Home 受講生の感想レポート 幸せであるということに気付けたことが何よりの幸せ
幸せであるということに気付けたことが何よりの幸せ

福岡校  野崎 優花さん(37歳 女性)


37歳、独身、派遣社員、休日の予定なし───。

この現状にあせる日々・・・。
同年代の女性ならほとんどみんな持っている家庭も子供も、私にはない。かといってバリバリのキャリアウーマンというわけでもなく、ましてや正社員ですらない。デートする彼氏もいなければ、休日にわざわざ約束して遊びに出かけるような友達もいない。

自分が何をやりたいのかさえわからず、ただ過ぎていく毎日を淡々と過ごしているだけ・・・。
このままでいいのだろうか・・・?私の人生、こんなはずじゃなかった!
かつての私は友達もいっぱいいて、夢があって、いつも輝いていたのに・・・。

幼少期から十代の頃までの私はいつも元気いっぱいでみんなの人気者。友達もたくさんいて、毎日がとても楽しかった。究極のプラス思考でいつも目一杯気を遣い、そして目立ちたがり屋のお調子者。真面目で常に一生懸命な完璧主義者。とにかく自他ともに認める努力家で、できない事など何もなかった。

二十代の頃の私は某劇団の女優をしていた。有名女優の付き人をしたり、公演で全国をかけまわっていた。幼い頃からずっと憧れていた舞台の世界。お財布の中はいつも2~3百円だったけど、でもそんな世界に自分がいられるというだけで幸せいっぱいだった。
結婚し子供ができていく周りの友人の事などうらやましいはずもなく、私はダンスに歌に劇団の稽古に、と充実した毎日に喜びを噛みしめて過ごしていた。

しかしそんな気持ちとは裏腹に、劇団では頑張っても頑張ってもなかなか認めてもらえず、怒られ続ける日々。徹夜で練習し、空いた時間はアルバイトに明け暮れる毎日・・・。
そんな心身ともに休むことのない生活が長く続いたため、私の体はついに破綻してしまった。何事にも恐怖心が芽生え、萎縮してしまって人の顔色ばかりを気にするようになった。自分を出すことはもちろん、人と関わることすら怖くなっていった。いつしか私は自分自身を失ってしまっていた。大好きだったはずの芝居でさえ、怖くてできなくなってしまった。

当時の私は体重もかなり落ち、心身ともに疲れ果ててボロボロだった。いろんな病院で検査をしまくったが、これといって悪い所は見つからず、「ストレスですね」と言われるばかり・・・。当然稽古にも

行くことが困難になるが、休むなんてあり得ない。ここでも私の真面目な一面が顔を出す。いっそ大きな病気にかかりたかった。そうしたら稽古を気兼ねなく休めるのに・・・。

そんな時に都合よく劇団内に私の重病説が流れた。私はどうやら癌ではないかと噂されていた。そして───気付いたら私はその噂を本当だと認めてしまっていた。ギリギリの精神状態から出た、その場しのぎの一言だった。

しかしその後、その一言に私はずっと苦しめられることになる。私は仲間に、そして自分自身に大変なウソをついてしまった。実際にその病気で苦しんでいる人にも申し訳なくて、その罪悪感に余計に苦しんだ。

そして私は親しい人にさえ、会うのがイヤになっていった。友達の前でも私は常に元気な自分で接さなければといけないと思い込んでいた。こんな状態の自分では申し訳ない。だから自分の気持ちにウソをついて、あたかも自分は夢を追いかけて楽しいふりをしていなければならなかった。そんな大ウソつきな自分がどんどん嫌いになっていった。だんだんと人付き合いが面倒になり、誰ともさしさわりのない付き合いしかしなくなっていった。自分を見せないから当然のごとく、そのうち相手からも受け入れてもらえなくなっていた。そして、気付いたら周りには誰もいなくなっていた・・・。

喪失感と罪悪感───。

今考えると、これが私のウツの始まりだった。
生きているのも辛かった。あろうことか死ぬことばかり考えていた。自殺する勇気がなかったのではなく、育ててもらった両親に申し訳ないという理由から自ら命を絶つことはやめようと決めていた。しかし大事故や天災、戦争など不幸な出来事によって自らが殺されることをずっと望んでいた。それが自殺よりも両親が納得せざるを得ない死に方だと、当時の私は私なりの勝手な理由付けをしていた。でもそれは両親を悲しませたくないのではなく、本当は自分が親を悲しませるような親不孝な娘になりたくなかっただけではなかろうか・・・?

今考えると、かなり自分勝手で恐ろしい。なんせ自分一人の弱さとズルさのために、世界中の人を巻き込んでしまう地球破滅のような大それたことまでを本気で望んでいたのだから・・・。

その後しばらくして精神的にも体力的にも回復し、新たに仕事を探すことになる。この時すでに32歳。年齢的にも手に職がないと再就職は厳しかった。ハローワークで職業訓練校の存在を知り、勉強することになった。
私の再出発。訓練校での一年間は何もかもが新鮮でとても楽しかった。友達もたくさんでき、私はいつしか元の元気いっぱいの私に戻っていた。そしてそんな楽しい学校生活の中で、私は運命を感じる王子様に出逢うこととなる!!


