東京校基礎コース修了 青山そらさん 25歳
愛情中毒だった私の、幸せな変化
愛情中毒だった私の、幸せな変化東京校 青山 そらさん(25歳 女性)
私は、来年就職を控えた大学生です。
私はメンタルを受講して、毎日起こるさまざまな事へのとらえ方が大きく変化し、また過去の自分を省みて感じることがたくさんありました。私は大学に入学するまで、周囲の人間とあまり深く関わらないで生きてきました。
学校で友達とおしゃべりするのは楽しい、でも放課後や休日にわざわざ遊ばなくてもいい、家でテレビでも見ていたほうが楽でいい、そんな風に考えていました。私は常に周りの顔色を伺い、他人に、自分の弱いところを見せることがとても苦手だったからだと思います。
もし私が変なことを言ったり、したりして、その場の 空気を壊してしまったらどうしよう、口では気にしないと言っていても、心の中で「何でこんなこと言うの?むかつく」などと思われていたらどうしよう、そのようなことが常に心の片隅にあったような気がします。その後、無事大学に入学し一人暮らしを始めると、その生活はがらっと変わりました。
まずアルバイトをはじめ、部活に入り、そこで初めて彼氏も出来ました。
しかしあまりの変化に私は対応しきれなかったみたいです。
彼氏ができたあたりから、「彼女ってどうしたらいいの?」「女の子らしくして、ちょっとわがまま 言って?お金は出したほうがいいの?どうしたら満足してもらえるの?」と、高校までの人付き合いのなさのツケが回ってきたかのように、私は、相手がどう思うのか、何をしてもらったら喜ぶのか、よく分からなくなってしまいました。今思えば、彼はそれまでの私を好きになってくれたので、下手に作らず、そのままの私でいればよかったのだなと思いますが…。挙句、私がこんなに好きでいるのにあなたは何も返してくれない。
あなたが好きといってくれないと何も楽しくない。
彼氏なんだから愛してくれるのは当たり前でしょ?といった具合に、当時の私はまさに愛情中毒患者だったのです。
自分ではたいした努力もしてないくせに、他人に100%の愛情を求めるという、大きな赤ちゃんだったのです。
後編コースの<落ちこみグセから脱出するテクニック(論理療法)>での衛藤先生のお話、心に響きすぎて痛かったです。そんな状況の中、大学2年生になるとさらに授業が忙しくなってきました。
私は獣医学科という専門的な学科に入学したにも関わらず、そこまで強く獣医師になり
たいとは思っていなかったので、ここで漠然とした不安にさいなまれました。
「今からこんなにきつくて、6年生になれるの?獣医としてやっていけるのかな? 留年なんてことになったら…。
獣医になれなかったら私が生きている意味ってあるのかな?」そんなことを考えて、夜、一人アパートで独りになると不安すぎて寝ようとしても寝られず、朝大学へ行くと周りに友達がいてくれるので安心し、授業中に寝るといった日々を送りました。それを打開することが出来たのは、その年の夏休み、私が帰郷しているときに母が子宮がんで入院することになったのが大きなきっかけです。
後編コースの中で衛 藤先生が「役割のできた人間は強い。」と言っていましたが、その通りだと思いました。
当時2人の姉はすでに就職しており、父は家事が全く出来なかったので、「私が家族の生活を守らなきゃ。」という思いで、日々掃除、洗濯、食事をこなすと、学業以外での自分の存在価値が見えてきて、不安もなくなっていきました。その後大学の研究室にも入室し、学年も順調に上がっていって、気づけば4年生になっていました。
その頃から私は少しずつ友達や後輩から悩み相談を受けるようになりました。
高校まであまり友達と深い付き合いをしたことがない、まして悩みなんか打ち明けられたことがほとんどなかったので、最初はどう反応していいのか戸惑うと同時に、世の中の人はこんな風に他人に弱みを見せることができていいなぁ、と、うらやましく思ったりもしました。最初は戸惑っていた私でしたが、親に心配されるくらい人のいい性格なもので、次に生まれて来た感情は、「私が何とかしなきゃ。私を頼ってきてくれたのだから 解決策を見つけてあげなきゃ。」でした。
