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「幸せ」というもの

名古屋校  佐藤 かおりさん(33歳 女性)

 

いつものように、わくわくした何気ない気持ちで受けた「音楽の効用」の講義を受講した際、最後のワーク(※インナーチャイルド【※心の中にいる傷ついた子供心を癒す心理療法】)で不思議な体験をしました。ワークでは、ゆっくりと自分の子供時代に入っていきました。そこで私は、18歳の高校3年生のときの自分に出会いました。

 その瞬間から私は涙が止まらなくなり、講座終了後も泣きながら家に帰り、自宅に到着してからも泣き続けました。自分に何が起こったのか分からず、とにかく以前に味わっていた苦しい感情をまた味わうような感じで、泣き続けました。

 受講前は、非常に健康的な状態で、まさか一瞬にしてこんな状態になるとは思いもしませんでした。涙は一向に止まらず、本当に耐えがたく、苦しい気持ちでした。まるで、自分が今、18歳のときにタイムスリップしたかのような錯覚に陥るくらい、鮮明にそのときの気持ちがよみがえっていたのです。

 翌日、会社に行こうとしましたが、通勤途中で涙がボロボロでてきてどうしようもなく、会社に行くことができませんでした。自分が壊れてしまったようでした。

私は、幼いころは心から幸せだと思える家庭で育ちました。祖父母がいて、父母がいて、姉弟と毎日楽しく生活していました。家に帰れば、母がいて、夕御飯はみんなでテーブルを囲み、お父さんと冗談を言いながら笑ったり、祖父母の畑仕事を手伝ったり、とても平和で優しい時間を過ごしていました。

 しかし、私が10歳のときに父親が心不全で突然死んでしまいました。家族の状況は一変していきました。特に母親は、それまで専業主婦でしたが、働きに出ることになり8歳、10歳、12歳の3人の子供を一人で育てなければならなくなりました。精神的な安心と、時間の余裕がどんどん失われていきました。私自身は、父の死と母の姿を見て、「人は一瞬にしていなくなる」というどうしようもない喪失感を感じ、「私がしっかりしなければ」という思いを抱き、「どうせ人間はこうやって同じように死んでいくんやから、精一杯生きていこう」という決心をしました。

 その後、家族は父の死をあまり口にする余裕もなく、数年が過ぎていきました。そして、弟が中学校でのいじめをきっかけに登校拒否になり、精神的にも不安定になり、家庭内暴力が始まりました。いろんなことがありましたが、彼も男親がいないことで苦しんでいるのだろうと思い、母と私は弟を信じました。「いつか治るだろう」と思っていました。でも、彼はどんどん精神的に不安定になっていきました。夜中に大きな物音がして目覚めると、母親が弟から暴力を受けていたり、私が受験勉強をしていても隣の部屋で物を壊す大きな物音がするなど、恐怖を感じる日々でした。

 私は、力の強い弟から母を庇うことなどできず、私には何もできませんでした。弟の暴力は、確実に母親だけに向かって行ったし、あるときは「ごめんなさい」と泣いて謝ったりもしていました。その思春期にあり得るような、どうにも自分では止められない弟の気持ちを私と母は理解しようとしました。だからどれだけ暴力を受けようと、母親は弟を責めませんでした。

 母は仕事をし、家事もこなし、私たち子供が「母子家庭やから」という理由で他の家の子と比べられることがないように必死に育ててくれました。

 そんな大変な状況でも、彼女は私に普通に接してくれたし、気丈で弱音を吐きませんでした。

 私たちは毎日誰かに助けて欲しい思いでした。そんな中、あるとき父親方の叔父さんと叔母さんが母の留守中に家に来て、弟を頭ごなしに叱りつけるという出来事がありました。

 というのは、弟が、同居している父親方の祖母にすこし暴力的になってしまったからです。頭ごなしに弟を怒鳴りつける叔父さんに私は「私たちにもどうしようもないし、こんなことは解決にならへんのやから、怒鳴るのはやめて!」と頼みましたが、叔父さんは「兄さん(私の父)が、俺の枕元に出てきて、俺に洋平(弟)を叱ってほしいってゆーたんや!!だまっとけ!!」とまくしたてました。

