ストレスが病になるメカニズムを知って─ ” 知らないことの罪 ” |
大阪校 喜多 裕さん(30歳 男性)
バタンッ! 午前8時12分、身動きがとれないくらいに混み合う電車の中で、スーツ姿の男が倒れた。その日も会社に行くところだった。彼は意識を失っていた。そして、駆けつけた救急隊員にタンカに乗せられ運ばれていった。 その彼とは1年6ヵ月前の私。あのとき、精密検査後に言われたセリフは忘れられない。輪切りになった私の脳の3D画像を観ながら、院長が言った。「ほらここ、この灰色のところ。これ脳梗塞のアトなんだよね」。その言葉を聞いて、背筋がゾッとした。 当時29歳。
もっと稼がなければ、もっと出世しなければ、もっと成功しなければ…。これも足りない、あれも足りない、全然足りない…。もっと働かなければ、もっと頑張らなければ、もっともっと…。もっと収入があれば、子どもたちがより良い教育を受けることができる、家族が豊かな生活をすることができる。凄い肩書をもっていれば、成功していれば、評価され称賛される、たくさんの人に認めてもらえる、自分を認めてもらえる。それが幸せなんだ、以前の私はそう思いながら、それを信じながら毎日を過ごしていた。
しかしその後、死ぬということを強く意識するようになった。生きていてラッキー、今日が人生最後の日かもしれない、やりたいことをやろう、そんなことを思うようになると、「以前の自分のように思い悩み苦しんでいる人たちに、人生を楽しく生きてもらいたい、生きているって素晴らしいことなのだと気づいて欲しい。そのために何ができるのだろうか」という想いがふつふつと湧き、心理学を学ぼうと思った。
体験、前編コースと進み、後編コースで『健全なふれあい(1人で人生を楽しんでいく)のための「3つの法則」』を知り、死ぬということを意識して考えること、私にとってはあの体験が「死を学ぶ事を通して生を見つめなおす」まさしく『デスエデュケイション』だったのだと思った。
最初のうちは、もっと早くに心理学を学べばよかった、とも思った。そうすれば、あんなにも仕事や人間関係に思い悩み、重く苦しい日々を過ごさなくてもよかったのに。しかし、考え方を少し変えてみると、毎日仕事に人間関係に悩み苦しんでいたあの日々があったから、心理学を学ぼうと思えたのだ。
それに悩み苦しんだ実体験があるからこそ、自分の言葉で人に伝えることができるのかもしれない。実体験があるからこそ、伝わるものだってあるだろう。そう考えてみると、あの重く苦しかった日々が後悔の日々ではなく、とても貴重な経験なのだと思えてくる。
出来事はひとつ、過去は変えることはできない。でも、自分を変えることはできる、出来事の受け取り方を変えることはできる。受け取り方が変われば感情が変わる。アルバート・エリスの『ABC理論』を学び、私の受け取り方、自分自身のビリーフ・システムが変わってくのをリアルに感じた。
前編コースの第1回目、命令や助言、質問、同意といったコミュニケーションの障害となる12パターンがスクリーンに映し出されたとき、「これ全部がダメなら何を話したらいいのだろうか、何も話せなくなるのではないだろうか」と考えてみたが、何も思い浮かばず頭の中が真っ白になった。今思えば「何を話せば」と考えていて浮かぶわけがない。
当時の私は相手から何か相談をされた時、「何かアドバイスを、何か相手のためになるようなことを、どこに原因があるのか」などと自分自身が話すこと、伝えることばかりを考えていた。「人間の口は一つで耳は二つ、自分が話すより倍相手の話を聴くようにできている」という衛藤先生の言葉が心に響いた。
今までの私は、上手く話すことや効果的に伝えることだけにとらわれ、聴くことについて意識することがなかった。「耳の横に十四の心をいれて」聴いたことがあったのだろうか、恥ずかしながら皆無に近いと思う。
『アクティブ・リスニング(能動的な聴き方)』『パッシブ・リスニング(受動的な聴き方)』を学んでからは、相手の話を聴くことを大切にしようと心がけている。するとすぐに、ある大きな気づきがあった。 相手がまだ話をしている途中なのに、私は相手の話に対して質問や助言をしようとしていたのだ。 驚いた。それも一度や二度ではなかった。今まで、自分がいかに人の話を最後まで聴いていなかったのかを痛感した出来事だった。 それからというもの、聴く、ということは特に意識している。相手の話をよく聴こう、興味を持って聴こう、そうしていると、今まではまったく気がつかなかった相手の目の動きやわずかな表情の変化に気づくことがある。その時に、衛藤先生の「耳の横に、心+目なんです」という言葉を思い出している。