そうやって相談されたはずの私のほうが、一晩悩んだりして次の日にその友達に会うと、その友達はケロッとしていて 逆に私が落ち込んだり、なんでこんなに私が考えているのに、あなたはまるでもう忘れたかのように笑っているの?と憤ってみたり。今思うと、勝手に友達の気持ちを捏造して、落ち込んで、怒って、なんてネガティブな妄想癖だと思えますが、当時の私はそれが本当に友達の為だと思っていました。
「為」という言葉を使うたびに、講座の中で何度も出てきた、「人の為は偽り」という言葉が思い出されます。
その問題はその人が解決すべき問題で、他人 が簡単に逃げ道を教えても、それはその人が成長するチャンスを奪っていることになる。
私の聞き方は、講座の中に出てきた「過保護同意型」であり「おせっか いな助言型」で、しかも他人が助言どおりにしないと嫌な気持ちになるという、離別感なんて欠片もない、幼い聞き方でしかなかったのです。そんな中、実習で行ったある動物病院の院長先生に、性格も多種多様な飼い主さん達とどのようにコミュニケーションをとっているのか、質問したときのことです。
「そういうことに興味があるなら面白いセミナーがあるよ。体験コースがあるから暇があったら行ってみるといいよ。」そういって教えてもらったのが、メンタルヘルス協会の衛藤先生でした。早速体験コースを申し込んで参加してみると、衛藤先生の話が面白いし、泣けるし、たった2、3時間なのにすごくすっきりした気がしました。
でもそのときはま だ基礎コースに申し込もうとは思いませんでした。
申し込むきっかけをくれたのは、大学の友人と、後輩の女の子です。
その二人はいつも、自分のことは二の次で周りのことを考えているような感じでした。特に後輩の方は、自分の言動で他人がどう思うのかをすごく気にしていて、いつも気を張って生活しているように見えました。
一方友人の方も、以前カウンセリングと薬の処方を受けていたみたいで、ちょっと押したら崖の下に落ちていってしまうような、危うい雰囲気を持っていました。
でも私はその2人が好きで、よく相談に乗ったり一緒に旅行したりしていたのですが、私が6年生になった今年の春、後輩が、自分がうつ病であることを私に打ち明け大学を休みがちになると、 私は自分の無力さを感じました。友人のほうもそれにつられるようにして再び鬱気味になり、彼らの手に、自分でつけた根性焼きやらリストカットの痕を見つけると、「私はいつも話しを聴いてあげることしか出来ない。何か他に、私に出来ることはないか。どうしたら2人とも元気になってくれるのか。」を考え、なんともいえない無力感に苛まれました。
そのときにふと、半年ほど前に参加したメンタルの体験講座のことを思い出して、彼らの癒しに少しでも力を貸すことが出来ればと、カウンセリングの勉強をしてみようと思いました。
前編が始まって1回目の<聴き方 秘密のテクニック>で、私は自分自身の心が軽くなるのを感じました。
衛藤先生の話を聴いていると、「あ、聴いてあげるだけ でよかったんだぁ。むしろ助言なんてする必要もなかったんだぁ。」と、今まで自分を責めていた気持ちが少しなくなっていきました。後編の<大切な人とわかりあえる解決法>を受けた後、ちょうど父を説得する機会に恵まれたので、実践してみました。
父が納得してくれるくらい分かりやすく説 明しみようと思いました。
しかし結果的には全然分かりやすい説明が出来ず、父のほうが聞くのが嫌になって去っていくという結果に終わりました。
言葉では分 かっていてもやっぱり相手を説得するのは難しい!とすごく思いました。前編、後編を通して私が一番好きな講座は、<大切な人への心の伝え方(Iメッセージ:自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)>です。
私には2年近く片思いしている人がいます。