 私は、子供心にその言葉が悔しくて忘れられませんでした。私は、幽霊でもいいから、お父さんに出てきてほしい、助けてほしいと毎日祈る思いで生きているのに。なんで叔父さんの枕元に出てくるねん?って。なんでそんなことが軽々しく言えるねん?って。

 お父さんは、なんで私と母のもとには出てきてくれへんねん?って。
 その夜、弟はいつも以上に母へ暴力をふるいました。叔父さんは祖母を自分の家に避難させるため連れて行きました。

 私たちの味方をしてくれる大人がいなかった。理解してくれる人がいなかった。話を聞いてくれる人がいなかった。助けてくれる人がいなかった。

 その頃には姉は地方の大学へ行っていたので、母と私と弟の3人暮らし。母も私も、お互いに弱音を言えませんでした。母は私を守らなければならないと思っていたし、私も母にこれ以上負担をかけたくなかったし、言ってしまえば母を追い込んでしまうのではないかと思いました。母に負担になるようなことだけはどうしても言うことができませんでした。私には母だけが支えだったのです。

 私は毎日、助けてほしかった。でも、現実にはこんなことを受け入れられる大人もいなかった。責めたり、変な目で見る大人はいたけれど、助けてくれる人はいなかった。私自身、自分の友達に対して、精神的に不安定な弟がいることを公表できるほどの心の強い人間でもなかった。私はまだ高校生だったし、母の代わりにお金を稼ぐことも、弟を力で抑えつけることも、病院へ連れていくこともできなかった。

 自分自身だけでさえ、養う力を持っていなかった。母の話を聞いてあげたかったけど、それを聞いて受け入れられる心の度量もなかった。自分自身の心を支えるので精一杯だった。

 高校生の私にできることは、「早く大人になりたい」「早く自分の足で生きていけるようになりたい」と強く祈ることしかなかった。そのときの無力感と、誰も助けてくれないという絶望感、「助けて欲しい」という思いは、強烈に私の心に刻まれました。そのとき自分を救っていたのは、夢とこれからの希望だけでした。幸運にも、私にはやりたいと思えることがたくさんありました。

 それが高校3年生の頃の自分です。今回、インナーチャイルドで戻ってしまったのは、このときの私でした。

 その後、大学進学を控えた私は、母を一人にするのが心配で大学で実家を離れるのを少し躊躇していたのですが、母は「あんたはとにかく早くこの家からでなさい」と言ってくれました。私は母が心配だったし、後ろ髪を引かれる思いでしたが、母が私を家から出してくれました。私を自由にしてくれました。私は、母がいつか倒れるのではないかと心配していたのですが、1年後、その不安が的中し、家に一人残された母親も徐々に精神的に不安定になり、入院することになってしまいました。

 ですが、幸い母は強い人で、自分で「なんかおかしい」といって病院へ行き、検査を受け、数週間で退院し、すぐに元通り元気になりました。その後、弟は近所の人の助けで、連れて行った病院で精神分裂症(今では統合失調症)の診断に至りました。人生には精神論ではどうしようもないことがたくさんあることを知りました。

 私が一度だけ母に「お父さんは、こんなことが起こる前に一人死んでしまって、ズルいよな」と言ったことがありました。でも、母は「そんなことはないよ。お父さんもつらかったと思うし、もっと生きたかったと思うよ」と言いました。こんなに究極に追い込まれた状況で、こんな言葉が言える母が心底すごいと思いました。ボロボロになっても、自分を一人にした父を恨まず、そんなことを言えるなんて、たぶん今の私でも無理だと思います。人の心の広さを知りました。
 
