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微笑みながら亡くなる日まで

大阪校  中村 さとみさん(50歳 女性)


今から50年前、私は米屋の長女として生まれました。父母、母の両親である祖父母と暮らしていました。幼い頃病弱だったため甘やかされて育てられた一人娘の母と結婚し養子に入った父と祖母の折り合いは良くなく、祖父の浮気もあり、いさかいが多い家でした。働き者の父ではありましたが、腎臓が悪く、体のだるさもあって機嫌がよくありませんでした。私の下の兄弟は生まれても育たず、子どものころの記憶にある家での葬儀は60代で相次いで亡くなった祖父母も含めて4回。よく「一人っ子は甘えただ。」、と言われますが、甘えている暇はありませんでした。家族の入院、死、言い争い。家族が全員そろって団らんで食事をした思い出もありません。そんな小さい頃から、絵を描くことや手芸で物を作ることが大好きでした。私のいやしの時間だったのでしょう。

 祖母の死後、短いですが両親と私の3人家族の期間がありました。体が弱く死が近いことを感じていた父からこの期間に濃縮して愛情深くたくさんのことを教えてもらったことは私の生涯の宝です。この時期の思い出があるから私は救われているのだと思います。

 その後、父の兄弟がまもなく訪れるだろう父の死を心配し、一人娘の私に遠縁の今の主人との縁談を薦めてくれました。私は21歳直前で5歳年上の主人と結婚しました。訳あって両親と離れ祖父母に育てられた主人は私の父を本当の父親のように慕い、家業を継いでくれました。たった2年の間でしたが、温かい日々が流れました。父は私たちの長男の顔を見た年に、50歳になる前に亡くなりました。

この後は大変な日々の連続でした。世間知らずの母はある男に騙されて大金を失いました。仕事を継いで間もない主人と母の間に入ってつらい日々でした。世間知らずの母をよく知っている親戚から「お嫁に行くのではない。自分がしっかりとして家を切り盛りしなさい。」と言い渡されていた私は2人目の子ども、長女の出産とも重なり、何の余裕もありませんでした。慣れない仕事を任された主人はストレスがたまり私に当たりました。私は誰にも相談できず、耐えていました。

 母は出て行き、夫婦2人だけで家業を続けていきました。幸いにして、そのうちに仕事が軌道に乗りだし、主人に余裕が生まれました。主人は趣味も少しずつ始めだすこともでき、仕事が順調の時は機嫌が良いのですが、時にして、私への言葉の暴力はエスカレートしました。お客様商売なのでストレスが溜まるのだろうと耐えていましたが、私が家事のかたわら仕事を手助けしていても、ねぎらいの言葉は少しもありませんでした。祖父母に育てられた主人は「妻は黙って夫に従うものだ。」と考えていたようです。

数年後、次男の出産にあたり、出産予定日1ヶ月前に手伝いの人を雇い入れました。安心したのか、1週間後に次男は生まれました。これが転機となり、私の自由な時間が少しできてくるようになりました。いくらか子育てを楽しむ時間ができました。次男が幼稚園に入園後、絵を描くことが大好きだった私はトールペイント教室に通い始めました。主人はとても真面目な性格です。真面目に仕事をしてくれました。でも、ストレスのはけ口は私。変わりませんでした。

 主人と仕事を常に一緒にすることは限界でした。私は弱い長男をきつく叱るようになりました。「これは一番いけないことだ。」と気がついた私は趣味に打ち込む時間を増やしました。得意な分野の手工芸です。趣味がこうじてトールペイントの講師見習い、講師と順調に仕事を広げていきました。教室では生徒が「先生の手は魔法みたい。すごいですね。」と褒めてくれます。

 自分が描いたサンプル作品をみんなが見て「綺麗、かわいい。」と喜んでくれます。なんて心地良いのでしょうか。教室の中での私は輝いていました。

 「誰もたのんでトールペイントをしてもらっていない。」という主人の言葉を胸に、「ご飯を食べることが出来るのも、学校に行けるのもお父さんが働いてくれるからよ。」
と3人の子どもたちには言い聞かせていました。こんな状態でなんとか出来るだけ平穏を装い、家事、子育てを続けていきました。でも、主人が私のしていることに対する気持ちは子どもたちにも伝わり、態度に表れ、家の中ではさみしい日々がとても長く続きました。「私を認めて欲しい」と心で叫んでいたのでした。

