Home 受講生の感想レポート 心理的な成長を、置き忘れてきたのは「私」だった
心理的な成長を、置き忘れてきたのは「私」だった

東京校  金森 清久さん(53歳 男性)


私は出版社で編集の仕事をしています。
 もう、52歳になってしまいました。トホホです。
 日本メンタルヘルス協会の心理カウンセラー講座を修了するにあたって、この終了レポートを書きながらいまの自分を見つめなおしてみると、いい年をしてまだまだ自分は甘えているなと気づくことばかりです。健全な離別感(相手と自分は違う存在であると認めること)を学んだつもりが身についていないことに改めて気付きました、トホホですよ。

大学を卒業したのが、1984年、昭和59年です。その年の11月に写真週刊誌『フライデー』が講談社から創刊されました。そして私はその『フライデー』の専属記者となりました。その後『週刊SPA!』、『週刊テーミス』の創刊に携わり、30代半ばまで週刊誌の編集者として事件やスキャンダルを追っかけていました。

週刊誌の創刊時はほとんど休みなしでしたが、どんなに辛いと思えるようなことも苦に感じることなく毎日毎日が新しい発見と楽しさで仕事をすることができました。これからもう一度同じことをやってくださいと言われたら、もう辛くてできないと思いますが。

 『フライデー』では取材対象者を夜討ち朝駆けしたり、芸能人や著名人の決定的な写真を撮るためにカメラマンと何日も張り込んだりもしました。『週刊SPA!』、『週刊テーミス』では、毎週、世間を騒がした大きな事件やスキャンダルやスクープを狙って、締め切りぎりぎりまで取材して記事を作り続けました。

 週刊誌の編集部では、編集長は絶対の権力です。編集長が決めたことは最終決定です。たとえ、縦のものを編集長が横だと言われたならば、縦のものを横にしなければならないと先輩から言われました。タイトルありきで記事は作るのだと言われました。タイトルは編集長が決めるもの。タイトルに合うように取材して記事を編集するようにとよく言われたものです。

 スクープ記事を取るために、先輩編集者から無理難題を言われ、締め切りに追われながら、毎日怒鳴られながら飛びまわっていました。でも、苦痛ではなかったのです。毎日が楽しくてワクワクしながら取材に駆け回っていたものです。

 そして私は、だんだん大きな勘違いをしていったのです。
 ジャーナリストとしての批判精神と個人的な不平不満を混同してしまったのです。
 週刊誌の仕事は、簡単に言えばいろんな著名人に向かって文句をいう仕事だと思っていたのです。政治家に向かって、官僚に向かって、芸能人に向かって、事件を起こした人に向かって、マスコミは偉そうに文句を言うのです。不平不満を言うのです。
 「こんなことをしてイイと思っているのか!」
 「責任をどう取るのだ!」
 「被害者に説明して詫びを入れろ!」
 自分が思った不平不満を言いたい放題で私は記事を作っていたのです。
 身の程知らずとはこのことです。マスコミという権力をかざして、世間に向かって偉そうに不平不満を言っていたのです。

 30代でデスクとして事件班をまかされたとは、今度はスタッフに向かっても不平不満を言い続けていました。
 「こんな取材もできなくてどうするんだ!」
 「もう一度取材して来い!」
 「話が取れるまで、帰ってくるな!」

 切った張ったの週刊誌の現場で、先輩から怒鳴られながら仕事を覚えたので、自分も先輩から教わった同じやり方でスタッフに怒鳴りながら指示を出していたのです。スクープ記事を取るために毎日怒鳴り続けていたように思います。いま思えば恥ずかしい限りです。

 週刊誌の後はアイドル誌や健康誌などを編集していたので、スタッフを怒鳴るようなこともなくなりました。しかし、知らず知らずのうちに、不平不満を言う癖がついてしまっていたのです。
 気が付いたらいつも愚痴を言っています。文句を言っています。悪口を言っています。もっと良い記事を作るためにということを口実にして、スタッフに悪態をついていました。

 そんな私が3年前に出会った本が、衛藤先生の『心時代の夜明け』です。

 その中の一節です。
 「カウンセリングをしていますと年齢と地位だけ重ねてこられて、自己確認もしてこられずに、心理的な成長を置き忘れておられる方々にたくさん出会います」

