名古屋校 服部 友美さん(37歳 女性)
母は統合失調症。 笑えないと母は言う。 笑えないんじゃなくて、笑おうとしていないだけでしょ? そう聴いても「笑えない」と母は言う・・・。 あなたは、どうしたら笑ってくれるの?そう思った。
弟が生まれて間もなく母が自殺未遂をした。母のことが大好きだった当時3歳の私は、病院にお見舞いに行った時、泣きながら母のもとに走り寄ったことを今でもはっきり覚えている。 そこからだったか、母はヒステリックに私を怒ることが多くなった。私は母の顔色をうかがうことに必死だった。お手伝いを頑張った。母に褒められたかった。そこから私のいい子にしなければという思いが強くなっていったのかもしれない・・・。
小学生の時、母が私の親友の家に押しかけた。理由は定かではない。そこから私はいじめられるようになった。そのことを母に聴くことは出来なかった。いじめは中学生まで続いた・・・。
高校生になった私は、母に反抗するようになった。夜遊び、朝帰りを繰り返す私を見て「友達が悪い」と母は言った。お母さん、あなたは私のことを分かっていない・・・。 私の居場所は家にはなかった。心が安らげる場所を探していたことをあなたは知らない。
今思うと、それからメンタルに通うまでずっと私の反抗期は続いていた気がする。
どんなふうだったら楽しいの?と母に聴く。 「面白くない」「幸せじゃない」「何がどこが楽しいか分からない」と言う母。 誰かが・・・何かが・・・幸せを運んで来てくれると思っている母。
そうじゃないの、幸せかどうかはあなたの心が決めること。
私も同じことで悩んだときがあった。やっぱり、私はあなたの子どもなのだと思った。 自我が育っていないと統合失調症になると聴いた。 ずっと、自分で考えずに祖父に電話で相談していた母。 あなたは弱い人だった。
自我を鍛えることなく、母親という役割を頑張っていたのだと今なら少しだけ分かる気がする。母が私を生んでくれた年齢を私は過ぎてしまっている。 お母さん、あなたもまだ幼い心のままで子育てを頑張ってくれていたんだね・・・。
本当に大切なことだけは間違えない人だと思っていた母が3年前に甥っ子を傷つけてしまった。悲しかった。なぜ?どうして? 人は先天的攻撃抑止能力を持っていないと教わった。
犯罪はどこか遠くで起こっていて自分には関係ないと考えている人が多いだろう。 でも、人はだれでも犯罪をおこす要素を持っている。だから、いつ誰が被害者や加害者になるかは分からない。身近で起こるものだということを知っていてほしい。
母の動機は分からない。病気だから・・・そう言ってしまえばそれまでだけど、私は人を傷つけることは良くないと思う。 母の心の闇がそこまで深いものになっていたのだと気付いただけだった。
母は甘えている。そう思っていた。でも、そうじゃなかった。 母は「~ねばならない!」という思いが強い人だった。 完璧主義だった事・・・真面目だった事・・・やっと気付いた。
今、足が悪くて立つことも辛い時があると言う母。 家にいて何も出来ないことに引け目を感じている母。 何かしていないと自分の存在価値がないと思っている母。 あなたはそこにいて笑っていてくれていたらそれだけでいいのに・・・。 笑わないあなたに皆が悲しみ苛立ち、あなたの居場所をあなた自身がなくしてしまっているということに気付いて欲しい。
私もあなたの笑顔が大好きだったことを思い出した。
私は日本メンタルヘルス協会の講座を受講するまで母が子離れ出来ていないのだと思っていた。でも違った。私が親離れ出来ていなかった。母子一体感(子どもがお母さんは自分のことを言わなくても分かってくれる、自分の思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘えや依存心のこと)だった。
母のようになりたくないという思いで生きてきた。 強くありたいと思っていたのは、弱い母が許せなかったからだと気付いた。 母のように弱い人であってはいけない・・・そんな固定観念があった。
母は訪問販売の人に印鑑を売りつけられたこともあった。 住宅会社の人にお金を持ち逃げされたこともあった。 宗教にも入っている。 そんな母を見て育った私は、用心深くなった。
宗教が幸せにしてくれるわけではないことを学んだ。 私は自分の信じるものを選択し生きていこうと思った。 母はよく騙されていたけれど、それで良かったと思う。 騙すより騙される側でいる方が良い。 母のことを馬鹿だなぁと思っていたけれど、あなたは優しい人だったのですね。
母はおかしい。普通じゃない。ずっとそう思っていた。 でも最近は、母は純粋過ぎて生きていくのが辛かったのではないかと思うようになった。ホントは一番人間らしいのではないかと・・・。
