私は9年前に3人の息子(当時、長男 大学生、次男 高校生、三男 五歳)を連れて離婚しました。7年前には最愛の父が他界し、その3年後には祖母が他界しました。
祖父に至っては20年程前に既に他界していましたが、私にとって最も辛かったのは、28年前に、たった一人の弟が事故で他界したことです。それ以来、私はその悲しみや寂しさに耐えるうちに、いつの間にか自分を“一人っ子”と言うようにさえなっていました。
弟を亡くしたショックは言葉には出来ません。
私には兄弟がいない(いなくなった)・みんな兄弟がいるのに私にはいない・私は不幸だ・・と28年間過ごしてきました。
あまりにも辛く悲しい出来事に、兄弟の話等はごまかし、避ける様になり、兄弟がいた事に自分で蓋をしてきました。蓋をこじ開けられない様にと鍵をかけてきた様に思います。
いまだに受け入れられない事実として存在しています。
28年経っても受け入れられない・・・いえ、正確には受け入れたくないから意識的に鍵をかけてきたのだと思います。
しかしメンタルの講座に通う様になり、弟がこう言ってくれている様に思えるようになりました。
もし明日命を落とす事になったとしても、「悔いはない?」「いい人生だった?」と聞かれた時に、「いい人生だったよ」「ありがとう」と言える様な生き方をしてほしいと・・・
弟が私に伝えたいメッセージがあるとするなら【楽しい人生を!!】という事ではないのかと・・・
自分がもっともっと生きたかった人生を、苦しみばかりに目を向けないで、楽しい人生を送ってほしい。笑っていてほしい。と・・・
弟が他界し、私一人に向けられた期待感や責任・・・私はその重圧にも蓋をしたかったのかもしれません。
でも今は、私は弟の代わりではなく私は私。私に出来る事を私らしくやればいいんだと考える様になり始めています。3年前には長男が結婚しました。
将来的に母も一緒に暮らせるようにと自宅を新築し、やっと私にも幸せが巡ってきたと思ったのも束の間、嫁の身体を病魔が蝕んでいたのです。
体調の異変を感じ、病気の存在に気が付いた時には、既に妊娠8ヶ月・・・病魔と闘いながらも、必死に新しい命を守り、無事出産を終え、その後すぐに手術でした・・・
しかし、その頃から長男と嫁の関係が悪化し始めました。
私は母子一体感(私とあなたは同じ)で問題を解決しようとしてきました。
私がこれだけの事をしてきたのだから、分かってくれて当たり前!普通そうでしょう!・・と、どんどん私の価値観を押しつけ、Youメッセージ(相手の言動を指摘するメッセージ)で伝えてきたのです。
その結果、長男とはケンカ別れの様な形となってしまいました。
今まで殆ど親に反抗する事なく、いわゆる「良い子」として育ってきた長男でしたが、本当は相当な無理をして、自分を抑え続けて生きてきたのかもしれません。
その結果、彼の中で限界を超えてしまい、親への不満が一気に溢れ出してしまったのでしょう。
私はそれに気付いてあげる事も出来なかったのです。
ちょうどメンタルに出会った時期が、その頃でした。
毎日ため息をつき、イライラし、ほとんど笑うこともない時期だったのです。
私は、長男の話を聴こうとせず、何でわからないの! 何で!!何で??と、私の価値観ばかりを伝え続けていたのです。
メンタルを受講し、私は【聴く】ことが全く出来ていなかった事に気付かされました。
正そう正そうとするばかりで、全く解ろうとはしていなかったのです。
長男に関しては、小さい時から安易に答えを与え、私が人生のレールを敷き過ぎてきたのかもしれません。
私の枠に収めようとし続けた結果、長男から前向きな努力や積極的に人生を切り開こうとする姿勢を奪ってきたのかもしれません。
メンタルでABC理論を耳にするまでは、A(出来事)がC(感情)を作ると思っていました。
しかし、AとCの間にはB(受け取り方)があり、受け止め方こそが落ち込む原因を作り出し、受け取り方によってその感情が生まれるのだと知りました。
そしてビリーフ(受け取り方)修正する事により、出来事をどう捉えるかによって世界が変わるのだと知った時には、衝撃的でした。
メンタルを受講することで、私はイラショナルビリーフ(思い込みに基づく受け取り方)が相当強かったのだということも、痛いほど分かりました。これまでの私は○○しなければならない、○○はこうあるべきだ・・・そうやって40年以上生きてきたのです。
長男とは不健全なふれあい(母子一体感)であった事も、当然痛いほど分かりました。
母子一体感からの脱出をし、一人で生きられる様に・・・それが私と長男が幸せになる道なのだと、今はハッキリと分かります。
相手には相手の、自分には自分の考え方・感じ方があるのだと離別感を持って接していこうと思います。
そしていつか長男とも分かり合える日が来て、また一緒に笑える日が来ると私は信じています。
