受講生の感想レポート

福岡校基礎コース修了 加藤由紀絵さん 32歳

こんな家族もあっていい。生きているだけでいいじゃない!

こんな家族もあっていい。生きているだけでいいじゃない!福岡校  加藤 由紀絵さん(32歳 女性) 私は今、日本メンタルヘルス協会に出会えたこと、無事に基礎コース前編・後編を終えられたことにとても感謝しています。
メンタルヘルス協会に出会うまでの私は自分のことがとても嫌いでした。
自分のことを好きになってあげなきゃ誰も私のことを好きになってはくれない。
わかっていてもどうすればいいのか全くわからず、そんな出来ない自分をまたどんどん嫌いになっていきました。講座を終えた今、自分のことを好きになったとはまだ言えませんが、駄目でもいいそれでいいんだよと温かく見守っている別の私がいます。
自分のことを信じて明るく笑って暮らしていきたいと強く思えるようになりました。「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しい」。
体験講座で聞いたこの言葉はとても心に残っています。私は「いつも笑っていて楽しそうだね」とよく人から言われていました。
そう言われることは一見すばらしいことのように思えます。
でも、私の中ではいつも損してるなという気持ちがありました。
あまり気持ちが元気でないときは「そんなことないわ!」と腹が立つこともありました。元気がないときでも笑っていることは、まるで自分を偽っているような気分になり「なんで笑ってるん?」と自分を責めることもありました。
嫌なことや苦しいことがあったらすぐに顔にでる人がいますが、そういう人は他人から気づいてもらえるし、気遣ってもらえる。
私はいつも笑っているから気づいてもらえないし、気遣ってもらえない。そういう人を羨ましいとさえ思っていました。別に楽しいから笑ってるんじゃない、ただ楽しくなくても人前では笑っていないと周りに気を遣わせるし嫌な気分にさせてしまう、嫌われてしまう、そういう自分は嫌だから笑っていました。
私の笑顔は自分のためのものではなく他人の目を気にしている笑顔だったのです。他人のために笑うのではなく自分のために笑う、この言葉は私にそう教えてくれました。
基礎コース後編の行動療法・森田療法というカウンセリング方法で詳しく知ることができました。行動と心は必ず一致する。
あるがままの自分(楽しくなんかない)を受け入れ、それをわかった上で行動(笑顔)に移す。
笑っているからといって楽しんでなきゃならないわけではなく、笑うという行動が結果として心境の変化を起こし楽しくなる。
『笑う』という行動自体は間違ってはいませんでしたが、人前では笑ってないといけないという、とらわれのせいであるがままの自分を受け入れられていなかったのです。
それゆえに『笑う』が『楽しい』に繋がらなかった。他人から見たらいつも笑っている私は変わりません。
しかし、私の心は以前とはぜんぜん違います。
もし、今度誰かに「いつも笑っていて楽しそうだね」と言われたら、「楽しいから笑ってるんじゃないで、笑ってるから楽しいねん」と胸を張って言える私がいます。
自分が楽しくなりたいから笑う。
これからもこの気持ちを大切にしていこうと思っています。メンタルに出会うまでの私はありのままの自分を受け入れられず自分のことが好きになれませんでした。
自分の足りないところが気になる。
人の足りないところが気になる。
人の幸せを素直に喜べない。
自分だけがなぜこんな思いをしなければならないのかと人のせいにする。
人のことを心から信じられない。
そして周りの人を見渡せば、みんなが穏やかに過ごし、心から人の幸せを喜んでいるように見えました。
私だけなんて心が汚く、心が狭い人間なのだろうとそんな自分が大嫌いでした。でも、私は決して昔からそうだったわけではなく、学生の頃は好きとか嫌いとか考えたことさえありませんでした。
自分が笑っていることに疑問もなく心から笑うことができていたと思います。きっかけは、8歳年下の弟の不登校でした。
このことで私たち家族は一変し、ありのままを受け入れられない自分、自分を好きになれない自分に直面することになりました。10年前、私が大学を卒業して家業の鉄工所で働きはじめたころ、中学3年生だった弟が突然学校に行けなくなりました。
弟はひどい心身症と神経症になっており、食事やトイレやお風呂といった日常の生活をすることがとても困難になっていました。
学校に行っていた時に我慢をしすぎていたのだと思います。
行かなくなってからは日ごとに症状が悪化していきました。ある日、弟は自分のものを壊すようになりました。
部屋のガラスをたたき割り、同じものを買っては壊し買っては壊しを繰り返しました。
そして、それをとめる母を殴るようになりました。会社では弟を除く家族全員(父・母・兄・私)が働いていましたが、弟から離れられなくなった母は仕事を休むことになりました。
父と兄は仕事がとても忙しく現場から離れられなかったため、母がどうしようもなくなったときには私が飛んで帰り、暴れる弟を押さえ、殴られそうになる母をかばうという役割になりました。
当時はただどうにかしなくちゃという思いで必死でしたが、母から「助けて!」という電話がかかる度に殴られる母を見るのが恐ろしく、もしものことがあったらどうしよう、毎日が恐怖との戦いだったと思います。どうしてこんなことになってしまったのか、どうしてここまでなってしまったのか、どうしてうちだけがこんなことにならないといけないのか、疑問だらけの毎日でした。
弟に殴られ眠れず食事も喉を通らない日々を送るなかで、自信を失った母も「うつ」になっていきました。
そして、母は私にいろいろな話をするようになりました。母の話は、結婚してからのこと、仕事のこと、嫁姑小姑のこと、父とのこと、10年にわたる祖母の介護のことと多岐にわたりました。聞いていると母自身も自分を見失っていたこと、そんな中で弟を育てたことがわかりました。
