習ったその日に─照れながら言ってみた、家族への想い |
大阪校 中澤 栄子さん(50歳 女性)
娘が通う中学校のPTA役員をしている夫から「吉本風心理学」の講演会があると聞いたのは、昨年の10月でした。お笑い好きな私は「吉本」と聞いて俄然興味が湧き、日本メンタルヘルス協会の事も衛藤先生の事も何も知らず、とにかく夫の「面白いらしいよ」の言葉に乗せられて出席しました。
講演会当日、会場は立ち見も出る盛況ぶり。そこへ颯爽と現れたのが、パープルのジャケットを着て、髪の毛を後ろで束ね、ヒゲをたくわえた、およそ心理学とはかけ離れた、ちょっと変わったイメージの若々しい素敵な男性でした。
あっけにとられていると、講師であるその男性は開口一番、「こんにちは!」と満面の笑みで微笑んだかと思うと、「なんか怪しいのが出てきたとお思いでしょ?」張りがあって良く通る明るい声。遠くに座った私にさえ分かる大きな力のある瞳。そして笑顔が何とも言えず温かい。緊張していた会場の雰囲気が一瞬でゆるんだ感じでした。
その後の約2時間はあっという間で、笑ったり、納得したり、また笑ってそして涙が止まらないほど感動しました。何だろう?これって心理学なの?こんなに楽しくて面白くて、心が動かされるものだったの?できるならもう一度でいいから衛藤先生の話を聞いてみたいなあ、と思いながら帰宅しました。 「あの話をもう一回聞いたら、心がもっと楽になるかもしれない」そんな気持ちでネットから体験講座に申し込んだのです。
12月。少し緊張しながら出席した体験講座。案内して頂いた席は、真ん前ど真ん中!学校の講演とは違って、間近から見る衛藤先生は柔らかな笑顔に目力がアップ、声の張りも抜群で、更に心が揺さぶられました。基礎コースへ進もうかどうかを迷いましたが、このご縁を大切にしたいと思い、心を決めました。 実は私にはずっと抱えている悩みがありました。 子ども、特に14歳の娘の言動や気持ちをもてあまし、どうしていいのか分からずにいたのです。
娘は長男とは4才違いで生まれました。その前年の夏、私は次男を早産し、25時間で失いました。その心の痛み、悲しみを癒すかのように授かったのが娘だったのです。なのに、この宝物、次男の生まれ変わりのようなかけがえのない娘がどうしても気に入らない。可愛いのに、憎たらしい。言うことを聞かない娘、思い通りにならない育児に疲れていたのかもしれません。
そんな時、衛藤先生から笑顔の大切さ、まずは笑うこと、笑ってみること。そして命の大切さ。そこにいてくれる、それだけでいい。そんな語りかけを聞いて心が震えたのです。特に小児病棟で亡くなっていく子ども達の話は、515グラムで生まれ、25時間の、一生というには短すぎる人生を終えた次男を思い、泣きました。
その次男に代わるかの様に生まれた娘を心から受け容れられないのは、何故なんだろう・・・。それが分かれば、14年間持て余していた重たい悩みが晴れるかもしれない。考えてばかりいたって仕方がない。とにかく動いてみよう、足を運んでみよう。そうやって週一回の心斎橋通いが始まりました。 基礎コースの最初に出会ったのが、デニス・ウェイトリーの詩「子どもの話に耳を傾けよう」でした。
私は一体どれくらい子どもの言葉を聞いていたのか。私は一体どれほど子どもの言葉を慈しんで心を傾けて聞こうとしていたのか。聞くことの大切さを知れば知るほど、どれだけ自分が子どもの話を、言葉を、そして心をないがしろにして、平気で過ごして来たのかを思い知り、愕然としました。
子どもの為だからと、山ほどの自分勝手な言葉で自分の正しさを押しつけてきたことか。それが、子どもから考える力を奪い取っている事に気がつかず、自分の思い通りになれば安心し、少しでも期待通りにならないと憤慨していた自分が本当に嫌になりました。
「子どもには失敗する権利があるんです」この言葉に頭をハンマーで叩かれたようなすごい衝撃を受けました。この時、母子一体感と離別感という言葉も学びました。 子どもは自分の一部ではないのに、自分の中に取り込んで、がんじがらめにして、失敗を許さずに、押さえ込んでいた自分が恐ろしくなりました。