最愛の父との別れ・・・
それは突然やってきました。
父が、何万人に一人という難病に冒されていたのです。
病名が分かった時に、医師からは「長くて2年~3年でしょう」と余命宣告をされました。父は自分の病名を知りませんでしたが、治る見込みのない事、特殊な病気である事は察知していたようです。
「俺が死んだら、先生に解剖してもらってくれ。俺と同じ様に苦しむ人が、一人でも少なくなるように、俺の体を役立ててほしい」と・・・
父は主治医にも、同じ様に話をしていたようです。
父の最期の朝・・私は熱を出していた三男を母に預け、仕事に出掛けて行きました。
もし私が仕事さえ休んでいれば・・・父の病院へ行く時間を少しでも多く母に作ってあげていれば・・・もしかしたら最期の瞬間に間に合ったのではないか・・・
この自責の念による苦しみが7年間、私を支配してきました。
最愛の父に私は何をしてあげられたのだろうか・・・と・・・
解剖を承諾した事で、父の最後の思いを汲み取ったのだと思い込んでいるだけかもしれません。でも私は、まだ生きていたかった・やりたい事があったであろう父と弟の分も生きる為に、“今”“この瞬間”を大切に生きていきたいです。
幸も不幸も、すべて自分の中(心の中)にあるのですよね・・・
私はメンタルに通うようになった事で、少しずつ気持ちが楽になれました。
心が洗い流されていく様でした。
メンタルに通っていれば、不幸な出来事が起こらない訳ではありません。
ですが、それが起きたときの捉え方、受け取り方で人生が変わる、苦しくなるのも楽しくなるのも自分の心次第という事が分かった今、幸せを感じながらこれからの自分の人生を作っていきたいです。
心が私を作っていて、心で思い込むことが身体にも性格にも影響しているのだと分かったのだから、いい思い込みをする様に心掛けていきたいです。
暗示の力で、なりたい自分になっていくのも可能ならば、自分にいい暗示をかけ、なりたい自分を想像し、こんな人になりたいという人の真似をしてキラキラと輝いていられる自分を目指したいです。
無いもの、足りないものに焦点を当て、それを補う事ばかりに目を向けず、既に目の前にある大切な事をみつける為に、物事や周囲の良いところに焦点を当てる意識をしていきたいです。私は今回、次男と一緒にメンタルの講座に参加させてもらっています。
次男が感謝のIメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)を伝えてくれました。
「木の上に立って見ていてくれたおかげで、人生驚きの連続です。些細なことにも新たな発見があり、また次の発見へと繋がります・・・ありがとう。
これからは木の上に立って見ているだけでなく、時には空を見上げて翼を広げて飛び立って下さい。・・・ありがとう」と・・・
思わず涙がこみ上げてきました。
これが次男から私への感謝と同時に、私の背中をポンと叩き、「頑張れ」、「これからは自分の為に生きてほしい(生きて良いんだよ)」という応援メッセージの様に聞こえました。
私よりもずっと大人で、ちゃんと私の事を見ていてくれて・・・こんな事を言ってくれるまでに育ってくれた息子の成長を本当に嬉しく思いました。
そして中学2年の三男からは、「メンタルに行く様になって、何となく変わったね」と言われました。
が「どんな風に変わった?」と尋ねると、笑いながら「何となく・・・でも話し方も少し変わったし、楽しそう」と・・・
そう言われてみれば、ため息をつかなくなったし、子供の話を聞いて笑っている自分がそこにいました。
メンタルに通う前の私といえば、毎日ため息をつき、イライラして子供の話もまともに聞いていませんでした。
正確に言えば、聞いてあげる心の余裕すら無かったのです。
本当に反省しています。これからは話をよく聞き、安易に答えを与えず、自分で考え行動出来る子に育つ様に見守りながら支援していきたいと思います。
私が父の事を「立派な父だった。尊敬できる父だった。父の子に生まれてきて本当に幸せだった。」と思っている様に、息子達からもそう思ってもらえる母親になれる様に努力をしていきたいです。
自分自身を好きになれる様に・・・キラキラ輝いていられる様に・・・私らしさを大切にしながら肩の力を抜いて頑張っていきたいと思っています。
最後に私にメンタルを紹介し、体験に連れてきてくれた友人に心から「ありがとう」と言いたいです。
衛藤先生をはじめとして、先生方、スタッフ・ボランティアの方、そして一緒にグループディスカッションをして下さった皆さんにも、感謝しています・・・ありがとうございました。
また、いつも「母子一体感に囚われている」と私を笑いながらも、暖かく励ましてくれている次男と、まだ中学生なのに、いつも私を笑顔で「いってらっしゃい」と、気持ちよく送り出してくれている三男にもお礼を言いたいです・・・「ありがとう」