たちからも多くの愛情を注がれ育ててもらったのに、貧しいながらも幸せであったはずなのに、「自分の人生は不幸である」という解釈の選択をしたのは自分自身だったのです。

ACが満点で人に合わせることが多い私は自己主張することも大の苦手でした。
講座の中の一つの論理療法のワークにおいて、私は自分のこの問題について取り上げました。
「人の期待にあうようなことを言わなければならない」「自己主張ができる人は有能であるから、無能な自分にはできない」など、さまざまな受け取り方が自分の中にあり、やはり自己否定の構えが大きく影響していると分析しました。
しかし今、別の角度から、自己主張することは自分の言動に責任を伴うものであり、もしかしたら自分は自己主張しないことで、責任からも逃れてきたのではないか、という見方もできるのではないかと思いました。

こうして振り返ってみると、「不幸な私」「自己主張できない私」の奥には、自己責任からの回避、甘えの心理が見え隠れすることに気づきました。

今改めてエゴグラムをやってみると、NPとACが高得点であることは依然として変わりませんが変化もあります。それは、これまで極端に低かったFC(Free Child-自由なこどものこころ-)の得点が前より高くなったことです。私自身も自分はどのように考え、感じているのか意識するようになり、実際周りからも、前より自己主張できるようになったとか、何を考えているか前よりわかるようになったと言われるようになりました。また、自分の不幸話を「売り」にし、同情を求めるようなことはしなくなりました。対人関係におけるストレスもだいぶ楽になり、以前より自分のことが好きになりました。


以前人から「沙織は本当は自分のことが大好きなんだよ。」といわれたことがありました。私は自分が大嫌いでしょうがなかったので、そういわれたとき、「そんなわけない!」と即座に否定しました。

でも今は違います。例え自分の意識上になくても、自分は必死に生きていこうとしていることを知っているからです。

心理学でいう合理化、投影、抑圧などの自己防衛機制(自分を守るための心の反応)もしかり、また、本来の自分らしく生きる為に無意識が送ってくれるメッセージである夢、マイナスでもいいからストローク(人が他者に与える認識、注意、反応のこと)を得たいとして繰り広げる人間関係のゲーム。

例えば人に「自分の嫌いなところは?」と聞かれたらいくらでも答えることができます。しかし、自分で自分の「嫌いなところ」と認識している部分も、実は自分が傷つかないように自分を守ってくれている存在なのではないかという気すらします。また、トランスパーソナルにおいては、物理学的に宇宙の法則に逆らって必死に生きているということも学びました。
私は、私の細胞は、こんなにも自分の知らないところで自分らしく精一杯生きようとしてくれているのを知り、自分が愛おしくなりました。そして、これまで「自分は不幸」と思って生きる生き方を選んでいたことをもったいなく感じました。「自分は幸せ」と思いながら生きたい!「悲劇のヒロイン」から「ハッピーエンドの主人公」へと、自分の人生の脚本を修正することが必要です。

私自身も含め、心の悩みを抱えている人は多くいます。
一番身近なところでは父がそうでした。小さい頃、私は父に対して憎悪しかありませんでした。しかし、今では当時の父も精一杯生きていながらそうせざるを得なかったのかもしれないし、周りに助けを求めることもできなかったのかもしれないと感じています。もし、今の自分が、当時の父と出会っていたら何かしら助けることはできなかったのか、という思いもあります。

また、私は幸い看護師に復職することができました。これまでは、業務の忙しさなどを理由に、患者やその家族の方とちゃんと向かいあうこともどこかで逃げていた気がします。特に、終末期の方との関わりはそうでした。そばにいるだけで辛く感じることもありましたが、実はそばにいることに大きな意味があったのかもしれません。看護師として、もっと患者や家族の方の心に寄り添ったケアをしていきたいと思っています。

カウンセリングとは、「コミュニケーションを通じて行動の変容を試みる人間関係」と言われています。これまで何もかも中途半端に思えた自分でしたが、メンタルに通い通すことができたのは、講座を受けるたびに心が楽になったから、すなわち、受講するという形態をとりながらも、講師の先生方や共に学んだ受講生からカウンセリングして頂いていたのだと思います。自分とは違う視点やスケールを提供されることで自分自身に対する多くの「気づき」を得ることができました。

「ありのままの自分」を受け入れてくれる人の存在や、違った視点を与えられることで得られる自分自身の「気づき」により、人の生き方はより豊かなものになっていく、これがメンタルで得られた一番大きな学びだと思います。


私は、人の笑顔を見るのが好きです。そのための役に立ちたい、と今改めて思います。その人の笑顔の花が咲くための、なんらかの手助け。たとえば、いっときのそよ風や一滴の水、強い日差しから守るためのちょっとした影。花が咲いたときには一緒に喜び、あなたはただ一つの存在であり、そのままでもきれいだといえる、そういう存在になりたいと思います。そのためには自分もずっと笑顔の花を咲かせていたい。自分の周りから笑顔の花が増えていけるよう、人の心に寄り添って生きていきたいと思います。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:乙川

今回レポートを掲載するにあたり、沙織さんとやり取りさせていただいた中で
「レポートを書いていた当初と今とまた状況は変化しているんですが、
『自分の原点はここにある』とレポートを読み返して改めて気が引き締まる思いがしました。」
と話して下さいました。

私も受講生の時に書いた修了レポートを1年後読み返した時に、沙織さんと同じように
「この頃の経験があったから、今の私がいるんだぁ」
と色んな葛藤も起こった辛い出来事も、改めて、経験させていた一つ一つに感謝することができました。

「人に合わせて理想の自分を演じる自分」と「本当の自分」との葛藤。
本当の自分を知ったら・・・と、大切な人が自分のもとから去っていくかもしれない不安。
・・・いろんな思いに縛られる日々。

でもそんな中、基礎コースを学んだ事がきっかけで、たくさんの気付きと共に、いろんな思いを乗り越え、
そして何よりも一つひとつご自身と向き合っていかれた沙織さん。
「不幸な自分もそれなりにがんばったから今の自分がある。そんな自分を認めてあげよう」
と「ありのままの自分」をしっかりと受け止めることができたんですね。

さらに研究コースを受講したことによって、本当に深くご自身を分析されたんだなぁと感じました。
自分の心の癖であったり、コミュニケーションのパターンであったり・・・
自分を見つめることは決して簡単なことではないと思いますが、そこから目をそむけず見つめ続けた。
そして、「以前より自分のことが好きになりました」と言える自分がいる。
本当に素敵だと思います。

研究コースでは、27講座一つひとつじっくり掘り下げて学んでいきます。
その学びを日々の日常の中で自分なりに実践し、

意識して自分から動き出すことでどんどん、自分が変化していく。
あらゆる側面から本当の自分の心を客観的に見ていくことができる。
私の人生にとっても、研究コースでの沢山の気付きと、そして共に学んだ仲間の存在は、
本当に大切な財産となりました。


沙織さんのまわりには、笑顔があふれています。
「飾らなくてもいいんだよ。そのままのあなたでいいんだよ。」とそっと心に寄り添える存在でありたい。
そこには、そばにいてくれるだけでいい、沢山の言葉は必要ないのかもしれません。
そんな沙織さんの思いは、今多くの患者さんやそのご家族、そして沙織さんと関わるすべての人へと
あたたかい笑顔とほっと休める場所を与えてくれているんだと思います。

やわらかい風とともに笑顔の種が広まり、一人一人の素敵な花が咲きますように・・・

改めて私の中にある「自分の原点」を思い出させてくれた沙織さんに感謝いたします。
本当に素敵なレポートをありがとうございました。