大阪校 松本 理沙さん(25歳 女性)
私が初めてメンタルヘルスの体験セミナーを受講した時、とても衝撃的だったのを今でも覚えています。
旦那さんに受講を勧められて体験セミナーを受講したのですが、教室中がとても和やかで笑顔でとても良い空気感に包まれていました。
それでも私はとても警戒心が強い方なので、上面では笑顔でも内心はとても緊張していました。自分はどうもこういう場所が苦手だとういう意識がありました。すごく人見知りで知らない人に囲まれることが少し苦痛でした。
でも講座が始まると、衛藤先生の話に夢中になり憂鬱な気分もどこかに行ってしまいました。先生の話を聴いていると、泣いたり、笑ったりする中で、自分の感情が豊かになったような不思議な感覚に陥りました。
それからこんなにパワーのある素敵な人が世の中にいるんだな~。と思い、なんだか少し世界が広がったようなとても嬉しい気分になりました。
私は幼いころから両親の愛情をたっぷり受けて育ちました。お金に不自由することもなくちゃんと学校にも行かせてもらい、欲しいものも適度に買ってもらい、仲の良い友達にも恵まれて、今までの人生はとても幸せなものだったと思います。
しかし私は劣等感が強く自分にあまり自信がありませんでした。
今でこそメンタルに通わせて頂いて、人は人、自分は自分、自分をしっかり持とう!と思えるようになりましたが、少し前まではかなり劣等感が強かったと思います。
後編コースのテストセラピーの講座で行ったYG性格検査ではかなり神経質で劣等感が強いことがわかりました。 それから交流分析ではAC(気を遣う子供心)がずば抜けて高い結果でした。結果を見てわたしはやっぱり!と納得していました。
思春期の時期位からこの傾向がどんどん強くなって、高校生の時に一番人間関係が辛く感じました。とくに学校で誰かにいじめられるわけでもないし、そんなことをする子もいませんでした。
高校に入学した時、私は人見知りがとても強く、あまり心を開くことができず、クラスになかなか馴染むことができませんでした。同じ中学から上がってきた子とばかりいつも一緒にいて友達の輪を広めることがなかなかできませんでした。
なので皆におとなしい子と最初は思われていました。劣等感が強く人に良く見られたいという気持ちが強かった私は、おとなしく見られていることがとても嫌でした。 本当に嫌で嫌で、これは本当の自分じゃない!こんな自分は何の価値もない!と毎日毎日考えていました。バイトや家に帰ってもこの気持ちを切り替えられず、母に当たったり、たまにバイトを休んだりしていました。
そんな日々を過ごしているうちにストレスが限界にきたのか、手と足の皮膚が爛れてバイトや体育の授業に支障をきたすようになりました。 ただでさえ人目を気にする性格なのに本当に苦痛でした。でも母が必死になって良い病院を探してくれてなんとか1年くらいで完治することができました。
高校を卒業した時はなんだか劣等感から解放されたような少しホっとした気持ちになったことを今でも覚えています。 でもそれは劣等感が消えた。ということではありませんでした。
短大に入学してからは高校での教訓を活かして毎日楽しく過ごしたいと思い、自分から周りの人に積極的に話しかけたりしていました。友達もたくさんできとても楽しい学園生活を送っているように周りからは見えたかもしれませんが、やはり劣等感を感じて、人と自分を比べて落ち込む日々が続きました。
この時の自分は、物事の受け取り方がマイナス思考になっていました。今この文章を書きながら、あらためて物事の受け取り方がプラス思考に変化していることに気づきました。 衛藤先生が講座で「無知は怖い」とおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。
メンタルを受講して一番良かったことは自分の良い所を活かして伸ばして行こう、マイナスの面も含めてプラスに考えようと思えるようになりました。
それから講座の中で自分と向き合う中で、なぜ私は劣等感が強いかもわかりました。
私の母は子供の私から見ても、過保護だな~と思うほど、なんでもかんでもやってくれました。出かける時も「忘れ物ない?ちゃんとお金持ってる?何時に帰ってくる?」と質問責めにしてきます。
遠足や旅行の時は持っていくものを母が用意します。子供の時からあれをしなさい、これをしなさい、服はこれをきなさい、と何でも母に言われるがままでした。
私もそれで楽な面はあったので母に甘えて、自分で物事を選択するとういう経験をあまりしてこなかったように思います。
親の言うとおりだったので自分で何かを達成したという経験があまりありませんでした。今思うとこの小さい積み重ねをしてこなかったことが自分の自信を育てることに繋がらなかったのかな?と思います。
だからこれからは当たり前のことかもしれませんが、自分で決断をして行動することがこれからの私の課題だと思っています。
