大阪校 三樹 英人さん(44歳 男性)
まず、最初に衛藤先生、丸山先生、林先生、スタッフの皆様そして講座で出会えた、たくさんの参加者の皆さんに心から、「ありがとうございました!」と言いたいです。
毎週、大阪校に通うのが何よりも楽しみでした。講座が終わるのも後編は毎回夜10時を軽くまわり、その後夕食会に参加していましたので、帰りはいつも終電でしたが、毎回本当に元気になって家路につきました。本当に、本当にありがとうございました!
私は、昨年8月に20年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、今年の5月から目標達成コーチと行政書士として独立・開業しました。ちなみにサラリーマン時代は4社に勤め、いずれも法務部で、裁判やM&A、契約書作成などの仕事をしていました。
なぜ行政書士だけではないのか?と言いますと、法律的な問題の相談に来るクライアントが、法律の問題だけでなく、その感情を害していたり、自分が何をしたらわからないというような、「心の問題」を抱えているケースが非常に多いことがわかっていたからです。それにもかかわらず、弁護士、司法書士、行政書士といったいわゆる士業といった先生方は一般の人には敷居が高く、クライアントの心の問題まで向き合うような人が非常に少ない、いや、むしろクライアントに感情移入してはいけない、という習慣がまかり通っているように感じていたので、「一人ぐらいそんな法律家がいても良いのでは?」と思って2つのサービスを始めました。
とは言うものの、実際に開業してみて、「どうやってクライアントの心の問題に向き合えるのか?」という具体的な手段が正直よくわかりませんでした。今までにコーチングのセミナーにもたくさん参加し、技法も身につけたつもりです。自分自身もコーチングを受けてみたりもしました。でもそれで、感動したり心が動かされることはほとんどなかったですし、コーチが次々としてくる質問がわざとらしくいやらしい物に感じられることが多かったのです。私は途方にくれていました。
そんな時に、友人に、「日本メンタルヘルス協会の衛藤先生の講義は本当に良いから受けておいで」と勧めてくれ、4月から受講することにしたのです。
まず前編の中で、私が特に強烈に印象に残ったのが「アクティブリスニング(積極的な聴き方)」と「Iメッセージ(自分の気持ちを素直に伝えるメッセージ)」です。
「アクティブリスニング」には本当に驚きました。「援助者のおかしやすい、よくある失敗」を衛藤先生が説明してくださいましたが、私はほとんどのケースに当てはまっていました。というかそもそも法律家の仕事というものが元来、この「よくある失敗」を犯しやすいものなのだと思います。要領の悪いクライアントを質問攻めにしたり、つい出来心で違法行為をしてしまった経営者につい説教してしまったり、ウジウジして行動できないクライアントに次々とアドバイスしまくったり。これでは「心の問題」に向き合える訳がないですよね。
そして、「Iメッセージ」。 Iメッセージで話す法律家やコーチがこの世の中にどれだけいるのでしょうか?私の知っている限り「0」です。どちらの職業も、機械のようにクライアントの問題を分析し、どんな時にでも冷静沈着。そんな人ばかりではないでしょうか?もちろん私も含めてです。私の思うにIメッセージは自己開示だと思うのです。ある意味自分のみっともないところをさらけ出さなくてはならない。それは絶対に許されないことだと思っている。だから多くの法律家とコーチがIメッセージを使わないのは当たり前のようになっているのだと思います。
衛藤先生にこのことを教わってから、アクティブリスニングとIメッセージを早速使ってみました。アクティブリスニングは、最初のうちはうまくいかなかったのですが、少しずつ徐々に使えるようになっていきました。Iメッセージはクライアントの目の前でやるのが、最初のうちはかなり抵抗があったので、まずはEメールの文書をIメッセージで書くところから始めました。次にクライアントとのミーティングの中で少しずつ少しずつ使うようにしてみました。
するとどうでしょう。
クライアントがどんどん自己開示してくれるようになったのです。「えーこんなことも隠してたの?」とこちらが驚くようなことも教えてくれるようになってきました。クライアント曰く、「今までの三樹先生は正論ばかり言っていた。それは確かに正しい。経営者としてそれを実行しなければならないのは頭ではわかっていた。だけどどうしても気持ちがついて行かなかった。だから三樹先生に伝えておかなくてはならない情報も、言うとまた説教される、と無意識に思ってしまっていて今まで隠していた。でも最近の先生は違う。これからは何でも話すようにするよ!」と言ってくれたのです。
私は感動で思わず目頭が熱くなりました。こんな体験は開業してから初めてのことでした。
