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親は子どもの応援団!問題を“見守る”勇気

東京校  長島 光明さん(46歳 男性)


確かに人生が変わったと思います。
もし、日本メンタルヘルス協会の心理学講座に出会わなければ、今とはきっと違った人生を歩んでいたことでしょう。一見、その違いは分からないかもしれません。でも、人とのふれあいや家族との絆、心のゆとりなど、人間の内面が今とは大きく違っていたはずです。

もともと、精神的に強さをもっている自分だから、数々の課題や壁も乗り越えては来たと思います。でもそれは、「力」と「意志」で乗り越えただけであって、決して消化したわけではなく、ましてや「このトラブルがあって、むしろよかったんだ」と円満に受け入れられたとは、とても思えません。この違いはこれからの人生において計り知れない差を生むでしょう。

「ひどいこと言ってごめんね。本当は好きだったんだよ。
友達になりたかったんだ。」

小学校6年生の娘のクラスにひとりの女の子がいます。俗に言えば“問題児”“いじめっ子”。言葉の暴力でクラス中を誹謗中傷します。もともと性格が強いため、その影響力は大きく、彼女の気分にクラスの雰囲気が左右されるくらい。
そして、その女の子と娘の席が隣同士。娘は、彼女の言葉に打ちのめされて学校から帰ると、怒りを弟や妹にぶつけたり、落ち込んだり、「学校に行きたくない」と言い出したり・・・。
しかし、今回はどうしてもその女の子のことを憎めませんでした。むしろ、なんとかもっと素敵な関係になれないものかと思っていたくらいです。

その女の子は両親が離婚して、父親との2人暮らし。きっと食事から洗濯、学校の準備まですべて自分でこなしているはずです。遠足のお弁当も自分で作っているはずです。そんな環境でも毎日学校に来ていました。
そして、この夏、彼女は転校を控えていました。
父親が再婚するため、今度は母親の元へ行くのだそうです。

彼女の行動のひとつひとつが、彼女の心のメッセージのような気がしてなりません。そうやって、強く何かにぶつかっていなければ自分が潰れてしまいそうなのかもしれません。どうしようもない寂しさゆえ


に、彼女は強く刺のある鎧で身を守っていなければならない、そんな気がしてなりませんでした。

「なんとか友達になれる方法はないのかなぁ」
「なんとかうちに遊びに来てくれないかなぁ」
ずっとそう思い、娘にも促しても見ましたが、当人はそう簡単には納得がいかないようで、なかなか実現しませんでした。それも、無理もないことです。 

そうしているうちに事態は悪化の一途。
緊急保護者会でいきり立つ親たち。あきれ果てる先生たち。
私の意見も「どう見たって悪いのは、あの子なのに。なぜ、そこまでしなければならないの」と耳も傾けてさえもらえませんでした。

そう、“いい” “悪い”でいえば確かにそうです。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
それで誰かが幸せになるのでしょうか?

そんな風に感じられるようになったのもメンタルで学べたからです。そして、いくつかの大きなトラブルや出来事を家族で受け入れ乗り越えてきたからだと思います。
本当の意味で自分との対話ができるようになった気がします。

それまでの自分は、自分自身に言い聞かせていました。
「がんばれ」「こんなことで落ち込むお前じゃない」「負けるな」「さぁ、やればできる。お前なら絶対できる」などなど。
確かに、これで立ち直れたことも何度もあります。がんばれたことも事実です。悪いことばかりではありません。しかし、周りの人にも、家族にも、子どもにも、この自分の強さを要求していたような気がします。その代償は思いのほか大きかったかもしれません。

でも、今はありのままの自分を認められるようになりました。
「そうか、つらいのか」「落ち込んでいるのか」
これですぐ立ち直れるということはありません。でも、このように一呼吸おけるようになったことで、その先にある少し深い気持ちに気づけるようになった気がします。

「つらいのか」・・・・・・「何が?」・・・・・「そうか、○○がつらいのか」・・・・・「でも、本当は~~が、気になっているのかもしれない」・・・・・「そうか、そうか、本当は○○がしたいだけなのか」・・・・・「いいじゃないか。やってみようよ」・・・・・「それが本心なんだから」