 その後の私は、その頃に抱いていた希望と夢を形にしていき、いい人たちに恵まれ、自分をしっかり築いていきました。今の私は、父親が亡くなったことが私を育ててくれたと思っています。人生をしっかり生きること、毎日に感謝すること、愛の深さ、人生にはどうしようもならないことがあること、「幸せ」というのはどういうものなのかということを知りました。父が亡くなったことで見えたことがたくさんあるし、自分を強くしてくれたと思っています。

 今の私は、心ある人たちに囲まれているし、母親を守れるくらいの経済力も手に入れたし、やりたいことを応援してくれる人もいる。人と出会うこともできる。すべてを自分で選ぶことができるし、何かを始めることもやめることだってできる。健康だし、感動もできる。たまに今でも父に生きていたら聞きたいことがたくさんあります。でも、父はもういないんです。これが現実だということは分かっているつもりでした。

 でも、あのワークをした途端、あの高校3年生のときに感じた「早く大人になりたい」「早く自分の足で生きていけるようになりたい」という思いと、「助けて」という心の叫びを今現在の自分が感じているような状態に陥ったのです。あのときのどうしようもない無力感と絶望感がまた私をおそいました。そこから抜け出すことができませんでした。完全に壊れたと思いました。ただ、あのときの苦しみは、10年以上たった今の自分でもこんなに耐え難いほどの苦しみだったことが分かりました。

 私は現在に生きているし、そのことは過去のことだとわかっているけれど、その頃の思いが止められなかったのです。今、苦しいし、つらいし、涙がでる。私は自分が故障したとしか思えませんでした。あのときの叔父さんのことも許せない気持ちになっている。周りに対して、絶望感を感じる。この10年で少しずつ溶かしてきたものが、一気に元通りになってしまったようでした。私自身がこのことは過去のことだと分かっているだけに、今誰かに話しても仕方がない。第一、過去のことなのに、あまりにも感情が激しすぎました。そして激しすぎて自分で閉じることができない。あまりにも激しすぎて、次第に頭痛も出てきました。まるで脳が嫌がっているようでした。

 そして、カウンセリングの力を借りることになりました。初めてのカウンセリングだったのですが、話していくうちに、18歳の当時言えなかったことが次から次へと出てきました。本当に当時思っていたことが次々とでてきました。自分でも驚くほど鮮明に、「苦しい」「助けてほしい」と、そのとき思っていたことを今思っているかのように、次から次へと吐き出していました。言えなかったからこそ強く強く心に残っていて、言えなかったこと自体が私を苦しめていたような気がしました。
 
 理屈ではわかっていたのですが、感情の消化ができていなかったようでした。カウンセリングで話をして感情を開放することによって、感情は消化され、現在の自分に戻っていきました。講座でならった「動物脳」が当時感じていたことを言わないことで究極に抑えられていたのかもしれません。感情は、表現をしなければ消化されないということが分かりました。

 そして、最後に「人はやっぱり信用できないんですかね」と今まで自分が言うとは思ってもみなかったことを先生に尋ねていました。そうすると、先生に「そうかもしれない。親族であっても、いざとなったら助けてくれないのかもしれないね。実際にあなたが体験したことやから、それが現実なのかもしれない。
 厳しいけど、他の人がなかなか気づかない真実を18歳で知ってしまったのかもしれないよね」と言われ、自分の中でスッと落ちたのを感じました。見てきた現実を否定したかった自分がいて、そのことと知らない間に戦っていました。でも、それを現実と受け入れることで自分が開放された気がしました。

 今までの自分は、知らず知らずのうちにビリーフ(物事の受け止め方)の修正をうまく使い、物事の見方や解釈を変えることでつらい現実も受け入れてきていたような気がします。ですが、現実には厳しいこともあって、そのまま厳しいこととして受け入れないとならない現実もあるということを知りました。有る意味、「あるがまま」を「あきらめ」て受け入れなければならないということかな、と思いました。

