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感想レポート
受講生の感想レポート

焦点が変わると・・・

東京校  木下 淳子さん(40歳 女性)

 

結婚してからずっとこれまで、引っ越しを繰り返してきました。

一年二年ごとに、命ぜられるがままに。

いつもなんだか長い旅の途中のような、そんな感じでした。

夕暮れに買い物に行くと、私はどこにいるのやらと、不思議な感覚によくなるのです。

 

同じ場所に長く住んだら、そうではなくなるのかな、落ち着くのかなと思っていましたが、今の土地に8年と少し腰を据えましたら、なぜだかもっと落ち着かなくなってしまったのです。心が。

 

その心も、ずっと旅ばかりしていました。

過去に向かってずんずん走っては転び、

未来にはいつでも妄想ジェットコースターで飛んで行き、怖がっては、

穴に身を潜めじっとじっとじっとして、

モグラになってなにも感じないようにしてみたり・・・

 

メンタルの講座で、衛藤先生がおっしゃった、『今ここに』

いつもいなかった、私です。

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いろんな思いを抑え、自分自身を大切にしていなかった…

大阪校  石川 達之さん(54歳 男性)


私が日本メンタルヘルス協会の講座を受講すると決めたのは、数か月前から受講していた妻の話に興味を持ったからでした。妻は5年前からうつ病になり、昨年は仕事も辞め、どうやって生きていったらいいのか、模索する日々を送っていました。一方私は、そんな妻への想いを曲にし、その歌を歌う機会が多くなりました。ライブが終わると人目を避けるように近づいて来るお客さんから、うつ病の家族のことを相談されることが何度もありました。でも、うつ病については妻と本からの知識しかない私は、その度に返答に困っていました。

 そんな時に妻からメンタルの講座の話を聞き、その講座を受講して得た知識で相談に応えることができるのではないかと思うようになったのです。
 
 まず体験セミナーに参加し、その面白さと「生き方」についての示唆に富んだお話に引き込まれるように聴き入ってしまいました。妻から「すごく楽しかった。」とは聞いていましたが、予想をはるかに超える衝撃を受けました。

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開かずの引き出し ~心からの感謝へ~

東京校  青木 久子さん(39歳 女性)


メンタルに出会ったこと。それは、私の中で、本当にすごいことです。
 受講していた友達の話を聞き、絶対行きたい。と、即決でした。メンタルが、私のひらめき体験と、自信を持って言えます。 

 思えば、メンタルを紹介してくれた大好きな友達も、この人と絶対友達になりたいと、思って、声をかけたのです。彼女は、私の患者さんでした。とにかく、きらきらした女の子でした。治療が終わったら、会えなくなっちゃうな。と、勇気を振り絞って、声をかけたのを覚えています。心のなかでは、患者さんに友達になってほしいなんて、言って大丈夫かな。心臓バクバク。ナンパって、こんな感じ?とか、妄想したりして、大変なことになっていました。あれから、14年。彼女は、ますます綺麗で、きらきら輝いて、周りに元気と笑顔を与えています。しかも若い。

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多くを求めすぎるより、あるがままを「褒めること」

名古屋校  渡島 和也さん(32歳 男性)


衛藤先生、丸山先生、野本さん、たくさんの素敵な気付きと学びを本当にありがとうございます。

 まず僕は、姉に紹介してもらって、このメンタル体験講座に出会いました。
 最初に丸山先生と野本さんのお話で安心し、次に衛藤先生のお話では、感動の連続で勉強というよりは、ほとんどずっと感動していました。
 という訳でこの講座を勉強していくことを決め、勉強していくうちにとてもたくさんの気付きに出会いました。

 まず、初めに出会ったのは離別感(相手と自分は違う存在であると認めること)と、母子一体感(子どもがお母さんは自分のことを言わなくても分かってくれる、自分の思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘えや依存心のこと)でした。

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心理的な成長を、置き忘れてきたのは「私」だった

東京校  金森 清久さん(53歳 男性)


私は出版社で編集の仕事をしています。
 もう、52歳になってしまいました。トホホです。
 日本メンタルヘルス協会の心理カウンセラー講座を修了するにあたって、この終了レポートを書きながらいまの自分を見つめなおしてみると、いい年をしてまだまだ自分は甘えているなと気づくことばかりです。健全な離別感(相手と自分は違う存在であると認めること)を学んだつもりが身についていないことに改めて気付きました、トホホですよ。

大学を卒業したのが、1984年、昭和59年です。その年の11月に写真週刊誌『フライデー』が講談社から創刊されました。そして私はその『フライデー』の専属記者となりました。その後『週刊SPA!』、『週刊テーミス』の創刊に携わり、30代半ばまで週刊誌の編集者として事件やスキャンダルを追っかけていました。

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