以前の自分との対話は頭が一方的に話をしていました。しかし、頭が話しをやめてみたら、少しずつ少しずつ心の声が聞こえるようになった気がします。自分でも気づかなかった自分の気持ちに出会えるようにもなりました。自分を認めるということは、このように自然と湧き上がってくる心の声をすくい上げる


ことなのかもしれないと気づかせてもらいました。

それが家族や周囲の出来事に対しても、同じようにできるようになってきた気がします。
今回の娘のクラスの問題児と呼ばれる女の子のことも、何かの心のメッセージのように感じられたのも、このおかげです。

相変わらず子どもの学校生活ではトラブルが日々起こります。
ついに一学期の終業日がきました。その女の子にとってはこのクラス最後の日です。その彼女がクラスメイトひとりひとり全員に手紙を書いてきました。
そして、娘宛の手紙には、冒頭の短い言葉が書かれていました。

「ひどいこと言ってごめんね。本当は好きだったんだ。
友達になりたかったんだ」

この手紙が、人付き合いにちょっと臆病な娘にとって、どんなに大きな宝物になることでしょう。きっとクラス全員に同じようなメッセージを残してくれたんだと思います。

ありがとう。あなたの本心とそれを表す勇気がどれほど人を救ったことか。
それから、もう少し早く気づいてあげられたらよかったのに、ごめんなさい。

学校の特徴は集団生活です。集団生活の意義の中で、周囲との摩擦やトラブルは、実は大きな要素なんだと思います。なぜなら、それは絶対に家庭では体験できないから。
しかし、近頃は“みんなで仲良く”だけが強調され過ぎているような気がします。

本当にいつも仲良くないといけないのでしょうか?
いつも友達と一緒じゃないといけないのでしょうか?
ひとりぼっちではいけないのでしょうか?
けんかをしたらいけないのでしょうか?

けんかを通じて、痛みがわかり仲直りの瞬間の感激が実感できるんじゃないでしょうか?
みんなと一緒にいるのと同じくらい、一人で自分と対話することも大切なんじゃないでしょうか?


どうして、ことの善し悪しをばかりを決め付けるのでしょうか?

仲良しばかりが強調され過ぎて、親もそれだけを望んで、なんとかトラブルを避けようとする。和を乱すことが最大の罪のような状態になり、いったんその和を乱す行為が行われると、大問題となり、ましてや自分の子どもに火の粉がふりかかると親が大騒ぎをして、相手を糾弾する。

そのトラブルを子供たちがどう感じて、どう対処するのか、“見守る”ということがなくなってしまっているような気がします。

親は子どもの最大の応援団です。でも決してプレーヤーではありません。だから、プレーヤーである子どもたちが、どうやってその問題に関わり、解決していくか“見守る”忍耐と勇気も大切だと思います。

確かに子どもが関係するトラブルは家族にとって強烈なストレスではあります。でも、そこから学べることは驚くほど多く、人生にとってとても大切なことばかりです。
しかし現在は、トラブルから学ぶには、子ども自身も親も、そして親子の絆も少し弱過ぎる気がします。

幸いに私たち家族は、両親の死(子供にとっては、祖父母の死)や先生とのトラブルによる娘の登校難、小さないじめなどの出来事を通じて、家族とは何かを振り返えさせられてきました。

そして何より、親である私がこの日本メンタルヘルス協会の心理学講座によって、受け入れることの大切さを気づかせてもらいました。

一度受け入れられると、不思議と激しい怒りや憎しみが薄まり、その気持ちの奥にある寂しさや悲しさ、やさしさなどの本当の気持ちを感じられるようになってきます。
それが“よき理解者”なのかもしれません。

現在、苦しみや憎しみを抱えて、どうすることもできない人たちにとって必要なのは“よき理解者”なのではないでしょうか。
現代社会において、心強い指導者や先生、立派な学者、目標となる成功者はたくさんいます。情報もたくさん手に入ります。でも、良いも悪いも含めて自分のすべてを受け止めてくれる“よき理解者”は意外と少ないのかもしれません。

「もしかしたら、以前からの自分自身の心が求めていたのも“よき理解者”だったのかもしれない」そう気づけた時、なぜかホッとしました。
「そうだったのか」と思った時、救われた思いがしました。
そして「今なら、同じような悩みを持つ人を少しは理解できるかも知れない」


