受講生の感想レポート

大阪校基礎コース修了 左右津寛子さん 33歳

カウンセラーとしての私の最後の役目

私が初めて『カウンセリング』として話を聴いたのは、小学校・中学校時代の同級生だったA君でした。
彼とは特別仲が良かった訳でも、特に印象深い思い出がある訳でもありません。
いくつか残っている私の中の彼の記憶は、電車が大好きで車掌になるのが夢だったことと、真面目だったということです。
中学卒業後は成人した後に開かれた同窓会で何度か再会し、挨拶をした程度でした。
その時に車掌になる夢を叶えたと聞いた時は、やっぱり真面目に取り組み続ける人は夢を実現できるんだと感激して、彼にも直接「おめでとう、すごいね」と声をかけたのを覚えています。
そんな彼にカウンセリングをすることになったきっかけは、mixi上に私が載せた『カウンセリングモニター募集』でした。
母校のコミュニティに私がトピックを立てたことからネット上でふたたび再会し、「カウンセリングのモニターになりたい」と連絡を受けました。
 
衛藤先生の体験を参考にして、A君のカウンセリングは静かなカフェに一つだけ用意してあるロフトスペースの席で行うことにしました。彼の状況は、8月頃に会社の精神科医から『うつ病』と診断を受けて、それから約半年間病気休暇をとっていました。
会社の保健師、精神科医、近所の心療内科の3箇所に通院してはいるけれど、ゆっくり話を聴いてもらうこともなく、薬を服用しても変化を感じない。
もともとはっきりした心身症や神経症の症状はない。
そんな中、長い病気休暇をとっていると、だんだんと自分が本当に鬱なのかどうかも分からなくなってくる・・・。
プライベートでは20代前半で結婚をし、3人の子供に恵まれたのですが、その内二人に障害があるとの事でした。そんな時にちょうど私のモニター募集が目に留まり、今まで仲の良い友人にも話したことがなかったけれど、意を決して私に話してみることにしたそうです。
真面目にコツコツ頑張り夢を叶え、好きな人と結婚し、子宝にも恵まれたA君。
しかし、心の自由を自ら見失ってしまったように感じました。
彼自身が語る中で自覚していたことは、それなりに真面目にはやってきたけれど、上手なごまかし方を身につけ、たいした苦労もせずに、痛みを伴うこともなく大人になってしまったということでした。
叱られずにそつなくやれば幸せになれるかというとそうではなく、人間に必要な要素はそれ以外にもたくさんあるんだということを、頭では分かっていても、彼にはそういう自分を受け入れる事ができなかったのかもしれません。
足踏みをしている彼のもどかしさを私は感じました。
そして、私がそう共感したのは、私も同じような10代を過ごしてきたからだ思います。自分の中にどっしりと座り込んでいる『正しさ』という『固定観念』。
前に向かって歩き出そうとしても、その『固定観念』が足かせになって進めない。
あと一歩のところで抜け出せない。
行ったり来たりするうちに気付いたらどこを歩いているのか、どこに向かっているのか分からなくなってしまう。
言いようのない焦燥感は心をどんどん疲労させる・・・。それはいつか自分も感じた焦りと孤独でした。
カウンセリングを行う立場は、過去に経験した自分の感覚に戻るということであり、また過去の自分を今の自分の目で見つめなおすことのように思いました。
時には過去ではなく、現在の問題を見つめなくてはならない場合もあるかもしれません。
そうして向き合ったありのままの自分を、クライアントの前にそっと座らせることで、同じ問題に取り組む者同士でシンクロニシティ(意味ある偶然)が生まれ、クライアントの次なる一歩に影響を与えるのではないかと感じました。
そういった意味でも、クライアントを映し出す鏡となるカウンセラーは、自分の問題ときちんと向き合えるマインドを持っていないと、かえってクライアントを迷わせてしまう危険性もあるように思いました。こうしてA君のカウンセリングは、彼の要望に応じて回数を重ねていきました。
いつも会話のはじめには、中学時代の思い出話や、思い出グッズのお披露目があり、次から次に出てくる思い出グッズの量や保管状態の良さからも、中学時代がいかに彼にとって心豊かな時期だったかということが伺えました。
それは私にとっても同じで、中学時代の合唱の思い出など、今なお輝きを持ったまま思い返すことができます。
こういった部分で強い共感を得られたことで、彼とのラポール関係(信頼関係)が築けたと思います。
 
基本的には終始パッシブ・リスニング(受動的な聴き方)で聴き、今まで他人には打ち明けられなかった想いを表に出していく作業だったと思います。
自分が鬱病であること、一家の大黒柱でありながら働いていないという状況、子供たちが持つ障害による将来の不安、大きくはこの3つが、彼の心の重石になっているようでした。
彼の中にある『一般的社会人』という枠組み、そこから自分は外れてしまっているのだと、社会の蚊帳の外に自分を追い出しているように見えました。
 