この文章を書きながら、マイナスの面もプラスの面も含めて今までに出会った人たちに対して感謝の気持ちがこみ上げてきました。
たくさんの人達に導かれ、守られているとつくづく感じました。私がメンタルに出逢う事も必然だったのだと思います。メンタルでの学びは日常の色々な所で影響しています。
少し前に中学の時の友人と久しぶりに再会した時、彼女は中学の時に受けたいじめのトラウマの話を私にしてくれました。 これはメンタルで学んだことを活かすいい機会だと思い、私はただパッシブリスニング(受動的な聴き方)で話を聴いていました。うんうん、とただうなづいて話をよく聴いているだけでした。
最後に彼女が「ごめんな~こんな話して。」と言いましたが私は「話聴くだけならいくらでも聴くからいつでも話してな!」と言いました。すると彼女はホっとした顔をして喜びながら、「理沙ちゃんに話して良かったわ~!」と言ってくれました。
後日友人の母から私の母に電話があり、「理沙ちゃんが話聴いてくれて理解してくれたって喜んでたよ~ありがとう!」と言って頂きました。
私はこの時ただ人の話を真剣に聴くだけでこんなに喜んでもらえるんだ。と少し感動しました。メンタルを受講していなかったらきっと中途半端なアドバイスをして微妙な雰囲気で終わっていただろうと思います。
人の話をちゃんと聴くと言う事がとても大事だという事を実感しました。
それから日常で私がとても意識するようになった言葉があります。それは【離別感】です。「相手は自分の為に生れてきたんじゃない、別の存在である」と先生が言われた時、自分の中でその言葉が胸にグサッと刺さりました。特に親に対しては一体感がとても強かったので、イライラすることが本当に沢山ありました。ケンカもよくしました。
親なんだから自分の事分かってくれて当然、完璧にしてくれて当然、とあたりまえのように思っていました。自分が思っているように親が反応してくれないと苛立つ子供のようでした。でも親が別の存在、ある家庭で大事に育てられた人だと思うとイライラすることもほとんどなくなりました。
欠点を愛おしく感じるようにもなりました。自分に対しても以前は欠点を直視することが嫌でしたが、完璧な人間なんていない、と思えるようになり楽になりました。
まだまだ私は発展途中ですが、これからは私が周りの人を幸せにできるような存在になれるよう1日1日を大切に、楽しみながら今できることをしていきたいと思っています。 そして毎日メンタルの先生方やスタッフの方のように素敵な笑顔でいられるよう、これからもメンタルでの学びを日々活かしていきたいと心から思っています。 本当にありがとうございました。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:磯馴 |
特に不自由なこともなく、幸せに過ごしていたという松本さん。
でもその反面、自分には自信が持てなくていつも劣等感を抱いていた背景には、親との関わりの中で『自分で物事を選択する』という経験をあまりしてこなかったからこそ、自信を育てることに繋がっていなかったかもしれないという部分に、自分にも通じる所がありました。
ぼく自身、劣等感を抱いている時期を考えてみると、『自分で物事を判断する』ということが少なかったように思います。
今でも、その名残りは少なからずあるのですが、『人に合わせて、自分の気持ちに素直になれない』ということが非常に多かったのを思い出します。
そんな時は、自分に自信もなかったし、人間関係でも本音で話をすることがほとんどありませんでした。
人に合わせて、自分で物事を選択しないこと。
それはある種、自分にとっては楽な選択。
その選択によって何が起こっても、『自分が選んだことではないので、自分は悪くない』 と思って、自分を正当化することができるからです。 そんな選択をしていたときの自分は、『自分が傷つきたくない、嫌われたくない』という思いが人一倍強かったのを覚えています。
衛藤先生は講座の中で、
『自分を愛せる程度にしか、他人を愛することはできない。』 とおっしゃいます。
その言葉を聞いたとき、自分の中で衝撃的な気持ちになったのを覚えています。 ぼくはまさに、自分を好きになれない分、相手を本当の意味で好きになることができていませんでした。 欠点を否定するのではなく、欠点を受け入れてあげること。
松本さんが、自分の欠点が愛おしく感じるようになって楽になっていったように、 まずはどんな自分も受け入れて大切にしてあげることが大切だと改めて感じました。
改めて自分を見つめ直すことができた素敵なレポート本当にありがとうございました! また笑顔の松本さんにお会いできることを楽しみにしています。
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