パンドラの箱を開けた私。 |
大阪校 佐藤 晶子さん(57歳 女性) 日本メンタルヘルス協会の講座を受け始めて早二ヶ月、この日は私が一番受けたかった講座。「どんな時も自分をコントロール出来る魔法の暗示」。ん?社会最適応評価尺度…む、むずかしい・・・。 でも衛藤先生の巧みなお話に引き込まれ、笑ったり泣いたり…本当に楽しい。 これまで引きずっていた自分の辛い思い出、この日学んだ生活変化単位値でいうなら、どれだけの値が出るのか・・・。
遡れば6年前、その頃の私は夫の役員昇進や長男の就職など、家族を見守る主婦としては幸せに包まれた日々で、それがずっと続くと信じて疑いもしませんでした。そして、まさかその時に開けてはならないパンドラの箱を開けてしまっていたことなど気づきもしませんでした。
職場の健康診断がきっかけで夫が肺ガンを発病していることが分かりました。初期だから大丈夫という医師の言葉とは反対に、手術・抗がん剤投与と治療の甲斐もなく、程なく再発・・・既に脳にも骨にも転移した末期の状態でした。 「今度のお正月が最後です。」 別室に呼び出され、担当医からそう言われた時、私は意識が遠のくのを感じながらも、「夫には余命宣告をしないで下さい。」と泣きながらお願いをしました。
でも、せっかく家族が揃ったのです、何かしなければ・・・私たちは気を取り直し、夫が喜ぶことをしようと、最後の家族旅行を計画しました。とは言え、もうその時点で夫はベッドから起き上がることさえ出来なくなっていました。
無謀なことだと分かってはいましたが、私たちはリハビリの先生にお願いして、夫をベッドから車椅子に移動する方法など、必要なことを教わりました。それからサポートが必要な人でも入れる温泉がある宿を探し(淡路島にありました!)、車椅子のまま乗り込めるレンタカーを手配し・・・それは父の日の一大イベントとして決行されることになっていました。
私たちは、つかの間の幸せな時間を過ごしていました。夫はもちろん、家族全員、協力して下さったリハビリの先生まで「父の日、晴れればいいですね!」とその日を心待ちにしていました。 そんな矢先、夫の様子がおかしくなりました。看護士さんに「明日出張に行くから飛行機の手配を頼む」と言ったり、会社に電話して部下の方に訳のわからない指示をしたり・・・夫は脳に水が溜まり痴呆症のような状態になっていたのです。 「あと一週間ほどしか持たないでしょう。」
「ああ美味しい!」嬉しそうにすき焼きを食べる夫を、私は涙をがまんして見つめていました。ただ、案の定、夫はお腹を壊しその日のうちに病院に戻ることになりましたが・・・。
それから、今まで以上に辛い日々でした。いつ容態が急変するかわからない夫の最期を看取る為、病院に泊まり込んで一ヶ月程が過ぎ、私たちは疲れきっていました。
そんな中、長男は夫の会社の関連企業に就職させていただくことになり、ホッとしたのも束の間、いろいろなストレスから精神的に追い詰められた状態に陥っておりました。なんとかしなければと思いつつ、その時の私には考える余裕もなく日々が過ぎていきました。 季節が秋に変わろうとするその日、私と長女は長男の気持ちが少しでも和らぐよう、長男の好きな焼肉を一緒に食べに行く計画をたてました。会社帰りに病室に寄った長男を誘い、
酸素吸入のマスクをつけた夫は、私たちに「ありがとう」と言いました。 それが、私たちが最後に聞いた夫の言葉になったのです。
翌朝になり、病院に向かおうと家を出ようとした時、看護士さんから「出来るだけ早く来て下さい!」と電話が入りました。慌ただしく車に乗り込み、いつものように高速を走っている途中・・・「今、息を引き取られました。」という看護士さんからの電話。 結局、私は夫の最期を看取ることもできなかった。
夫は生前「止まない雨はないんだ、頑張ろう!」とよく言っていました。でも、雨は降り続きました。そしてそれからも、嵐のように降り続きました。
心の空白が埋まる間もなく、長男の様子がおかしいということで、私は長男の上司に呼び出されたのです。紹介された心療内科で診断してもらった結果、長男は「統合失調症」とのこと。しかし、私はその診断に疑問をもっていました・・・。
「何故?」
そんな時、友達のすすめもあって参加した日本メンタルヘルス協会の体験講座。
私は、何故パンドラの箱を開けてしまったのでしょうか・・・。
その当時、流行っていた言葉に「勝ち組」という言葉がありました。
今思えば、亡き夫には「YOUメッセージ(相手の言動を指摘するメッセージ)」ばかりを伝え、夫の優しさに気付こうともしていませんでした。してもらうことが当然だった私は、夫に甘えていただけでした。 メンタルの講座の中の「母子一体感(子どもがお母さんは自分のことを言わなくても分かってくれる、自分の思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘えや依存心のこと)」や「離別感(相手と自分は違う存在であると認めること)」という言葉が心にささりました。 私は長男の価値観をちゃんと受け入れてあげられていたのだろうか・・・
心が疲れた時は「情動発散」、アホになればいい・・・。
これからも講座で学んだことを生活に活かしながら、日々心豊かに過ごしていきたいと思っております。
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