それでも、自分も社会的役割を少しでも果たしたいという思いで、彼の代わりに働く奥さんに代わって幼稚園への子供の送り迎えや、家事にも積極的に取り組んでいるようでした。
しかし、今度はそういった彼の行動や自尊心が家庭と幼稚園の往復という狭い社会の中であふれ出してしまい、奥さんに対して厳しく求め追い詰める状況も引き起こしていました。
実は奥さんも鬱病で、同じ心療内科で薬を処方してもらっていると打ち明けてくれました。
彼の心の状況は、将来を想像するには暗く、目の前に迷路が続いているような印象を受けました。
だからこそ前を向けない、今を受け入れられない、過去の輝かしい日々に浸る時間を欲してしまうのかもしれないと感じました。ちょうどこの頃に研究コースで衛藤先生の「禅」の講座を受講しました。
基礎コース後編で学んだ論理療法や森田療法も少し活用してみましたが、彼は今の自分をあるがまま受け止めるという感覚がなかなか掴めないようでした。
そこで、その時上映が始まったばかりの映画【禅】を見てはどうかと提案してみました。
彼がどう感じるのか気になり、感想を聞いてみると・・・「とらわれ」という感覚がいまいち理解できないようでした。そこで、私が感じたことということで、映画【禅】が何を訴えていたのかを話した時、彼の表情がハッと変わり、映画の中で描かれていた「とらわれ」と彼の中の「とらわれ」が少し重なったようでした。
「とらわれ」を開放すること=あるがままを受け入れるということ。
枠を作ることで、自分の自由を奪う要素を多くはらんでいるということ。
自分が作った枠が、人の自由も奪う可能性を持つということ。
こういったことを僅かでも感覚的にキャッチできた瞬間だったと思います。カウンセリングを重ねながら、彼は20年来の親友に抱えていた問題を少しずつ打ち明け始めました。
私が思っていた通り、彼の友人たちは彼の話を静かに聴き入れ、あるがままの彼を受け入れてくれたようでした。
それは、彼自身も友人たちのあるがままの姿を受け入れてきたことの証明でもあるようでした。
一人、また一人と、彼は友人に自分の問題を打ち明け、以前よりもその友人たちと会う回数も増えていきました。
それは次第に同窓会という形になって、彼は幹事を務めるようになりました。彼の変化は家庭以外の外への活動という面で、顕著に現れていました。
同窓会以外にも幼稚園の保護者会の役目を受けたり、児童教育関係の勉強会に参加したりと、今までの仕事以外にも社会に参加するという自らの変化を喜んでいました。
そして、私に対しても何度もお礼の言葉を伝えてくれました。
他に対して感謝できるということは、自己の存在を喜び受け入れているということだと私も喜んでいましたが、何度も何度も伝えられる感謝の言葉に、だんだんと私に対する依存傾向を感じ始めました。
感謝の念が依存に替わるということは考えたことがなかったので、私自身かなりの戸惑いを覚えました。
しかしこのままでは、彼の心がいつか行き詰まる時が訪れると感じ、カウンセリングでは一線を引き、少し父性的な言葉と態度で関わることにしました。もうそろそろ、自分ひとりで問題に向かっていく用意ができたのではないか。
薬を飲んでも変化を感じなかったけれど、自分の気持ちと行動によって今は変化を感じている。
それは自分の中に問題を乗り越えていく力を持っているということではないか。
このように「カウンセリングで変われた」という視点から、「自分で乗り越えた」という視点への移行を促していきました。衛藤先生が講座の中で幾度も例に出されていた、河合隼雄先生の「いかに黒子に徹するかが今でも難しい」という言葉を何度も思い出しました。
彼の人生に対して過剰な影響を与えてしまったのではないかという反省は強く、今後のカウンセリングでの大きな課題となりました。
ラポール形成はカウンセリングにとって必要なことですが、少なからず依存的な心理が働いていると思います。
しかしクライアントが自分の人生を自分の足で歩いていくには、一度築いたラポール関係を思い切って手放す必要もあるのかも知れません。嫌われたとしても・・・。その時を境に、彼のカウンセリングはひとつの区切りを迎えました。
彼は日本メンタルヘルス協会で学び始め、また新たな人との関わりの中で学びを深めているようです。
再度カウンセリング希望の連絡を受けたこともありましたが、すぐに自分で気持ちを持ち直したようでした。
まだ職場復帰は果たしておらず、恐らく鬱病という診断は続いている状態ですが、明らかに彼は閉ざされた世界から抜け出すことができたのだと思います。
私自身は今の彼は鬱病ではないと感じています。
病気を抱えているのではなく、彼自身が乗り越えるべき課題に取り組んでいるのだと思っています。
自分が生まれ持った生き抜く力を認めるためには、今まで自分を守るために築いてきたバリケードを、自分の力で解き放っていく必要があるのだと思います。
そしてカウンセラーとしての私の最後の役目は、旅立った彼の後ろ姿を静かに見送ることなのではないかと思っています。

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