今だから、母とそして自分自身とも向き合う事ができたのだと思っている。 今まで見たくなかった自分のダメなところと向き合うことができて良かった。 欠けているところばかり見る母を責めながら、自分自身も母の欠けているところばかり見ていた私。
母の中に自分自身のダメなところを写し苛立っていたのだと思う。 母を通して自分自身のカウンセリングをしたのだと思う。
日本メンタルヘルス協会で繰り返し学び、母の話を聴くことが出来るようになった。 今年、自分の誕生日に「生んでくれてありがとう」のメッセージと共にお花を贈った。 そして、小学生の時以来かなぁ・・・母の日にお花を贈った。 どちらも母は涙を流して喜んでくれた。 今まで母のことを表面だけでしか見てなかったなぁ、私・・・。
しばらくして、母からの手紙が届いた。写真が一枚と便箋が一枚。 私が2歳くらいの時の写真かなぁ・・・写真の裏に「この頃が一番良かったわね。」って書いてあった。父も母も笑顔の写真。楽しそう。
母は、ずっと過去に生きていて「今」を生きていなかったのだと思った。 便箋には「お母さんは弱すぎました。【強く強くへこたれない】をもっとうに生きていきたい。」そう書いてあった。
母が自分の弱さを認めたことに驚き・・・嬉しかった。
「友美が優しい子に育ち、それが一番嬉しい。」 その言葉に胸がいっぱいになった。 嬉しい。やっぱり、母に褒められると嬉しい私がいる。 今でも母に褒められたい私がいることに気付いた。
私、全然優しくなかった。ひどいこともいっぱい言った。いっぱいつらい思いさせた。 あなたの望むようないい子じゃなかった。ごめんなさい、お母さん・・・。 夜になると寂しく感じると手紙に書いていた母。 私も同じように感じる時がある。世の中に一人取り残されたような感覚・・・。
母は寂しかったのだと思う。生まれ育った土地を離れ、父しか知らない土地でひとり孤独を感じていたのかもしれない。
それでもね、私たちは生きていかなくちゃいけないんだよ、お母さん・・・。 他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ。 私はずっと母を変えようとしてきた。 でも、私が変わったら、母が少しだけ変わってくれた。 自分が変われば、周りも変わってくれるんだと肌で感じた。
お母さん、今もあなたの心の闇を全て分かることはできない。 でも、少しだけでも私はあなたの心に寄り添うことができていますか?
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:吉原 |
まず、8月20日の研究コース合同卒業式にて、当協会の全ての講座を受講し心理カウンセラーとしての一歩を踏み出された服部さん。 おめでとうございます!
そして、このレポートを涙を流しながら発表して下さってありがとうございます。 きっと、服部さんのレポートで「母との関係」を振り返るきっかけになった方がたくさんいると思います。 私もその一人でした。
私の母は仕事をしていたので、家にいない事が当たり前でした。保育園は祖父母の送り迎え、祖母の手料理、病気の時も祖母がそばにいてくれました。 祖父母からはたくさんの愛情をもらいました。
それでも、たまにある母の送り迎えや、母の手料理が待ち遠しかったのを覚えています。 病気の時も、高熱でうなされながら母を呼んでいたと祖母に聴いた事があります。
明るくいろんな場でムードメーカーだった母、引っ込み思案だった私はそんな母がうらやましくもあり、憧れでした。
私も服部さんと同じように母からほめてもらう事がうれしくて、お手伝いを一生懸命がんばっていました。 他からたくさんの愛情を感じていても、子供にとって母の愛は特別なのかもしれません。
そして、最近母にとっても子供の存在は特別なんだなぁと感じる事が多くなりました。 母が「誰かのため(子供のため)に生きることも素晴らしい」と言っていた意味が分かってきた気がします。
今の私の歳に母はすでの3人の子供の母でした。 子育ての中、ストレスで円形脱毛症になった母、祖母が亡くなってからは朝から夜遅くまで働きながら、家事も子育てもがんばった母。 今の私に3人の子供を育てながら仕事ができるだろうか・・・・。
そう考えると、服部さんのお母様も、私の母も「母」という役割を手探りで一生懸命がんばっていたんだと思いました。 大変なことの方が多かったかもしれない。
それでも、母が「誰かのために生きることも素晴らしい」と言うのだから、子供という存在はずごい。 私はまだ母の子供という存在だけど、母という立場で子供を感じてみたいです。
そしたら、きっと母の想いが分かるかもしれない。
服部さんのレポートで、あらためて母の想いを考える事ができました。 素敵なレポートありがとうございました!
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