 心理的な成長を置き忘れてきたのは私だ! 読めば読むほど、自分のことを言われている個所ばかりのような気がしました。

 そして私は、日本メンタルヘルス協会の心理カウンセラー講座に通い始めました。『基礎コース・前編』を受け始めてから毎日が自己嫌悪の連続でした。

 私が仕事をしているときに発言していたことはYOUメッセージ(相手の言動を指摘するメッセージ)ばかりだ。講座を受けて、自分がこの年まで繰り返してきた過ちを知り、今まで私を支えてきてくれたスタッフに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 そして、他人の話をいかに聞いていなかったことか。他人の話を聞こうともせずに、いつも自分の意見ばかりを周りに押し付けていました。これって、離別感が持てなくて相手を責め立てているとういうことですよね。

 日本メンタルヘルス協会の講座を初めて受けたときに驚いたことがありました。それは、受講している人たちの笑顔の多さです。どうしてこんなに笑顔でいる人が多いのだろうか。すこし居心地悪さを感じ、すこし気持ち悪さも感じていました。しかし、グループディスカッションのときにそんな笑顔で話している人に囲まれて、とても元気をもらっている自分に気付いて驚きました。笑顔に接して、自分の気持ちが前向きに積極的になっていくのに驚いたのです。

 そして、次の週の講座に出席して、いちばん最初に素敵な笑顔で私を迎えてくれたのはスタッフの一人でした。そのスタッフの笑顔はとても素敵でした。その日私は、その笑顔に迎えられて、元気をもらってから講義を受けることができ、自分もずっと最初から最後まで笑顔を絶やさずに講座を受けることができました。

 いままで私は、仕事場で極力笑顔をさけていました。編集部で笑って仕事をしてはいけない。深刻な顔をして仕事をしていなくてはいけないように思っていたのです。私は笑顔が苦手でした。ちょっと澄ましたり、深刻そうな顔をしたりして仕事をしていました。そして、そんな過去を思い出して、いままでの自分をとても恥ずかしく思いました。

 その日から私は、そのスタッフの笑顔を真似することにしました。自宅で鏡に向かって笑顔を作る練習をしました。最初は無理して笑顔を作っていたと思います。ちょっと引きつっていたかもしれません。最初はとっても不自然な笑顔だったと思いますが。

 基礎コースも後篇に入ったときに、笑顔の素敵なスタッフが私に言ってくれました。
 「金森さんは、いつも笑顔が素敵ですね」

 そう褒めてくれた笑顔の素敵なスタッフは男性です。
 それまでの私でしたら、男性に「笑顔が素敵ですね」と言われても素直に喜んでいなかったでしょう。それどころか気持ち悪く思ったことでしょう。

 「僕にその気はありません!」
 しかし、たとえ、そのスタッフにその気があっても、私は素直に喜んでいたと思います。笑顔を褒められて、その時は飛び上がるほど嬉しかったのを思い出します。そう言って頂いたことに満面笑顔で喜び、そしてスタッフに感謝しました。

 そのとき、素直に感謝している自分にも驚きました。笑顔でいると他人に感謝することも素直にできるということにも気づきました。それまで私は、笑顔も少なかったのですが、他人に感謝することも少なかったと思います。それからは、私にとって笑顔は、感謝のIメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)をするための特効薬となりました。とにかく笑顔でいると感謝する気持ちになれるのです。そして何よりも、怒らなくなりました。腹が立つことに出くわしても、穏やかな気持ちでいられるようになりました。

 詳しくは書きにくいことなのですが、昨年の春に私は、会社から退職勧奨を受けていました。ちょうどこの講座を受け始めた直後から、その話し合いが定期的に会社の上層部と持たれるようになりました。その話し合いのなかで、かなり強硬に退職を迫られ、パワハラ的なことを要求してきました。

 そのときに、笑顔が私を助けてくれたのです。嫌な事を言われたら、無理してでも笑顔を作ることにしました。笑顔になることで、感情的にならずに救助のIメッセージを言うことができました。

 この退職勧奨は、ゲシュタルト心理学(焦点の当てかたを変える)的には、会社側の言動が私をイライラさせているのではなく、会社側の言動に、私が勝手にイライラしているのだと。そう考えることによって、退職を迫られたときに笑顔で対応することができました。

 そして、この「危機」に、この「悩み」に、すこしだけ感謝することもできました。
 『心時代の夜明け』からの引用です。
 危機という漢字は「危ない」という字と「機会」(チャンス)の機という字でできています。
 悩みは神様からの贈り物と考えてみてはいかがですか。より強くなるために、そして人に優しくなるための隠されたヒントが悩みにはあります。

