Home 受講生の感想レポート 体重に振り回されていた私が気がついたのは、体重計じゃなく、自分の心をみつめること…
体重に振り回されていた私が気がついたのは、体重計じゃなく、自分の心をみつめること…

東京校  出口 貴美子さん(29歳 女性)


「やば~い!!どうしよう」
 今まで私はある物を前にするとパニックになっていた。それは体重計。体重計に乗る前はドキドキする。普通の女性なら誰しもと思うかも知れない…。それが尋常ではないのだ。体重が自己判断基準と言ってもいい位。体重が少しでも増えていると自分がどうしようもなく情けない人に思え、減っていると安心していた。体重計で測っていたのは体重ではなく、自分の存在価値だった。
 そう私は摂食障害だった。

 メンタルに通った理由は、ただ興味があったから・・・でも心のどこかで自分の歩んできた道、心を知りたいと思う気持ちがあったのだと思う。

 私は、七人兄弟の長男の父と母との間に一人娘として生まれた。両親と祖母の4人暮らし。小さい頃から父は忙しく、ぴりぴりしていた。機嫌の悪いことも多く、いつも怖かった事を覚えている。幼いながらも、父の顔色を伺い、話しかけるのにいつもおどおどしていた。父の存在が怖かった。

母も仕事で忙しく私は当時、近所の人に預けられていた。毎日仕事へ向かう母に手を振り、悲しい気持ちを抑え、歯を食いしばっていたのを覚えている。母は、仕事でへとへとになった体で、私を夜遅く迎えに来て、帰宅し家事と育児をしていた。甘えたいけれど甘えられない状況が幼心にわかっていた。泣けずに喉が詰まってしまう感覚がいつもあった。
 それに加え、祖母は、超がつく程のワガママで母を召使いのように扱っていた。祖母は大好きだったけど、辛そうにする母を見て母の事を煩わせてはいけないと思っていた。母は祖母の愚痴を、祖母は母の愚痴を私に言っていた。
 私は自分の家が嫌いだった。自分の家なのにどこか落ち着かない、窮屈で息がつまりそうだった。淋しさを埋めるかのように私はよく食べた。揚げ物や甘いものお菓子にジュース、体に悪いものばかり食べていた。いくら食べても満たされない胃袋。メンタルの基礎コース前編2回目の講座で学んだ、動物脳の基本的欲求の集団欲が満たされなかったためか、食欲はすごかった。

 中学生になっても収まることなく食べていた私。でも思春期に入り、体についてからかわれるのが嫌でダイエットをした。間食をやめた。痩せた。周りの目が変わった。
 痩せたら受け入れて貰える…そう思った。痩せてさえいれば認められる。太った自分は認められないんだ。私の間違った認識が、摂食障害へのスタートだった。
 高校生になると一層とらわれはひどくなった。一日中食べ物のカロリーばかり気になってしまう。体重計に乗るのが毎日一番のイベント。体重の数値に一喜一憂。ほとんどものが食べられなくなった。友だちと一緒にいても、食事が怖くて食べられない。そんな異常な姿を見て去って行った友人もいた。私は、それでも自分の異常さに気付かず、もっと痩せねば…とダイエットに躍起になる。人前では、明るくふるまい、周りの目を気にして神経をとがらせていた。
 家では仕事で不在の父、いがみ合う嫁姑。この頃には母を苛める祖母が大嫌いになっていた。口も聞きたくないし顔も見たくない程だった。でも祖母の文句を言う母に対しての苛立ちもあった。何も言ってくれない父への不満感も募っていた。
 高校卒業後、親元を離れて、自由になるかと思いきや、一人でいる時の自分の感情が抑えられなくなった。どうしようもない不安感。拒食は更に激しくなり、ある日自分の体を見て愕然とした。骸骨の様にやせ細って今にも死にそうな顔…。さすがにやばいと思い、食事とろうとすると今度は止まらない。
 
 過食への転向だった。
 食べては吐くの繰り返し。食べてしまう自分に罪悪感。そしてこの頃祖母が亡くなった。でもお葬式には出なかった。その時の私は祖母に対する憎しみでいっぱいだったから。その後も過食は収まらず、自分が壊れていくのを感じた。
 どうしようもなくなって、実家に帰る。自分が発狂しそうな感覚に襲われ心療内科に行く。薬を貰う。自分の感情がわからない。おさえられないような焦燥感。あれよあれよという間に雪だるまのように太る私…病院に行っても治らない。毎日が嫌になった。このまま辛いのかなって毎日が灰色だった。太った自分を見られたくなくて友だちとも会えなくなった。

