悩んだ時、たどり着くのは必ず「あなた」のことでした |
東京校 丸尾 亜樹さん(36歳 女性)
お母さん。いかがお過ごしですか。私は今、結婚し、こどもも2人いて、自分がお母さんと呼ばれる立場になりました。私が何かに悩んだ時、自分と向き合ったときにたどり着くのは必ずあなたのことでした。
私は元々とてもネガティブ人間でした。そういうと今では周りはみんな驚きます。自分には何も良いことが起こらない。何をするにも常に期待しない。自分は暗くて、地味で、つまらない人間。自分は居ない方が良い。何か問題が起こった時は私が悪い。それが私が生きていくため、自分を守るために身に付けた考え方でした。でもそうなったのも、私は、母親であるあなたの影響だと思っていました。そう、他人に言われる前に自分でそう思っていた方が傷つかないから。そんな私だから誰かに心を開くことはなかなかできないけれど、それでも人一倍自分のことを分かってもらいたいと常に思っていました。
思い返せば、私はあなたに抱き締められた記憶も、優しくされた記憶もありません。私が5歳の頃、あなたと父が離婚して、弟と妹とあなたとで、新しい生活を始めました。住むところも狭く汚く、食べるのも苦労し貧しい暮らしでした。私は大好きだった父と離れとてもさみしかったけど、さみしいとも言えなかった。その頃から、自然と我慢することを覚えていたのです。
数年後、あなたは再婚しました。結婚した相手は、昔からおじさんと呼んでいた、母のいとこでした。時々家に来ていたおじさんがある日、朝からいました。そして食事中に「今日からお前達のお父さんだから」と言われたのを今でも良く覚えています。小学生の私と保育園児だった弟妹は混乱していました。弟と妹と兄弟会議をしました。「お父さんと呼ぶの?」「だってお父さんって言っていたからお父さんって呼ばないとおじさんじゃ変じゃない?」納得したわけではありませんでしたが、とても素直な私達はその日から「お父さん」と呼んでいました。後に父に聞いた話ですが、父もビックリしたそうです。
父も遠慮せずに私達を怒ったりするので、壁を感じることはありませんでしたが、本心では、苗字が変わった事、本当のお父さんではないということ、変わらず貧しい生活だったことがコンプレックスな子供時代でした。
私にとって、あなたはいつも怖い存在でした。常に顔色を伺って過ごしていました。遊びに行った帰りが少しでも遅くなると、家の鍵をかけて家には入れてもらえませんでした。 何で怒られたか覚えていないけど柱に縛られたり、モノを投げられて後頭部を切ったりしたこともありました。タバコを吸い、毎晩お酒を飲んでは、酔っ払い私達子供に説教をする毎日でした。そして再婚した父との喧嘩も絶えませんでした。夜中にけんかする声を聞いては眠い目をこすり泣きながら「やめて~」と止めるそんな日々でした。離婚をして再婚をしたことで、子供の私は、振り回されていると感じていました。友達の優しいお母さんの話を聞くとうらやましくて仕方ありませんでした。
それは、私が小学6年の夏、夏休みの登校日のことです。私は学校の帰りに耳鼻科に通っていました。耳鼻科の近くには私のいとこの家があります。いとこの家は、我が家と違い明るく優しい家庭だったので遊びに行くのが楽しみでした。母には寄り道しないで帰るように言われていたのですが、その日は約束を破りいとこの家で遊んでいたのです。家では弟と妹が近所の友達と遊んでいたそうです。そしてかくれんぼをしていて、トイレで倒れているあなたを見つけたそうです。近所の方が救急車を呼んでくれましたがすでに息は無かったそうです。
親戚の人に送ってもらい家についた時は、あなたは布団の上で冷たくなっていました。朝は何も変わった様子は無かったのに。急なお別れでした。弟と妹は事態を把握しておらず、あなたが横になっているふとんの横に座り、だまって涙を我慢していました。子供なのにこんな時にも自分の感情を表現できないなんて少しかわいそうに思いました。私は、親戚の人と一緒に冷たくなったあなたを揺さぶり、「お母さん」と何度も呼び、泣き叫びました。そんなことで戻ってくる訳無いのに。弟と妹も一緒につられて泣きました。ずっと我慢していたけど本当はとても辛かったんだと思います。