『I love you because you are you.』 あなたがあなただからこそ、私はあなたを愛している。凄いことを成し遂げたから、たくさんのお金を稼いだから、いい学校に合格したから、有名な会社に勤めているから、凄い肩書をもっているから、たくさんの人に評価されているから、だからあなたが好きなのではない。あなたはあなたでいいのです。あなたがあなただからこそ、あなたを愛しているのです。
正直いって、耳が痛い言葉でもあったが、それ以上に心に深く響く言葉だった。あなたはあなた、私は私、あなたはあなたでいいんだ、私は私でいいんだ。この言葉に、人間関係やコミュニケーションの理想像を見た気がする。一人一人がお互いに非難や批判をするのではなく、それぞれ相手をありのままに受容する、そうすれば争いなど起きようがないのかもしれない。
いや、そうそううまくいかないからこそ、人と接し生きることは面白いものなのかもしれない。これもゲシュタルト療法(物事の焦点の当て方を変えていく)かな…などと、このレポート書きながら改めて自分自身を振り返り、また更に頭の中で様々な考えや想いが生まれてくるのを感じる。心理学を学ぶって面白い。
凄いことを成し遂げるんだ、もっとお金を稼ぐんだ、そんな風に上だけを見ていたらキリがない。夏の甲子園、最後まで負けない高校は優勝校の1校だけ。以前の私のように、勝つことだけがすべてだという考え方だと、優勝校以外はみんな負けたのだから価値がなく意味のないものになってしまう。そうじゃない、甲子園を、野球を楽しむということは、この試合、この打席、この1球を全力で楽しむことなのだと思う。そして、試合に勝てたら、それはまた楽しい。
私は、今この瞬間を楽しむことと、今に満足することが同じことだと思っていた。楽しむことと、楽をすることを混同していた。 人生を本当に楽しんで生きるということは、今、ここ、この瞬間を全力で楽しんで生きるということなのだと思う。正確には、そう思うようになった。そして、人に認められたりすれば、それはまた楽しい。
価値観は多種多様であり人それぞれなので、私の価値観を人に無理やり押しつけようとまでは思わないが、私の話で、誰かの心が少し軽くなったり、元気がでたり、何かに一歩踏み出す勇気がでたりすれば、私はとてもうれしい。 別に今すぐにではなくても、いつか思い出してくれたり、思い出さなくても何かの小さなきっかけになっていたりすれば、それでも私はうれしい。 『ゲシュタルト療法』『森田療法』を学び、以前の私は多くの大切なことに気づいていなかったことを知った。足りていないことにだけ焦点をあてていた。今足りていること、今ここにある幸せに気づいていなかった。気づいていないのだから、当然感謝もしていなかった。 自分自身を振り返ってみると、今ここ、この瞬間にたくさんの幸せがあることに気づくことができる。
今日も子どもたちが元気でいることにありがとう。 今日も健康なことにありがとう。 健康な体に産んでくれ、育ててくれた親にありがとう。 今日も御飯を作ってくれる妻にありがとう。
それでも、感謝の気持ちを忘れてしまっていることがよくある。でも、それでもいい。完璧にやらなければ、そう思っているうちは何もできない。 人間は不完全だし、不完全だから面白い。できる範囲で感謝をし、その気持ちを伝えていこうと思う。そうしていると、できる範囲が大きくなっていくのだと思う。 今、私がこんな風に思えるのは誰のおかげだろう。フリッツ・パールズ博士にありがとう、森田正馬教授にありがとう、衛藤先生にありがとう、メンタルのスタッフさんたちにありがとう。
基礎コースを受講し終わった今、こうして振り返ってみると、自分の考え方や感情が徐々に変わっていたような気がする。 毎週のことだったので、自分自身では変わっているという感覚がほとんどなかった。 「カウンセリングを受けるよりセミナーを受けることを勧める」と言っていた衛藤先生の言葉の意味がよくわかる気がする。 私自身、セミナーで学ぶと当時にカウンセリングを受けていたようなものだ。
前編・後編コースともにすべて受講してから、前編コースの再受講をした時に思ったことがある。 ロジャーズのアクティブ・リスニングから始まり、Iメッセージ、ハーフ・アンサー法、論理療法、音楽療法、自律訓練法、ゲシュタルト療法、森田療法、トランスパーソナル心理学など、様々な心理療法や心理学のほんのさわりだけを知ったが、そのほとんどすべてに共通する大切なことは受容することなのではないかと感じた。どんな素晴らしい療法も、あなたはそう感じている、あなたにはそう見えている、そのことを否定してしまっては元も子もない。 だから、前編コースの第1回目の内容がロジャーズ博士の「相手の問題を解決に導く聴き方」なのだと思う。