 摂食障害の本を読んで見るとだいたい家族トラブルが多いとか満たされない思いが食に走るとか書いてある。
 当時の私は、自分が摂食障害になったのは、家庭が満たされないからだと思っていた。いい子を演じて、いいたいことも言えないで喉が詰まっていた。

 そんな時、私を救ってくれた人がいた。
 愛しのダーリン雄大。彼は当時3歳。お姉ちゃんと慕ってくれ毎日遊びに誘ってくれ太陽の下で一緒に遊んだ。気持ちが明るくなった。大好きって素直に笑ってくれる雄大に、私も微笑むことができるようになった。そんな彼に勇気を貰い、もう一度立ち上がった。過食の回数が少しづつ減って、体重も落ちて行った。

 とここまでは私の昔のメガネをかけた捉え方。読み返すだけで気分がどんよりしてくる。
 昔は私がこうなったのは親のせいって誰かのせいって思っていた。
 でも、そうゆう道のりを選んできたのも自分なんだ…メンタルを受講した今は本当に思う。ゲシュタルト療法で出てくる欠けた円(一部欠けた円と、完全な円があった場合、人は欠けた円のほうが気になる)の欠けているもの探しばかりしていた。
 しかし、今は足りているもの探しが出来るようになり、その結果、見えるようになったものが沢山ある。

 父と母は私を今まで生かしてくれた。笑顔をくれた。叱ってくれた。
 私の父は確かに私との関係は希薄だった…。表面上は…でも彼は、愛し方を知らなかったのだと思う。中学生で祖父をなくし、一家の主として7人兄弟の長男として中学卒業後から家族を支えてきた。甘える事を許されない状況だった父。素直な気持ちを出せる状況じゃなかっただろうな…父の気持ちになって考えると涙が止まらない。私を呼ぶ時、今でもチビって呼ぶ、ぶっきらぼうな父が可愛く思える。私は父に似て周りの愛の受け取り方を知らなかったんだなって思う。最近、父が体調を崩し、私の電話で大丈夫?という声かけにありがとうと答えてくれた。
 父は私の愛を受け取ってくれているんだ・・・と嬉しくなった。私も父の愛を受け取らせて貰った。
 
 母は私に過干渉だった。それは母なりの私の守り方だった。祖母との対立の愚痴も私に見せられる精一杯の弱さだったんだと思う。最近、喉に詰まっていた思いを伝えてみた。小さい頃の思い…。母はごめんね。あんたは小さい頃から我慢しちゃう子だったからね。それを聞いて、思った。母はわかっていた。私が飲み込んでいた思い。私が勝手に受けいれられていないと思っていたんだと。愛を受け入れられなかったのは私だったんだって。
 
 祖母とは最期まで対立したままだった。ただ今は大好きって言える。周りの人を振り回していたのも淋しさの裏返しだったんだって。七人目の子どもが生まれると同時に祖父である父をなくし、若くして未亡人になった祖母。貧困との戦い。私が祖母の立場だったらと思うと狂いそうになる。今はもう伝える事は出来ない。だけど、後編講座のトランスパーソナルの授業で習った「意識はつながっているんだ」と感じているので思いはきっと届いているんだろうなって思う。だって今では、祖母との笑顔の思い出しか残っていないから。

 私の家族はさみしんぼ家族だったんだな~って思える。似たもの家族だなって。そして私の親への期待が高かったんだなと。最近私と親は同い年だと気付いた。私は両親の子どもになってからと、両親が私の親になった年は一緒なのだ。求めるものが多すぎたなって。
 そう思えるようになったら、みんなみんな大好きだな~って心から思える。

 摂食障害についても、親のせいって思っていたけど、その道を選んだのも自分だった。
 不思議なもので太ると痩せなきゃととらわれ、やせたら今度は太ったらどうしようととらわれる。体重に振り回されていたのだ。
 大好きな友だちが例え太ったとしても痩せたとしてもその子の存在の大切さは変わらない。人の魅力は体型だけじゃないというのもわかっている。他人に置き換えると自分が何ともこっけいな事で悩んでいる事がわかる。でも自分に置き換えることが出来ない。
 
 体重すなわち食べる事をコントロールすることで自分の気持ちを抑え、満たされない思いを埋めていた。過去、太ってバカにされたこと、痩せて褒められたことの経験から私の中に痩せていると認められるという思い込みがあったのだ。
 自分を認めていなかったのは他人ではなく自分だったのだ。見つめるのは体重計の目盛りじゃなくって自分の心だったのだ。
 