その人には付き合って3年になる彼女がいます。
そのことは私も十分知っていましたし、最初はまったくなんとも思ってなかったのですが、親しくなるにつれその人がほぼ毎日私に電話をしてきたり、2人でご飯を食べに行ったり、出かけるようになって、いつの間にか私のほうがすごく好きになっていました。するとまた、「私のほうがこんなに一緒にいてあなたのために時間合わせているのに、どうして彼女と別れないの?てゆうか彼女は気づいてないのかな?」と、愛情中毒的な感情が私の心に渦巻いていました。ようやく自分の弱みを見せられるようになった友達へも彼の愚痴をこぼしましたし、それを聞いた友達も、「そんなのやめな!あんたが傷つくだけだよ!」といってくれましたが、それでもあきらめることが出来ず、その彼本人にも八つ当たりして数ヶ月気まずい感じになったりもしました。自分でもこれからこの気持ちをどうしていいのか、よくわからなくなっていたときに「Iメッセージ」の講座を受けて、私はYOU(あなた)メッセージでしか相手に訴えていなかったのだと感じました。
そしてその夜、思い切ってメールで彼に講座で作ったI(私)メッセージを送ってみました。私は彼より1年先に大学を卒業し、来年から田舎の動物病院に就職が決まっていたので、今までの感謝の気持ちを伝えました。
すぐに電話が返ってきました。「遺書みたいなメールをするんじゃない。」それが彼の第一声でした。
私もうすうす何か遺書っぽいな…。
と思っていたので、「やっぱり?(笑)でもそう思ったん だもん。」と返すと、「飲んでるの?でもまぁ…うれしいけど…」という答えが返ってきました。
その時私はなんともいえないような充足感で胸がいっぱいになりました。まさに<これからの生き方とは・・・未来心理学(トランスパーソナル心理学)>で学んだ至高体験!(素晴らしい幸福感、最高の充足感を感じる瞬間のこと)といっても言い過ぎでないような、幸せな気持ちになりました。
彼は彼女と別れたわけでもなく、私のことを好きと言ってくれた訳でもありませんが、私のIメッセージをきちんと受け止めてくれたということが、こんなにも幸福感をもたらすことを実感しました。それからの私は、論理療法のエリス博士の受け取り方の勉強も影響して、「私が彼を好きだから一緒にいるだけで、その責任は全部私にある。他人にあれこれ愚痴るようなことじゃなければ、彼をどうこうしなければならないことでもない。むしろ早くに両思いになっていたらおそらくまた相手に依存してしまっていた。これは人間として自立するいい機会だから、自分をちゃんと大人にしよう。」と、ポジティブに考えられるようになりました。
その状況のいい面を見つけることが 出来るようになってきたのかなと思います。そのほかにも、メンタルの講座はどれも心にじんわり染みて元気になって、明日からの生活がちょっと楽しみになるような講座ばかりでした。
「トランスパーソナ ル心理学」では、すべてが無意識の世界でつながっているという最新の心理学を知り、ちょっと信じられないような、でもとっても素敵な考え方だと思いました。この修了レポートを書いている今現在、一人暮らしで家族にすぐ会うことは出来ません。
学生なのでお金もあまり持っていませんし、彼氏もいません。
自分のコンプレックスなんか腐るほどあります。
ドーナツの欠けた部分(ゲシュタルト療法での例、人間は欠けているところが気になる)に目を向ければキリがありません。でも、家族が元気に生きていて、心の許せる友達がいて、好きな人もいて、おいしいご飯が食べられ、夜にぐっすり眠れるというドーナツの満たされた部分(足りているところ)に目を向けることが出来るようになってきた今、私は毎日がとても楽しくて幸せです。
いろんな調味料が絶妙なバランスで調合されて、絶妙な味 を生み出すのと同じように、生きるということも楽しいことばかりではなく、辛かったり悲しかったり、いろんな出来事が混ぜ合わさってより味わい深くなっていくのだなあと思えるようになりました。