「親子は弓矢ですよ」これも心に残っている言葉です。 弓である親はただ愛情を込めて矢を射る、それだけ。矢である子がどこに飛んで行くのかは矢(子)の問題で、親は信じて任せ、見守るしかない…。どの言葉も理解できる、納得できるのに、私には何故できないのだろうか。子どもに対する悩みと思っていたものが、いつしか形を変えて自分自身への問題として本質を現してきたように感じていました。 そして迎えたのが、音楽療法。音楽、特に歌うのが大好きな私は、基礎コースの中でこの講座を一番楽しみにしていました。でも、音楽診断テストが始まったとたん、楽しみは消えました。最初の曲があまりに淋しくて悲しくて暗くて辛くて、聞きたくない、早く終わって、とそればかり考えていました。 その曲で浮かんできたイメージは、自分の故郷、新潟の雪景色・山道・母・幼い頃・もの悲しさ・暗さ・ひとりぼっちの自分・・・。思った通り、寂しさを知る曲でした。
診断テストの次に小さな頃の自分、インナーチャイルドを癒すプログラムが始まりました。静かな音楽の中、導かれるままに、幼かった頃の思い出が蘇りました。まだ2才にもならない私は、病気で親元を離れ、数ヶ月入院したのです。母は家業の商売が忙しく、私に付き添ってくれたのは母の姉、叔母でした。病気さえ治れば家に帰れると、泣くこともなく、頑張って苦い薬を飲み、寂しさに耐えていた自分。そんな事、もう何でもない、平気、っていうか、忘れているもん!と思って過ごして来たのに、ふたをして隠しておいた筈の思い、悲しみや寂しさや、どうにもできないやるせなさが、いっぺんに溢れてきました。
講座を終えて帰宅してからも、ふと気がつくと、病院のベッドの上の小さな自分を思い出し、急に泣けてきました。おかあちゃんに会えず、家族の居ない土地の知らない病院。付き添ってくれたのは叔母ちゃん。今でも大好きな叔母ちゃん、おかあちゃんみたいな叔母ちゃん、でも、叔母ちゃんはおかあちゃんじゃない。おかあちゃんは、私が可愛くなかったの?私が心配じゃなかったの?年子の妹がいるから?食堂の仕事が忙しいから?私はこんない良い子にして頑張っているのに、おかあちゃんは全然来てくれない…。
そんな思いをそのまま夫にぶつけました。 「私って、可愛そう。ちいちゃい私が可愛そう!」 そう言って泣く私に夫は、 「でも、今は大丈夫」と、微笑んでくれました。
「カタルシス効果(排泄浄化作用)ですよ」と講師の先生から教えていただいたので、いっぱい、いっぱい泣きました。今でもちょっと泣けます。
でも、私の病気は快癒し、今も健康で何の心配もなく生きて、暮らしています。これも、両親が私をちゃんと入院させてくれ、面倒を見てくれたからこそだと実感し、感謝することが出来ました。
おとうちゃんもおかあちゃんも、私が嫌いで遠い病院に入れたんじゃない。一日も早く元気になって戻っておいで、ってきっときっと心配してくれていた筈。もし、万が一、家業と育児で疲れ果て、私の事を忘れて眠る夜があったとしても、今はもう恨まない。子どもを思わない親はいない。自分が親になって分かったのだから。一瞬、どんなに憎たらしいと思っても、子どもの命を取られる位なら自分の命を投げ出せるほど、私は息子を、そして娘を愛しているのだから。 子どもの人生は子どものもの。私の人生とは違う。私はただ、生まれ出る新しい命の通り道として身体を貸しただけ。子どもは私の物ではない。心からそう思えるようになりました。自分の中の幼い自分、それを思い出して、知って、癒してやることで、子どもと自分の間の母子一体感を下げ、子ども自身の生きる力を信じて任せる事のできる、離別感を持った母親になれた気がします。
I(アイ)メッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)を習ったその日の夕食。ちょっと照れたけど、言ってみました。 夫に「いつも優しく気長でいて、家族を守ってくれてありがとうね。一緒にいると安心できます。」 息子に「体調が悪そうだと、大丈夫なん?て聞いてくれるから、心配してくれているんだなあって、とっても嬉しくなるよ。ありがとうね。」 そして、娘に「いつもご飯を、うまい!て言って食べてくれるから、めちゃ嬉しくて、また頑張って美味しい物を作ろうって思えるよ。ほんまにありがとうね。」