そう思えました。

自分にはもともと「キャンプ」というフィールドがあります。“自然と遊びと親子の絆”をテーマに活動してきた体験があります。

そして日本メンタルヘルス協会で学んだ心理学が、その体験のバックボーンとなって、少しずつ体系づけられてきました。


求め合っているのに、どこかから回りの人間関係。
一生懸命なのに、どこかすれ違っている親子関係。
そんな関係が多い社会で、自然から、遊びから、そして日本メンタルヘルス協会の心理学講座から学ばせてもらった気づきを、ひとりでも多くの人に、ひとつでも多くの家族に伝えたい。そんな想いが湧いてきました。

人々の“灯火(ともしび)”になりたい。

そばにいるけど目立たないから、いつもは意識されていない。
でも、振り向けばいつもそこにいてくれる。
どこかホッとできる安心感と、不思議と気持ちが通じる信頼感。
大きくなくてもいい。ホッとできる明るさとあたたかさで気づきを伝えたい。

それが自分のライフワークです。
そう気づけた自分は幸せです。

今ここに、このような充実した気持ちでいられるのは、衛藤先生をはじめいつも真剣に全身全霊をそそいで講座に登壇していただいた先生方のおかげです。
もし、日本メンタルヘルス協会に出会えなければ、まったく違った人生になっていたはずです。もっと表面的な価値観で生きていたに違いありません。

そして、ここで出会った受講生のみなさん。
友達とか知り合いと言うにはあまりにも絆が強すぎます。
仲間と呼ばせて下さい。
あなた達の姿から、いかに多くのことを学ばせていただいたかわかりません。
ここでの出会いが自分にとってかけがえのない財産であることは間違いありません。



そして今日にいたるまでのさまざまな出来事すべてに感謝します。
ここにありったけの思いを込めて・・・ありがとうございました。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:吉原

「人生を変えた出会いと出来事の数々」 長島さんのレポートのタイトルです。

誰にでも同じ様に、出会いや様々な出来事はあります。それをどのように受け止め、
どう人生に影響するかは、その人次第で大きく違う。
長島さんのレポートを読んで、改めてそう感じました。

何か自分に不都合な出来事があった時、それを誰かのせいにして文句を言ったり、横柄な態度を取る人と、その出来事を真摯に受け止め、真実だけを見て今後に活かす人。

前者の、目がつり上がった顔を見た時、私は後者でありたいと思いました。
「問題児」とされていた女の子だけが悪いと決めつける親ではなく、
その女の子の行動の中にSOSを感じる事のできる長島さんでありたいと思いました。

人々の“灯火(ともしび)”になりたい。

心があったかくなりました。人々の“灯火”=“よき理解者”なのかもしれませんね。
私が悩んでいた時、それを溶かしてくれたのは“太陽”はなく“灯火”だったような気がします。
静かなあたたかさで包んでくれました。

私も日本メンタルヘルス協会で学び、長島さんのように「仲間」という財産をいただきました。
「人生を変えた出会い」かもしれません。

以前は、遊んで楽しさを共有するのが仲間だと思っていました。
でも、そういう仲間はトラブルがあれば自然に離れていきます。
それを乗り越えるまでの信頼関係ができていなかったんだと思います。



今は、楽しさを共有するのは当たり前ですが、トラブルがあれば話し合い、お互いに注意もし合い乗り越えるだけの信頼関係を気付けた素敵な仲間がたくさんいます。その仲間を想うと心がいっぱいになります。
感謝でいっぱいに・・・・。
私にとっての“灯火”です。
だから、私は“月”になりたいです。
暗闇があっても、歩いていく道が見えるように、少しだけ照らす“月”のように。

「出来事」も「出会い」も人生の素材。
この2つの素材を、どう料理するかによって、人生が変わる。
それなら美味しい人生を作りたいです。

私も長島さんのように日本メンタルヘルス協会で料理のコツを学び、腕のいいシェフになった1人です。
これからも、腕を磨き続けていこうと思います!

誰でもなく私に起こる様々な出来事、私に出会ってくれたたくさんの人への
感謝の気持ちを改めて思い出させてくれた長島さんに感謝いたします。

素敵なレポートありがとうございました!