 衛藤先生の講義を聴いているといつも笑顔になります。
 いつも笑顔にしていただきました。
 ありがとうございます。

 そして、衛藤先生の講義は感動します。
 ディズニーランドでお子様ランチを食べる話は最高です。何度聞いても涙が出てきます。この話を覚えようと思って『七田眞のCD対談』を買いました。衛藤先生の話し方を真似しようと思って、CDを何度も聞きました。でも、ダメです。衛藤先生の話に感動して、何度聞いても涙が出て、練習しようにも声にならないのです。

 日本メンタルヘルス協会の心理カウンセラー講座で、大変多くのことを学びました。しかし、頭でわかっていてもまだまだ実践に結びついていません。これからも再受講で衛藤先生の笑い溢れる講義を受けさせて頂きます。衛藤先生のライヴの講座の話に感動させていただくことで少しずつ実践に結びついていくのだと思っています。

 日本メンタルヘルス協会の皆さん、ありがとうございました。
 そして、これからも宜しくお願いします。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

毎週リピート受講(再受講)にお越し下さる金森さん。
 いつもニコニコしていて、笑顔がとてもステキな受講生さんです。

 レポートを拝見し、メンタルを受講するまでの金森さんを知ったとき、月並みな言い方になってしまいますが、今の金森さんからは想像できないものでした。

 メンタルを受講する前の金森さんをご存知の受講生さんが、レポートに書いてあるとおりなのですが、「以前の金森さんは、眉間にシワを寄せていつも怒っているような顔つきで、恐い人でした。偶然にもメンタルでお会いした時、最初は金森さんだとはわからなかったんです。そのくらい、変わっていらっしゃいました!」と話して下さいました。

 受講生さんの中には、このようにメンタルを受講する以前と、受講後の印象が大きく変わられる方が多くいらっしゃいます。

 衛藤先生いつも言われる言葉・・・「笑顔でいてください」「大人が笑顔でいなければ、子どもたちの夢を奪ってしまいます」
 「笑顔になれない」と言う人がいますが、「笑顔になろうとしていない」のですよ・・・

 私もメンタルを受講する前は、金森さんと同じように、「職場で笑顔でいることは不謹慎」と思っていました。「仕事は厳しくて当たり前」と教え込まれていたので、自分自身に対しても、部下に対しても完璧を求め、ミスをすればすぐに部下を怒鳴っている状態でした。もちろん、職場全体が常にピリピリしていて・・・でも、それが当たり前だと思っていたのです。

 この「当たり前」が、当たり前でなくなるとき、つまり、自分の「枠」がはずれたとき、人は大きく変わることができます。

 以前の自分は何にとらわれていたのだろう?・・・と、私もメンタルを受講して、自分の枠がはずれたとき、10年以上前の自分を、いともあっさり振り返っていました。
 上司や職場が自分を追い込んでいたのではなく、自分で自分を勝手に追い込んで、「辛い」「苦しい」と思っていたことに気づいた時でもありました。

 なので、金森さんのレポートを拝見した時、金森さんも同じように変化してこられたのだろうなと、とても共感できましたし、嬉しく思いました。

 「笑顔」でいるということは、自分の「心」が安定していないとできないことだと思います。
 周囲の人の言動にすぐに苛立ったり、冷めた目で物事を見ている状態で笑顔でいようとしても、それは「作り笑い」になってしまいますから・・・

 笑顔でいられるということは、過去の自分を受け入れ、自分の欠点やイヤな部分も「それも自分自身」と認められて初めて出来ることだと思います。

 研究コースを卒業したある受講生さんが、職場の部下にメンタルの体験ゼミナールを紹介する時、「まず、会場のスタッフの笑顔の凄さにビックリすると思うけど、怪しい所ではないから安心してね。本来はそれが普通のことなんだということが、わかってくるから・・・と、予め言っておくんです」と、それこそ笑顔で話してくれました。

 そして、「それだけ、普段笑顔でいない人が多いっていうことですよね・・・」と感慨深くおっしゃっていました。

 改めて「笑顔でいられること」の意味を考えさせてくれた、金森さん。
 これからも、そのステキな笑顔で、周囲の人に「幸せ」な気持ちを伝えていってください!!