私が他の人の期待通りに生きてゆけないように、他の人も私の期待100%通りにはならないのは当たり前。足りない事を嘆くのでなく、今ある小さな幸せに心の焦点を当てて、ニコニコ笑って表情筋を鍛えて自己免疫力を上げて、癌細胞にもコレラ菌にも負けず、健康で明るく生きていきたい。二つある耳でよく聞いて、一つしかない口からはI(アイ)メッセージで嬉しい、楽しい、ありがとう、を伝えます。それでダメなら「しゃーない」って、時には諦めも肝心。明日は明日の風が吹く。 お空の上から次男もニコニコ笑顔で言ってくれているかも・・・。
「よっ、おかあちゃん。日本一!・・・に、なれるかも~」
日本メンタルヘルス協会で心理学を学んで本当によかったです。まだまだ未熟ではありますが、日本一と言わず、世界一、宇宙一のおかあちゃん目指してこれからも心を磨いていきます。本当にありがとうございました。
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:鈴木 |
中澤さんは普段とても明るく元気な方なのですが、レポートを拝見して、お子さんを亡くされたご経験や、娘さんをかわいいと思えないことに苦しんでいらしたことなど、中澤さんの人生背景を初めて知りました。 お子さんを亡くされた時の辛いお気持ちは、言葉で表現できないものだと思います。そして、その生まれ変わりのように授かった娘さん。その娘さんを愛することが出来ない・・・その気持ちに気づけば気づくほど、無意識の中で「なぜ、私はこの子を愛することが出来ないのだろう、自分は何てヒドイ母親なんだろう」と自分を責め、苛立っていらしたのかもしれません。
そして、もしかしたら、お子さんを亡くされた悲しい、辛いという気持ちにフタをして、その気持ちをかき消すかのように、娘さんの育児にいそしんでいらしたのかもしれない。「次男の生まれ変わりで生まれた娘をしっかり育てなければ」と。だからこそ、余計に、思い通りにならない娘さんを見ると憎たらしいと感じられたのかもしれません。
中澤さんが音楽療法で幼い自分と再び出会った時に気づいた、心の奥底にあった悲しみ、寂しさ、心細さ、親から愛されていなかったのではないかという不安・・・お子さんを亡くした時にも同じ位の悲しみ、寂しさを感じていたのかもしれません。でも、幼い時も、お子さんを亡くされた時も「こんなことくらい平気!私は大丈夫!」と、自分に言い聞かせて来られたのではないかと感じました。
音楽療法を受講して帰宅され、ご主人の前で泣きながら「私って可愛そう。ちっちゃい自分が可愛そう」と言われた・・・この部分を読ませて頂いた時に、中澤さんは幼い時からずっと、大人になっても心のどこかで「自分は辛い、悲しい、可愛そう」という気持ちにフタをして来られたんだな、と思いました。お子さんを亡くされた時も・・・
この時に、泣いて、言葉に出して、ご自分の辛さ、悲しさを認め、受け入れることが出来たのだと思います。そして、本当の意味でのお子さんを亡くされた時の悲しい自分の気持ちも・・・自分の奥底の気持ちに気づき、受け入れられたからこそ、ご自分の親御さんへの感謝の気持ちに気づかれ、娘さんを愛おしいと思えるようになったのかもしれない、そう思いました。
今の中澤さんなら・・・悲しい自分も寂しい自分も「自分自身」と受け入れられた中澤さんなら、 「よっ、おかあちゃん。日本一!・・・に、なれるかも~」 はい、私は絶対になれると確信しています!! これからも、世界一、宇宙一のおかあちゃんを目指して、The Bestではなく、My Best で頑張って下さい。 心から応援しています!!
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