『I love you because you are you.』シンプルだが非常に深い言葉だと思う。そして私の好きな言葉になっている。
「知らないことは罪である」という衛藤先生の言葉は重たかった。 また、受講している時にふと思ったことだが、見えないもの、分からないものには人は不安や恐怖を持つみたいだ。 大脳新皮質、大脳辺縁系、脳幹などの働き、ストレスが病になるメカニズムを知って、たとえ実際に見えなくても理論や理屈を知っていたり、何か名前がついていると人は安心するものなのだとも感じた。
聴き方、Iメッセージの伝え方、脳幹、大脳辺縁系、大脳新皮質の働き、そういうことをほんのちょっと伝えるだけでも、心が軽くなる人がいるかもしれない。 それだけでその人が救われたり、人生を楽しく生きるきっかけになったりするかもしれない。 すぐにはそうならなくても、しばらく時間がたってから、1年後や5年後、10年後でもいい、「そういえばあのとき、あいつ何か同じようなこと言ってたな。あの時は分からなかったけど、こういうこ
とだったのか」と思ってもらえる日がくるかもしれない。
しかし、何も知らなければ何もできないし何も言えない。「知らないことは罪である」。それは見えない罪なのだと私は思う。今は、心理学をもっと知りたい、学びたいと思う。 メンタルで心理学を学ぶって、本当に楽しくて面白い。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:乙川 |
仕事や人間関係に苦しむ日々。 脳梗塞という死を強く意識する大きな出来事。 色々な苦難を乗り越え、更にメンタルで心理学を学んだことで、今までの辛い苦しい過去も後悔ではなく、自分にとって貴重な必要な体験だったと思える今。 もっともっと・・・と上を目指し追い求め、自分を満たしていく幸せだけではなく、メンタルの基礎コースを学び終え、生きる喜びや周りへの感謝の気持ち、そして自分の手の中にある 『今ある幸せ』に気付きかれた喜多さん。 そして、相手の心に耳を傾けながらしっかりと心をもって聴く姿勢、 人との関わりをとても大切にしておられるのを感じました。
そしてもう一つ、喜多さんのレポートを拝見させていただき、 改めて私自身「今、ここ、この瞬間を全力で楽しんで生きるか」と考えさせられました。
7年前の事です。当時の私も「この瞬間を全力で楽しんで生きるか」と自分に問うていました。 1年勤めていた職場で仕事中に突然倒れ、そのまま救急車で救急病院へ。 精密検査を受けましたが原因は不明。その後もめまいと吐き気で2ヶ月程、 外出どころか起き上がる事もやっとという時期がありました。
もっと頑張らねば、もっと完璧にこなせる自分にならねば・・・と自分を追い込んだ結果で、 それはストレスからくるものでした。 起き上がることも出来ない情けない自分。 ずっとこのまま社会に復帰できなかったらどうしようという不安。 自分を責めて更に落ち込む日々。
ですが、この時間が私にとって自分を振り返る貴重な時間となったのです。
「少し足を止めて自分自身を取り戻しなさい」と私に与えられた出来事だったのかもしれません。 そしてメンタルでの学びを、疲れた心に一つ一つ染み込ませていく大切な時間でした。 『砂時計のように人生は死に近づいている』衛藤先生が講座の中でおっしゃった言葉。
私の人生も確実に死に近づいている、 砂時計の砂のように一粒一粒、私は何を積み重ね残していけるだろうか、 このまま自分を責め続け過去に捕らわれる人生、何気なく過ごす人生・・・、そんなのはイヤ。
『この一瞬一瞬を楽しい事もたとえ辛いことであっても、 全身で感じ受け止めながら生きる人生でありたい!意味のある人生にするかどうかは自分次第!! 自分を信じて一歩踏み出そう!!』と自分らしく生きる力が心の中から湧いてきた瞬間でした。
あれから7年。自分を飾る事なく、ありのままの自分をしっかりと受け止め、認めることが出来ている今、 毎日を楽しんでいます。 そして、そんな私が今幸せを感じていられるのもメンタルでの学びと 家族や仲間のたくさんのあたたかいサポートがあるからこそだと感謝の気持ちでいっぱいです。 喜多さん、大切な気付きを改めて感じる素敵なレポートをありがとうございました。
いよいよ今月12日より大阪校研究コースがスタート!さらなる自分磨きを楽しんで下さいね。
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