 私にとっては少し怖い経験でしたが、この体験を通じ、人間は本当に不思議だと思いました。一瞬にして自分が変わってしまう。でも、そのことで人間の可能性はすごいということも分かりました。こういうことを身をもって体験し感じることで、人間の無限の可能性と、人間のはかなさ、あいまいさを知りました。トランスパーソナル心理学で習ったように、人間が自然の中の存在であるということもなんとなく感じるようになりました。

 そして、やっぱり自分には自分の人生があり、自分が経験してきたことによって価値観は築かれ、自分の生きたいようにしか生きられないのだなと思いました。他人の価値の中では生きられない。私には私がはっきりと体験してきたことがある。いつの間にか他人の期待や価値観に流されて、無理をし、自分を見失うこともあるけれど、自分が感じることにはすべて理由があり、歴史があり、そのことを大事にしていけばいいのだと思いました。

 そして、もし過去に自分が助けてほしいときに助けてくれる人がいなかったのなら、今度は自分が他人の話を聞き、他人を助けられる人になればいい。ただ、それだけのことでした。私にとって大事なことに気づいた体験でした。

 そして、私の周りには、今回起こったことを真剣に聴いてくれる人たちもいました。私はとても恵まれた環境にいるのだととても幸せに思います。

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:磯馴

 音楽の効果と先生の誘導から、子供の頃の記憶に遡っていった佐藤さん。

 そこで過去の癒しきれていない記憶が蘇り、涙が止まらなくなったという文章を見て、ぼくも同じ講座を受けているときの自分を思い出しました。

 父親と母親との過去の記憶。

 佐藤さんと同じように、高校時代が一番心の痛みになっていた時期でした。
 家族は常にケンカばかり。商売が上手くいかなかったことから多額の借金を背負うことになり、そこから家族の関係がどんどんと悪化していきました。

 当時、思春期だったことが輪をかけて、親への反発心を増長させていく。
 ぼくが佐藤さんと同じワークで辿った過去も、ちょうど18歳のそんな時期。

 そのワークを受けているときの自分を思い出すと、涙が溢れ出て止めることができませんでした。

 佐藤さんが、10歳の時にお父さんを亡くされてからの家族の状況。
 平和で幸せだった状態から、家族関係が大きく変わって問題がどんどんと浮かび上がってくる。

 弟さんとの関係や、お母さんの状態。
 『お父さん』という存在がいなくなったことで、家族の歯車が合わなくなっていった。

 そんな佐藤さんの状況を見ながら、『家族みんなが元気でいる』ということが、どれだけ有難いことなのかを、改めて感じさせて頂きました。

 若いころの経験。
 それは、自分が思っている以上に心の奥深くに残っているものです。

 その記憶が辛いものならなおさら、表面上では気づかなくても、奥深くには確実に残っているもの。
 でも、奥深くに閉じ込めたままだと、やがて何かの拍子に浮き上がってきて自分を苦しめることにもなります。

 だからこそ、その奥深くにある感情を吐き出していくことが大切。
 奥深くに眠っていた感情を引き出してあげるだけで、心は確実に軽くなっていくもの。

 佐藤さんがカウンセリングで感情を解放したことによって、現在の自分に戻っていったように
 『相手の心の声を引き出してあげる』ということがいかに大切なことかを実感しました。

 『話し方教室は星の数ほどあるけど、聴き方教室というものはない。でも、コミュニケーションで大切なことは、【正しい聴き方】をちゃんと理解すること。』

 講座の中でそう学び、カウンセリングのもっとも基本である【聴く】ということがいかに大切なことなのかも再認識させて頂きました。

 佐藤さんは現在研究コースで学びを深められています。

 『もし過去に自分が助けてほしいときに助けてくれる人がいなかったのなら、今度は自分が他人の話を聞き、他人を助けられる人になればいい』

 そうおっしゃる佐藤さん自身のお言葉を大切にして、楽しみながら学びを深められています。

 今回は佐藤さんの想いが沢山込められたレポートをありがとうございました。
 また名古屋校の教室でお会いできることを楽しみにしています!