その後、私達兄弟3人は、養護施設に預けられました。そこでの共同生活は、全く知らない世界で、本当に驚くことばかりでした。その養護施設はカトリックだったので、朝夕のお祈り、食事の前後のお祈り、ミサ、何もかもが初めての体験でした。食事は栄養士が考えたバランスの取れたものを、3食しっかりいただくことができ、夕食には必ずフルーツが付いていました。おやつも毎日いただける。おこずかいも毎月もらえます。洋服も金額の範囲内ですが1年に1度は新品の自分の好きな服を買いに行くことができ、生活水準はかなり上がりあなたが亡くなる前とは比べられないくらい贅沢な暮らしをさせていただいていました。
ただ、学校の後に友達と遊ぶことはできないなど、様々な制限はありました。また、あまり年上には気に入られなかったようで、寝ている間に鼻をつままれて息ができなくなった様子を笑われたり、寝ている間に意味もなく蹴られ、翌日起きると身体が痛かったりということもありました。そのほか言われのない罪を被せられたり、友達にこそこそ悪口を言われたり辛い経験もしました。
しかし施設には本当に様々な子が居たのですが、基本的に明るい子ばかりで、友達と一緒に遊んで暮らせることが楽しかったです。事情を聞くと、両親が交通事故で亡くなってしまったり、家が火事になって親が亡くなってしまったり、0歳からずっと養護施設で生活しているという子もいたりしました。みんな幼い頃に辛い思いをして、いろんな思いを抱えている。それでも毎日笑って楽しく過ごし、強く生きている友達や後輩を目の当たりにして、多くのことを共感し学ばせていただいたと思っています。
私はことある毎にあなたを思い出し、あなたのような人にはならないようにと道を選んできました。思春期の頃は、周りがタバコをすっても、断ることができ、グレることなく他の入所者に比べれば優秀な生徒として卒園することができました。結婚する時も、私が一番大事にした条件は「離婚しない人」でした。今となってはそれが正しいのかは分からないけど、堅実な道を歩いているのは、あなたを反面教師としたおかげだと思っています。
それでも大人になって、自分が親になる時には少し考えが変わってきていました。もし今、母が生きていたらどのような関係だったのかな。一緒に買い物とかしたのかな。悩みを相談したのかな。本音を話せたのかな。
こどもを授かったとき、一番に相談したかった。子育ても右も左も分からず、毎日悩みながら過ごしていました。それでも、子供の頃を思い出して、子供の頃にやった遊びを子供に教えたり、子供の頃に歌ってもらった歌を歌ったりしました。
あなたのようにはならないと思っていても、子供に手を上げて、その度に後悔し自分を責めることもありました。私自身、余裕が無く、子供と向き合えないこともありました。私があなたを受け入れられなかったように、子供(特に長男)も私を受け入れられないのではと思うことが何度もありました。それも幼い頃の環境のせいで、私が愛されてこなかったから子供を愛することができないと思いこんでいました。今では少しずつ、私自身が子供をありのままで受け入れることができるようになってきました。そうすると子供も私に話してくれることが多くなりました。
あなたと過ごしたのはたった12年間。あなたから教えてもらえなかったこともたくさんあるけれどおかげで周りの人には恵まれていろんな人に支えられて生きてこられました。
ひとつだけあなたを尊敬できることがあります。あなたが父と結婚したことです。周りの反対も多かったと思います。きっと最後に一番愛した、父と結婚するという自分の意志を貫いたこと。そして、子供も産まれました。家族にとって弟は本当にアイドルでしたね。あなたが亡くなってから、勇哉(弟)は本当にガンバったんだよ。あんなに小さかった勇哉が今では結婚して、年老いた父を自分が養うと言っているくらい。
ひとつだけ教えてください。あなたは、幸せでしたか? あなたが幸せで過ごせたのなら、私はあなたを許そうと思います。
これまで私が歩んできた道や環境は、すべては私が生きるために必要な学ぶ為だと今は思えます。自分自身をありのままで良いと受け入れるのにもう少し時間はかかるかもしれません。そして私が学んだことは、子供たちにも、教えていきたいと思います。
