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大阪校基礎コース修了 上原京子さん | 日本メンタルヘルス協会

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受講生の感想レポート

大阪校基礎コース修了 上原京子さん 55歳

後悔しない人生を。母の認知症、家庭不和から学んだこと
私は、20歳の時に母を天国におくりました。
その日は、四季の中でも大好きな5月の早朝でした。
未だ薄暗い遅い春の未明、長い入院生活をしている母の夢をみました。とても不吉な夢で、母の入院している病院のドクターから母の危篤の連絡を受け、父と弟と急いで病院に駆けつけましたが、着いた途端にドクターから何故もっと早く来なかったのか、と言われ母の死に目に間に合わなかった・・・と言う夢です。夢の中で大泣きし母の名を呼び悲しみにくれているとき、突然電話のベルが鳴りハッと目が覚めました。「ああ、夢やったんや」と現実にもどり胸を撫で下ろしたのも、つかの間、電話のベルは「母の死」を告げていました。受話器を取る手が震え間違いであることを心から願い、取った受話器から「お母さんが危篤です。すぐ来て下さい。」と言われ茫然自失に陥ったのが二十歳の年の5月30日でした。母は今の私より10年若く47歳で生涯を閉じました。
母は、今でいう認知症です。その当時、まだ認知症という病名はなく、脳軟化症だと言われました。
入院して日にちを追うごとに、母は私も父も、弟もわからなくなっていき、面会に行くたび母は、私を見て「あんた誰?」と言いました。「お母ちゃん。私やん。京子。何ゆうてんの?」と言っても「ご親切に」と訳の分からない返事の繰り返しでした。私は母の入院前に、とぼけたことを言う母を非難し、若さゆえの悪態をつき、認知症が何であるかもわからず母がわざと、とぼけていると思い込んでいました。そんなことがあったので、母の生前の入院生活は、日に日に誰も分らなくなっていき最後には、本当に家族がわからなくなってしまいました。そんな母を目の当たりにして、悲しくて辛い日々でした。それから、17年の月日が過ぎ、私が死んだ母の年を迎える時、私は、今思えば鬱になりかけていました。母と同じに、47歳の5月30日に死ぬのでは・・・という恐怖が湧き、私を苦しめました。
それは何故かというと母は生前、自分が死ぬ日はきっと30日だと言っていました。母の母、私からいえば祖母が亡くなったのが30日だったそうで、必ず私は30日に死ぬだろうと予言し、実際に母は予言どおりに30日に亡くなりました。そのことは、私が私自身の心に無意識に強烈な暗示をかけ、47歳を迎える年まで封印していたのでしょう。その記憶が46歳になりフツフツと沸き起こり、それまで忘れていた5月30日という日を、ある意味で私の死刑執行日とも呼べる日を46歳の誕生日を過ぎた時から私に襲いかかり、私は鬱におかされ恐怖と共に1年を過ごしました。何をしても上手くいかず何も手に付かず、苦しい毎日を送っていました。
心と体のバランスを失い、ひとりでいると咳がでたり、やたらに咽喉がひっかかる感じがして、咳払いしたり心臓が苦しくなって呼吸がしにくくなったりし、最悪な時は体が痺れて固まっていきそうな感覚に襲われ病院に走ったこともあります。そこで、ヒステリック症状、狭心症と告げられました。
病院では発症の原因は、はっきりせず高血圧が誘因しているのでは?と言われました。
しかし、私には原因がわかっていました。そして、明日は47歳の誕生日という日を迎え、寝たらもう目覚めない、という強迫観念と恐怖が私を襲い、眠るのが怖くて「絶対寝るまい」と思っていました。しかし極度に張りつめた緊張感は、かえって眠りを誘い、起きているつもりが寝てしまいました。そして・・・
翌朝、目覚めて生きている私にどれだけ感謝したか。今にして思えば笑い話になりそうですが、本当に死ぬと信じていた私がありました。翌日から私の人生は一転し、心と体のバランスも徐々にではありますが元に戻ってきました。
あれだけ苦しんだのは一体何だったんだろう?と自分でも不思議です。
その後の私は、人生に怖いものが無くなったように強くなりました。それまでから私たち夫婦は何かと問題があり、夫との不和から家庭が崩壊寸前だった私は、DVもあり夫と別居する決心をしました。さいわい仕事もしていて、ある程度の地位もあり、子供を3人連れて行ってもなんとか生活できるぐらいの経済力もあったので、思い切って家を出ました。1歩を踏み出す勇気が母の死の恐怖を乗り越えたとき出たのだと思います。
そして8年近く別居しましたが、あることがきっかけで今はまた夫と一緒に暮らしています。それは、私が結婚して、嫁姑間の不和があり、唯一私の味方だった夫の祖母の死に直面し、おばあちゃんとの「体が悪くなったときは、最後まで面倒みてあげる」という約束を、別居していたため果たせなかったのです。このことは私のおおきな後悔になり、また折悪く、義父が次の年に祖母を追うように亡くなりました。それまで、強くて気丈な義母が「私の老後は面倒みてや」と気弱に私に話したからです。
もう、後悔はしたくないと思いました。メンタルのセミナーに来る前は、再度同居をしたものの、夫とは極力家の中で出会わないように工夫し、言葉を交わさないようにしていました。衛藤先生の体験セミナーを受けるまでは。セミナーで衛藤先生が「一期一会とは、もうこの人とは今日が最後だと思って接すること」と言われました。私も、夫とは今日が最後だと思って接することにしました。
何故なら、明日にでも夫が突然亡くなったら、私はきっと自分がとってきた態度に少なからず後悔するだろうと思ったからです。ものも言わず接触も避けてきた私でしたが、避けるのは止めよう、普通にしよう、と決めた日から徐々に気持ちにゆとりができ、朝「おはよう」が言えるまでになってきました。これは凄いことです。
何故なら私にとって夫は一生許せない憎悪の塊でしかなかったからです。
でも、私自身が変わっていこうとしただけで不思議と心が軽くなってきました。丸い輪の完成型を求め、欠けている部分のみに目が行って、そこだけ見ているから許せないし妥協できず、できている部分に目を向けていない自分に初めて気づいたからです。まだまだ夫を「愛している」とは言えませんが、以前よりは暖かく彼を見ることが出来てきました。また、先生は人と接するときはにこやかに、とおっしゃっていました。誰でも苦虫をつぶしたような顔で接するより、にこやかに接して貰ったら嫌な気にならないでしょ、と。『人の気持ちが理解できるようになりたい』からの出発ですが、今はネイティブピープルの考えかたの素晴らしさも知り、生けとし生きるものとして狩猟は「私たちのために貴方(獲物)の命を受け継がせて」のメッセージで、千年先を考えて狩りをし、獲物の生命時期を見極めているということの素晴らしさに感動し、今はもっともっとこの心理学を学びたいと心が揺れています。最後に、この3月に早期退職をし、退職後ファミリーサポートの仕事を立ち上げたいと考え、商工セミナーに参加しましたが、前に踏み出せなくて足踏みをしていました。あと1歩のところまで来ていましたが何故か迷いがあったのです。
でも、メンタルのセミナーに通う内にふっ切れ、昨年の8月1日から起業することが出来ました。
「ファミリーサポートO’TWO」です。心理学を、もっともっと知りたいという気持ちが基礎コースの後半に導き、今は次の研究コースへと誘っています。

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