 私の歩んできた道のりは端からみたらでこぼこ道かも知れない。でも闇を知っているからこそ、光が何倍にも感じ、喜びが味わえると今は思っている。その時は辛くて、そう思えないけれど無駄な事はないのだ。
 少なくても私は摂食障害の知識が他の人より多い。ダイエットの知識も多い。食と心についての興味も持てた。私の経験が他の人の役に立つ日が来るかもしれない。心理学を勉強することが出来た。昔の経験を臆することなく笑顔で話せる。年の離れた親友雄大にも出会えた。
 私が歩んできた道だからこそ、出会えた人。
 今こうして生きていられる。
 すべてが感謝の出来ごと、出会いなのかなと思う。

 今でも体重へのこだわりがないと言ったら嘘になる。体重計は苦手。それもOK!
 今日の積み重ねが今生きている私なんだから。
 欠けているところ探しでどうしようもなく自己嫌悪する事もある。
 まあ、そんな自分もいいかな~って思える。
 ころころかわるのが心だもん。
 私は私だもん!
 そう思える自分がたまらなく大好き。

 私は、幼少期の思いや摂食障害で、自分の体と心を痛めつけてきた。でも、その時の自分に出来る精一杯の方法だったから、それもまた、しゃーない!
 今まで、誰かに治してもらう事ばかり思っていたが、自分以上に自分のことをわかる人はいないのだと気付けた。セルフラブでもっと自分を大事にしていく。

 今の私の目標は太陽になること。北風と太陽で、自分がまずは自分を愛して、輝ける太陽の存在になって自然と周りの人に光を分かち合えるようになりたいと思う。
 今後の成長を乞うご期待!!
 私と出会って下さった皆様に感謝をこめて★

 

~受講生のレポートより抜粋~
  紹介スタッフ:鈴木

出口さんは再受講に何度もお越し下さり、とても熱心に受講されている受講生さんだな、という印象が強くありました。
 お電話でお話しする時も、とても明るくお話しして下さる受講生さんです。
 でも、メンタルに出会うまでは、摂食障害を抱えながら、ご自身を受け入れることが出来ず、苦しんでいらしたことを初めて知りました。

 今、メンタルには出口さんのように摂食障害を経験されている方が増えています。
 満たされない心の部分を「食べる」ことで満たす。太った自分が嫌になり、食べては吐き、そしてまた食べてしまう。
 自分自身、一体何をしているのだろう、こんな自分はダメな人間・・・自分を好きになることなんて出来ない。
 暗くて長いトンネルの中にいて、一生そこから出られない。そんな風に思ってしまうそうです。

 レポートにも書かれていましたが、小さい頃、家族の愛情が足りずに寂しい想いをしていた出口さん。
 自分が摂食障害になった原因は、自分の家庭環境のせいだと思ったのも、ある意味仕方がなかったのかもしれません。
 
 でも、メンタルの講座を受講して、過去の自分、ご両親、お祖母さんに対する見方が変わり、摂食障害になることを選んだのも自分、ご両親とお祖母さんには感謝の気持ちが持てるようになった・・・
 これだけ変化するまでには、受講しながら、何度も自問自答を繰り返し、過去を見つめ、自分自身と向き合って来られたんだろうな、と思いました。
 
 自分自身と向き合う。自分の嫌な部分を受け入れていく。
 言葉にすれば簡単ですが、実際には自分の心の中で葛藤を繰り返す・・・とても辛く苦しい時も多いはずです。
 
 きっと、出口さんにとって、メンタルと出会は、ベストなタイミングだったのだろうな、と感じました。
 今だからこそ、自分を受け入れられる。家族に感謝の気持ちを持てるようになる。
 過去でもなく、未来でもなく、「今」が受講すべきタイミングだったのだと思います。
 摂食障害で苦しんでいらした時は、こんな日が来るなんて想像出来たかどうか・・・それ位、今は毎日が楽しく、そして楽に生きられるようになられているのが伝わってきました。

 衛藤先生は「心理学を知らなくても生きていくことはできる。でも、心理学を知っているほうが、同じ人生でも楽しみながら、楽に生きていくことができる」とおっしゃいます。
 私自身も本当にメンタルで学んでから、楽に生きられるようになりました。
 出口さんもきっと同じ気持ちでいらしゃると思います。

 長い暗闇のトンネルから、明るい太陽の下に自分の力で抜け出した出口さん。
 ご自身が最後に言われているように「輝ける太陽の存在になって自然と周りの人に光を分かち合えるようになりたいと思う」
 そんな出口さんを、これからも応援しています!
 ステキなレポートをありがとうございました。