遠いところにいってしまったと思っていたけど、あなたとは潜在意識で繋がっていると学びました。私にとっては、生きている人との関係よりも、今の繋がっている関係の方があなたとはしっくりくるようです。 どうか優しく見守っていてください。
あと1年であなたの年齢に追いつきます。 まだまだ道の途中、私は、今ここを生きていきます。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:野本 |
今、基礎コースを修了し、研究コースで学ばれている丸尾さん。 基礎コースの講座の時、毎回毎回本当に深く様々の事を感じて受講されている姿を今でも思いだします。
僕自身メンタルの講座で毎日全国の数多くの受講生さんに会わせて頂いています。
どんなに多くの方に出会っても、どんなに多くの人生に触れさせて頂いても、どんなに多くの想いを教えていただいても、どれ一つとして同じ経験、同じ感じ方、同じ人生は無いのだと実感させていただいています。
講座の前や食事会の時にお話を聴かせてもらっている時だけでは感じられない人生の深さが本当に沢山あります。
今回、丸尾さんのレポートでも感じさせてもらいました。 お母様への想いが沢山伝わって来ました。
講座の中で衛藤先生が「人は何を食べた!?が重要なのでは無く、何を吸収したのか!?が大切です!!」と仰っています。
そう人との出会い、経験、思い出、その深さは携わった時間や量ではなくそこから何を 感じて何を思って、どう生きるか!!なのだと僕自身思います。
丸尾さんがお母様と過ごした時間やどんな経験をしてきたかが今の丸尾さんが決めるのではなく、今この瞬間をどう生きるか!!がお母様との関係を創っているのだと感じました。 僕も母との関係で悩んだこともありました。僕が幼いころから海外出張が多い父、一年の半分は日本に居ないことが多く、子供心にさみしい思いをしていました。母との二人暮らし、今だからこそ分かりますが当時は厳しい母との生活が苦しく感じていました。
愛されたいからこそ言うことをきかなければならない!愛してくれているからこそ期待にこたえなければならない!愛されるためには逃げてはならない!そんなビリーフ(固定観念)が自分の中にありました。
でも意識ではそう思っていても無意識はそうではありませんでした。
子供の頃、母が自分の部屋へ歩いてくる足音がすると無意識に「隠れる」自分がいました。でも所詮子供がすることです、すぐ母に見つかってしまい「見つかっちゃった!」とおどけてみせていました。本当は逃げたかった自分。
心理学を学んだ今だからわかること、受け入れられること、許すことが出来る自分がいます。 知らなければ「どうなっていたのだろう?」と思うことが沢山あります。
メンタルに出会って、僕は母に直接当時の思いを伝えることが出来ました。今さらどうして欲しいとかあやまって欲しいとかではなく、ただただ伝えたったんです。
母ともっともっとわかりあえる関係になりたいから。
そのことを、ただただ受け止めてくれた母に感謝しています。
もちろん直接本人に伝えることが全てではないと思います。
今、自分がどう生きる!のかが、それこそ自分の人生だと講座を通して教わりました。
他人の人生と比べることは出来ないですし、比べることには何の意味も無いかもしれません。
だから丸尾さんの今の思いを綴ったこのレポートにあった
「ひとつだけ教えてください。あなたは、幸せでしたか? あなたが幸せで過ごせたのなら、私はあなたを許そうと思います。」
この言葉は、今イキイキと生きて笑顔を大事にしてる丸尾さんの中にもう答えがあるのだと心から思います。
丸尾さん!あなたのお母様へ想いに沢山の優しさをもらいました。
本当にありがとうございます。
現在受講中の研究コースを受講するにあたって「これからは誰かの役に立てるように。誰かを幸せにできるようになりたいです。」と話されていました。
そんな丸尾さんをこれからも心のディズニーランドのスタッフとして心から応援しています!!
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