 次男が高校生のある時、学校のバザーの手伝いで一般のお母さんたちのトールペイント作品を手にしたことがありました。学校から帰ってきて彼は「お母さんの作品、じょうずやわ。みんなのお母さんのとはぜんぜん違うわ。」と目を輝かせて私にはっきり言ってくれました。それを聞いて「お母さんうれしい。」と言いながら思わず涙が出ました。次男が私を、私のトールペイントを認めてくれたのです。彼は「なんでみんなお母さんに冷たいのかな、変やナー、と思っていた。」と話してくれました。

 結婚して30年。主人は仕事を縮小し時間的な余裕のできた今では、子どもたちにむかって「反対されてもここまで続けてやってきたお母さんはえらいと思う。」と言ってくれます。家事もすすんでしてくれます。時には、私にねぎらいの言葉も言ってくれるようになりました。社会人になっていろいろな経験を経た娘が去年、「幼かったからお母さんの気持ちが分からなかった。ごめんね。」とも言ってくれました。美術系の学校を卒業して働いている長男は私にアドバイスをしてくれることもあります。3人の子どもたちは立派に成人してくれました。

 メンタルヘルスを学んで、終了レポートを書くことで、これまでの自分の歩みを振り返り、文字に表すことができました。心のわだかまりがほぐれ、素直な自分になれつつあります。ありがとうございます。
 これから子どもたちが巣立つと夫婦2人。縁があって結婚した2人。主人と最後まで仲良くいたわりながら暮らしていきます。インディアンの言葉のように、みんなに感謝の心をもって、微笑みながら亡くなる日が来るまで。

 そして最後に主人にIメッセージを送ります。「静也さん、夜にメンタルヘルスに通わせてくれてありがとう。」

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:磯馴

誰かに認められたい。
 自分が認められていないと感じることは、心に苦しみを生んでしまうもの。

 ご主人さんを表で立てる反面、自分を認めてほしいと思う気持ちがあったという中村さんの心境を
 見たときに、自分自身のことも考えさせられることになりました。

  『普段から笑顔でニコニコしていてとても感じがいいね。』
  ぼくは、そう言われることが嬉しい時期がありました。

  もちろん、今でもそういわれると嬉しい気持ちになります。

 でも、当時の自分は、そう言われようとして無理に笑顔を作っていました。
 いつも笑顔でニコニコしていなければいけない。

 そうやって人の印象を気にして、自分がどんなに辛い状況でも笑顔を絶やさないようにする。
 そして、どんなときもプラスの部分に焦点を当てて、良いように解釈しないといけない。

 そんな気持ちでいつも前向きにいようとしていたときの自分は、
 人から認められたいと思いながら、いつも他人の顔色を気にしていました。

 外では友好的だけど、家庭ではあまり何もしゃべらない。
 でも、外では全てが上手くいっているような素振りをしている自分に気づいたとき
 なんとも言えない気持ちになりました。

 『認められたい』
 その想いは、外側の世界で満たすのではなく、本当は一番身近な人に認めてほしいものであった。

 外でどんなに良い顔をしても、なぜか満たされなかったときの自分は
 本当は誰よりも家族に認めて欲しいという気持ちが強かったのです。

 中村さんの次男が、中村さんの事を認めてくれたときに涙が出たという気持ちが
 少し分かるような気がしました。

 家族が認め合える関係であること。
 いくら外側の人間関係が良くても、家族間でのコミュニケーションにすれ違いがあると
 本当の意味で幸せを感じることができないもの。

 改めて家族間のコミュニケーションの大切さを実感させて頂きました。

 ぼくは今年結婚をして、これから家族を築いていく段階です。
 心理学という側面で色々学んではいても、まだまだ実践を通しては未知の領域。
 中村さんのレポートを通して考えさせられたことを、これからの実生活に活かしていきたいと思います。
 今回も素晴らしいレポートありがとうございました!

 またリピート受講でお会いできることを楽しみにしています。