彼はとても優しく何でもできて、とにかくかっこよかった。私にとって何よりも大切な存在だった。彼は統合失調症だったが、私は彼と一緒にいられるだけで本当に幸せだった。何も知らない私は医者でもカウンセラーでもないくせに、本気で自分の愛の力で彼の病気を治せると思っていた。おそらくこの時私に始めて心理カウンセラーに対する興味が芽生えたのだと思う。

ここでも頑張り屋の私が全開になり、とにかく彼に尽くしまくった!しかし付き合い続ける中で、彼に対して自分の感情をぶつけるようになってしまった。それが彼を苦しめてしまった。そして彼の病状は悪化した。そして私のウツも見え隠れし始めた。そんなことから彼と急に連絡が取れなくなり、彼は私の元から完全に去ってしまった。

ここでまた味わう喪失感と罪悪感───。

痩せ細った私が助けを求めて訪れた場所は、ずっと拒み続けていた診療内科だった。

───あれから2年。実は私は、微量ではあるが今も精神安定剤を飲み続けている。しかしメンタルに通い始めて、薬の量は明らかに減ってきている。確実に自分の力で毎日を楽しめるようになってきた。この調子で行くと、薬からの卒業までそんなに長くはかからないだろう。

彼が去って行った後、失恋のショックから立ち直ろうと、とにかくたくさんの成功本や自己啓発本を読みまくった。
そこでひすいこたろうさんの本「Happy名語録 一瞬で人生が変わる!」に出会い、日本メンタルヘルス協会を知ることになる。ただ、当時の私にはまだメンタルの門をたたく元気も、精神的余裕も持ち合わせてはいなかったが。

その後、派遣社員として今の事務の仕事につき、時間の経過と共にそれなりに楽しく過ごせるようになってきていた。ただふと、「私の人生はこのままでいいのかなぁ」と考え込むことがよくあった。

昨年の3月頃、書店で目にした一冊の本。日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーの中越裕史さんの「いまの仕事で本当に幸せになれますか」
まさにその時の私の心境のタイトルだった。そして私はその本で再びメンタルヘルス協会、並びに衛藤先生の名前を目にすることとなる。

さっそくホームページをチェックし、すぐに体験講座を申し込んだ。この勇気を出して踏み出した新たな一歩が、これまでの私の考え方をガラリと変えた。感動!感激!久しぶりに心の底から笑えた気がした。心の中の暗闇がすう~っと晴れて、なんか救われた気がした。すぐに衛藤先生の大ファンになった!ずっと私も輝きたかったんだということを思い出した。私の人生の目標のようなものが、うっすらと見えた気がした。


「衛藤先生のようなみんなから愛され、信頼されるカウンセラーになって、多くの人を救いたい。そして衛藤先生のようにキラキラ輝く講演もしたい。」
夢も希望も忘れかけていた私が、衛藤先生のキラキラ輝く姿に魅せられ、心動かされた瞬間だった。おそらく私は恋する乙女のようなまなざしで衛藤先生の講座を聞いていたにちがいない!

今まで私が歩んできた大学時代の塾講師のアルバイトの経験や、人前で演じる役者の仕事、統合失調症の彼との出逢い、ウツでの闘病生活など、それらはこれからのカウンセラーとしての私の人生にすべて必要だったからこそ、経験させてもらえていたのだと感じられるようになった。だから今では数々の辛かった過去もきちんと受け入れ、感謝できるようになった。

そして私がメンタルで学ぶ中で最も強く気付かせてもらったのは、両親への感謝の気持ちである。私は幼い頃から何不自由なく、愛されて育ててもらってきたんだなぁと改めて実感した。彼らは私がどんな状況の時も私を応援し、温かく見守っていてくれていた。

劇団の公演のチケットも、知り合いに声をかけてたくさん買ってくれ、近所の人を誘って観に来てくれた。
私が劇団関係者と駆け落ち寸前で同棲を始めた時も、猛反対だったにもかかわらず、「辛かったらいつでも帰っておいで。生活が苦しいだろうから。」とお金が入った手紙を受け取ったことがあった。ありがたくて涙が止まらなかったのを今でも記憶している。

私がウツでどこにも行けず、仕事も決まらず家に引きこもった時も、何も言わずそっと見守っていてくれていた。
私は今もこの両親の元から仕事に通わせてもらっている。37歳にもなって嫁にも行かず、こんな自由奔放な私のことをいつも笑顔で出迎えてくれる。

そして今は離れて暮らしているけど、私にはとても優しくて頼りになる大好きな姉もいる。いつもそばで私を癒してくれる犬も猫もいる。

彼氏も旦那も子供もいないけど、私にはこんなにも素敵なかけがえのない家族がいてくれる。それがいかに幸せなことかということに気付かせてもらえた。

今までは無いものばかりを数えてさみしがったり落ち込んだりしていたけど、私はいかにたくさんの人達に囲まれて幸せなのかということに気付くことができた。そして感謝の気持ちでいっぱいになった。だからこそ、今ある幸せを大切にしようとも思うことができた。幸せであるということに気付けたことが何よりの幸せである。