そして前編が終了し、後編が始まりました。毎回毎回どの講座も素晴らしかったですが、その中でも一番今の私にとって衝撃的だったのが、「落ち込みグセから脱出するテクニック」の中の「ビリーフ(物事の受け止め方)」でした。
講座の中で衛藤先生がおっしゃいました。 「子供は愛されないと生きていけない。でも大人になれば愛されなくても生きていけるはず。大人になっても愛されないと生きていけないと思っている人がなんと多いことか。でも孤独と向き合う覚悟を決め、日常の中に幸せを見つけよう。それが自己信頼感であり、自立した人間の姿。人生を時間の流れの中で観察しよう(出会った時から別れのカウントダウンが始まっている)。人生の意味・目的を自分で作ろう。人生の中で自分らしい役割を持とう。」
それを聞いたとき、何かがすっと体から抜けていった気がしました。
私は、4歳の時に両親が離婚しました。父親はメガバンクに勤めるエリートでしたが、その当時同じ職場の若いOLと不倫していました。詳しいことはわかりませんが、結果的に私の実の母親の方が家を追い出されることになりました。それ以来、私は2番目の若い母親に育てられることになり、彼女も私を可愛がろうと努力していました。
でも弟が生まれてから、状況は一変しました。幸か不幸か私は弟より何をやらせても優秀でした。そして育ての母親は非常に感情的になる性格でした。よく言うと、自分の母親としての愛情や感情をストレートに出す人でした。何か少しでも弟が気分を害するような状況になると、恐ろしい剣幕で私に向かってきました。私は恐怖に震えました。その状況は例えるなら、よそのクマの家族の巣に間違って入り込んでしまった小熊のようでした。弟の前で私はなぐられ、罵られ、地獄のような毎日でした。「母親がいないことより、いる方が不幸なこともあるんだなー」と幼な心に思っていました。そしてこのような状況を作った父親を心から憎みました。こんなに自分にとっては不幸な家庭なのに、彼が世間に対しては自分の面子を保つために、無理に幸福な家庭を演じているような気がして仕方がありませんでした。
一方、実の母親は、離婚後何回か、私が小学校が終わって帰る頃に、校門で待っていることがありました。私と家まで一緒に歩くのです。途中、「もうあの人のことを“お母さん”って呼んでるの?」とか「お父さんは元気?」とか色々と聞いてきましたが、私は何と答えたらよいかわからず、ずっと下を向いて歩き続けるのが常でした。
そんな事が何回か続いたある日、また一緒に家の前まで歩いてきた実の母親が、「これからお向かいの太田さんの家に行くから。もし私と一緒に暮らしてくれる気があったら来てね。」と言って去っていきました。私はどうしたら良いかわかりませんでした。もちろん育ての母親にそんなことは言えません。ただ窓を小さく開けて太田さんの家の方を伺っているしかなかったのです。
それから30数年、今年の1月まで実の母親と私が会うことはなかったのです。
今年の1月、幸運にも行政書士試験に合格し、開業する決心をすると、なぜかふと実の母親に報告しようという気になりました。戸籍の移動履歴をいくつも追いかけ、静岡にいることを突き止め再会しました。静岡駅の和食屋で何時間も話し込みました。幸運にも彼女は再婚して幸せに暮らしていること、再婚相手も実は再婚で私と同じくらいの連れ子がいること、彼女は乳癌の手術が終わったばかりであることなど色々な話を聞きました。
話をしている間、一つ私にはどうしても理解できないことがありました。彼女の口から私の父親や育ての母親の悪口が1回も出てこなかったことです。自分を追い出す原因を作った女の事など、殺したい程、憎いと思ったことがあるはずです。でも全く悪口が出ないばかりか、「あんたねー他人の子供を育てるということは並大抵の事ではないから新しいお母さんには感謝するんだよー」とまで言うのです。私は訳がわかりませんでした。でも話をしているうちにやっとその理由がわかりました。
実は、彼女は私と会うのかどうかすごく迷っていたのです。自分は抗がん剤の副作用で髪の毛が全くない醜い姿であること、再婚相手の夫や子供たちに悪いなーと思ったことなどが原因でした。でも、迷った挙句に彼らに正直に相談したそうです。すると。。。
夫:「いい息子さんじゃないかー。そんなの絶対に会ってくるべきだよ。なんだったら家に呼んだらいい。俺がご馳走を作ってやる。」 息子:「そうだよ、そうだよ、会ってきなよ!もし母さんの病気がまた急に悪くなるようなことがあったら僕がその人に連絡とってあげるから、連絡先も聞いてきてね!」
私は、その話を聞いて、「あー彼女はこんな素晴らしい人達と一緒にいられたから、幸せなんだ。だから僕の育ての母親に対してもあんなに優しくいられるんだ」と理解したのです。そして、「自分もこの人と同様、父親や育ての母親のことを許そう、自分なりに愛する努力をしよう。この人の実の息子である自分にできないはずがない。」と心に決めました。