また最近は、一人での時間も思いっきり楽しめるようになってきた。以前なら一人ならどこにも行か


なかった私が、今ではずいぶんたくましく、興味を持ったことには一人でも積極的に行動できるようになった。そしてどんな状況下におかれても、その状況を楽しめるようになった。
確実に来る死への残り時間を無駄にしないよう、今を精一杯大切にしっかりと味わって、人生を楽しもうと学ばせてもらえたから。

これからは友達とも、もっと積極的に付き合っていこうと思う。久しぶりに恋愛もしたい。結婚だって子供だって、まだまだあきらめたわけではない!
最近、どっこい生きてやれてる気がしてきている!
そして今ではそんなたくましい自分のことが、とても頼もしくて大好きになれた。毎日も楽しく生きられるようになった。

人や国が争ったりすることのない平和な世の中が訪れて欲しいと心から思う。われわれの住む地球も守りたいと心から思う。
そして微力でも何か社会に貢献することがしたいと真剣に思っている。
───う~ん。私もなかなかいい人になってきた気がする(笑)!
そして、そんな自分が大好きである!
これからの人生もとても楽しみである!
そういうわけで私は今、とってもHAPPYである!!

このようにメンタルに通わせていただいて、私は本当に多くのことを学び、何度も救われました。何気ない幸せを感じることのできる心を手に入れることができました。そして数多くの大切なことを気付かせてもらいました。

今まで誰にも話したことのない私のこれまでの人生を、今ここでこうしてここまではっきりと自己開示できている自分に、正直驚いています。

世界中の人がメンタルヘルス協会の教えを学べば、きっと戦争や凶悪な事件などの争いごとのない、平和な世の中になるような気がしてやみません。

私は日本メンタルヘルス協会に出逢えて、そして今日もこうして生きることができて本当に幸せです。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

野崎さんは福岡校の受講生さんなので、直接お会いすることは少ないのですが、
お電話でよくお話しをさせて頂いています。
電話口での彼女は、いつも明るく、本当にメンタルの受講を心から楽しんでくれていることが、
よく伝わってきます。
野崎さんのレポートを拝見して、今のこころからの笑顔は、
今までの色々な経験があったからこそなんだな、と改めて思いました。

野崎さんと同年代の女性の受講生さんとお話ししていると、野崎さんと同じように、
10代、20代の頃、完璧主義で仕事も恋愛もとことん突き詰めていく。
思う結果が出ないと、「自分がなまけているからだ」と思い込み、さらに突き進んでいく・・・
その結果、身体と心が悲鳴をあげ、いつの間にか笑う事ができなくなってしまった・・・
そういう方がとても多いと感じます。

実は私自身もその一人でした。学生時代は勉強もスポーツも誰にも負けないよう、人一倍頑張り、
母親や先生から誉められることで自分の価値を見出していました。

社会人になってからも変わらず、「この仕事がやりたい!」から頑張るのではなく、
上司から評価されるために仕事を頑張っていたため、ミスが発生して注意をされると「
自分はダメな人間なんだ」と自分自身のすべてを否定されたように思い、落ち込み、
そこから這い上がるために、またとことん仕事をしてしまう・・・
そんな生活を10年ぐらい続けていた時、円形脱毛症になり、ストレスが原因とされる
甲状腺の病気で体重が10kg以上落ちていきました。

今から思えば、明らかな心身症なのですが、当時の私は自分の身体をいたわることなく、
「出来ない自分が悪い」とさらに追い詰めていきました。

幸い、身体の症状がそれ以上ひどくなる前に、人間関係のもつれからその職場を退職することになり、そして、メンタルの講座に出会ったのです。

「他人と比較してしか自分の存在価値を見つけられない人は、
自分自身は何者という、アイデンティティがない人です」と講座で聞いた時、
まさしく今までの自分だと気づきました。

自分自身の中にブレないものが出来上がっていないから、自分に自信がもてず、
周囲が自分をどう見ているかが気になり、周囲の評価で自分が一喜一憂してしまう。
「人は人。自分は自分。」と思える人こそ、本当の強さを持った人・・・
メンタルでたくさんの気づきの言葉に出会いました。


野崎さんも、メンタルを受講していく中で、他人との比較で自分の価値を見出すのではなく、
「自分は自分」と思えるようになり、その時に周囲を見渡してみると、
ご両親がどんなに自分を愛してくれていたか、
どんなに自分の存在価値をしっかりと認めてくれていたかに、
気づかれたのだと思います。


今の野崎さんはもうしっかりと自分の足で立ち、しっかりと自分の人生を歩まれている・・・
レポートを読み終えた時、私はそう思いました。

野崎さんがこれからも、自分の人生を歩んで行かれるよう、いつも応援しています!!

そして、私自身を振り返る切っ掛けをくれた、ステキなレポートをありがとうございました。