それ以来、実家にたまに帰るようになりました。実家は横浜なのですが、以前は5年も帰らないこともありました。父親や育ての母親とも少しずつ話をするように努力しました。でも、やはり長年の過去の心の痛みがよみがえってきて、苦しい思いといつも戦っていたのです。
そんな時でした。衛藤先生の「落ち込みグセから脱出するテクニック」の授業を受けたのは。 まず、本当に気持ちが楽になりました。父親や育ての母親に会いに行って、過去の心の痛みが蘇るときは、無理をせず、話をするのをやめて距離と時間をおくようにしました。そしてまた落ち着くと話をしに行きました。そんなことを少しずつ少しずつ繰り返していきました。
そんな小さな、ささやかな変化を起こしていること自体が自分にとって奇跡だと思えるようになりました。「自分の人生ってこう考えると、結構奇跡に満ち溢れてるかも?」と思えるようになりました。「確かに、自分はよその人達みたいに両親の無条件の愛を一身に受けていないかもしれない。でもそれでも、結構幸せかもしれない。行政書士/コーチとしての業務にこの体験を生かせるかもしれない。大体母親が2人もいるって考えようによってはなんか良くない?」とまで思えるまでになったのです。
すると、不思議なことに父親と育ての母親の態度も変わり始めました。少なくとも私にはそう感じられました。開業した事務所までわざわざ見に来てくれたり、過去のつらい経験や自分の気持ちを話してくれたり、私の話をただ黙って聞いてくれたり。その様子はまさにIメッセージやアクティブリスニングそのものでした。
こんな風に自分や家族との関係が変わるきっかけを与えてくださった衛藤先生に心から感謝したいと思います。まだまだ父親と育ての母親との心の溝を埋めるのは時間がかかるかもしれません。でも、「出会った時から別れのカウントダウンが始まっている」という言葉をいつも心にとどめ、彼らとの時間を大事にして生きていきたいと思います。 本当にありがとうございました!!
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~受講生のレポートより抜粋~ |
紹介スタッフ:鈴木 |
二人のお母様がいらっしゃる三樹さん。 お父様が再婚し、新しいお母さんがやってきて、弟さんが生まれてからのお母さんの変化。 「母親がいないことより、いる方が不幸なこともあるんだなー」と幼な心に思っていました・・・当時の三樹さんの正直な気持ちだったと思います。
一方で、生みのお母さんは学校帰りの三樹さんを校門の前で待っていて、家まで歩きながら話しかけてくれていた。 この時の生みのお母さんはどんな気持ちで、三樹さんの帰りを待ち、話されていたんだろう・・・三樹さんと離れることが辛く、行く末を案じ・・・お母さんの愛情がヒシヒシと伝わってきました。
それから30数年後に、生みのお母さんとお会いした三樹さん。 三樹さんにとって、この30数年間の間には、レポートには書ききれないほどの色々なことがあったと思います。 そして、生みのお母様も、この30数年間の空白を、どんな想いで過ごされてきたんだろう・・・レポートを拝見しながら、私はレポートに書かれていない空白の時間に想いを馳せていました。
衛藤先生がいつも言われる「人生に無駄なことは一つもない」という言葉。 30数年間の間、お二人が色々なことを考え、お互いを案じ、お互いの愛情を忘れず、時には溢れ出る想いを封印し、それぞれの人生を過ごされてきたのだと思います。
その間、お二人の絆はずっとつながっていたんだろうな、と思いました。
そして、この30数年間は再会するために必要な時間であり、決して無駄な時間ではなかった。 だからこそ、生みのお母様がとてもステキなご主人と息子さんに出会い、三樹さんにも色々なことを身をもって教えて下さったのだと思いました。
衛藤先生は「その時に切り取ってみれば不幸なことも、人生というトータルな長い時間で見てみると、その辛い時期があったからこそ、今の幸せがあると思えるようになる」と、よく話されています。
三樹さんの人生も、本当にそうだな、と思いました。 生みのお母さんと離れた時期は辛かったと思いますが、その時があったからこそ、30数年の時を経て、今の幸せを感じることができる。
そのことに気づいた三樹さんは、現在、ご両親との新しい関係づくりに頑張っていらっしゃる。
受講生さんとお話しをしていると、今、目の前にある辛いこと、苦しいことが、その方の悩みになっている。 それが当然のことなのですが、その時に、その辛さや苦しさに真剣に向き合い、考え、気づいたことが、その後、自分で幸せを見つけるための「種子」になるのだと思います。
衛藤先生のメッセージを体現した三樹さんの人生と、そのレポートから、私自身も感動し、そして学ばせて頂きました。
三樹さん、本当にありがとうございました!
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