母の苦しみが痛いほどわかったので、私は母の話を一生懸命聞きました。
「話を聞く(あえてこの字を使います)」と言うことは、その人の苦しみを半分抱えて同じ気持ちになることだと思っていた私は話を聞いては必死に同じ気持ちになって同調しようとしていました。母がそれを望んでいるように見えたしそうすることで楽になるのだと思っていました。
しかし、毎日毎日母の話を聞くうちに、いつの間にか私は、自分もこの人のようにしか生きれないのだと思うようになり、未来への希望がどんどんなくなっていきました。
きっと結婚しても母と同じような生活を送ることになるんだ。
きっと子供を産んでも私は弟のようなかわいそうな子供に育てることしか出来ないんだ。今思うとそれは『母子一体感(子どもがお母さんは自分のことを言わなくても分かってくれる、自分の思い通りに動いてくれるはずと期待してしまう、甘えや依存心のこと)』であり、私は母になっていたのだと思います。
母の気持ちを楽にするどころか私までが自分を見失い母と同じような状態になっていました。
話を聞けば聞くほど自分がしんどくてしんどくて、「もう、私に頼らないで」と母を拒否したこともありました。その反面、母の辛い状況を痛いほどわかっているくせに平気で突き放す私はなんてひどい人間なんだろう、なんて心の狭い人間なんだろう・・・そう思いました。その頃、私の仕事は定年を迎える伯母の経理の仕事を引き継ぐというものでした。
伯母は先代の社長である祖母を支え、経理を40年間やってきた人です。
もともとの性格がとてもはっきりしていて、言いたいことは何でも言い、あっちでこう言い、こっちでああ言い、社長は弟ですから向かうもの敵なしという人でした。弟が暴れ早退した翌日は、必ず状況を聞かれ細かく話さなければなりませんでした。
聞かれるのも答えるのも思い出すことが嫌だった私にはとても苦痛でした。
でも、会社を抜けさせてもらっているんだからそれは義務なんだと思い、答えるよう努力しました。そこで伯母はいろいろなアドバイスをくれまた。
しかし、神経症や心身症はそう簡単に治るものではなく迷惑をかけることがどんどん長引いていった結果、私の両親のことを批判するようになりました。
「あんたの親が暗いからあかん」「あんたのおかんが神経質すぎるからや」「あんたの親が悪いんや」…。
言われる度にとても悔しい思いをしました。
でも弟が不登校になり、家で暴れ、ものを壊し、母を殴り、それはまぎれもない事実だったのでどんなに言われても反論はできませんでした。
両親を否定されるということはまるでその両親から生まれた私も否定されているように感じました。私の両親へのアドバイスと批判を一生懸命聞く毎日が続きました。
そのうち、弟のことを話せば両親を否定される=私を否定されると思った私は伯母に話すことをやめました。
聞かれても「大丈夫やで」とだけ言うようにしました。
とても恥ずかしいことですが話しかけられても無視するようなこともありました。弟のことで頭がいっぱいの家族をこれ以上追い詰めたくなかったので、自分がこの様な状況になっていることは話せませんでした。それから私は、自分や家族のことを伯母だけでなく他の身近な人にも話すのをやめました。
というより否定されるのが怖くて話せなくなっていました。
弟が毎晩暴れたため物理的に私の居場所がなくなり、そして精神的な居場所もなくなっていきました。伯母を憎むほど嫌いになっていました。
姉である伯母に何も言ってくれない父を恨みました。
殴られる母をかばい暴れる弟を抑えるのは兄と私でした。
なにも出来ない父を恨みました。
母が殴られるのをかばって私が殴られても何もしてくれない父を恨みました。自分だけがこんな思いをして、自分だけが幸せじゃない、誰も助けてくれない、人の幸せなんて聞きたくないしうれしくもない。
こんな状況をつくった両親を恨みました。そんな両親から産まれた自分が嫌いでした。
そんな反面、ここまで育ててくれた両親に感謝できずにこんなに恨んでいる自分は最低だと思いました。
どんどん自分を嫌いになっていきました。どうしたら自分を好きになれるのか全くわからず、でもどうにかしたいと思っていたころ、偶然出会った方にメンタルについて聞くことができました。
それが、私とメンタルヘルス協会との出会いです。あなたはあなた。わたしはわたし。
『聴く』とは離別感をもって受容すること。
メンタルで初めて受けたアクティブリスニングの講座で教えていただいたことです。
初めに気づいたことは、あの頃の私には離別感を持って聴いてくれる相手がいなかったなぁ、そんな人が一人でも周りにいたらどんなに救われただろうということでした。
当時の苦しさを思い出して涙が出ました。
そんな中で、聴き方を知らずに自分だけで必死で受け止めようとしたあげく母を突き放してしまったことを、それは仕方のないことだったんだと思うことができ、自分を初めて少し許すことができました。ふっと心が軽くなるのを感じました。「I love you , because you are you」
(わたしはあなたが好きです、なぜならあなたがあなただからです)
大好きな言葉です。あなたはあなたのままでいい。
あなたはあなただからすばらしい。
綺麗な部分も汚い部分も良いところも悪いところもありのままの自分を受け入れることが自分を好きになる第一歩なのだと教えてくれました。弟のことをきっかけに、周りの人を信じられず、自分のことも信じられず、自分のことが大嫌いでした。
毎日、嫌でも向き合わなければならない自分を好きになれないことはとても辛いことでした。
メンタルで講座を受ける中で、自分を好きになる、人を信じる方法をたくさん教わりました。
回を増すごとに楽になっている自分がいました。人を信じたいと思える自分がいました。自分のことが話せず、話してもどうせ誰もわかってはくれないと思い込んでいた私は人と深く関わることを避けていました。
しかし、メンタルに出会って、メンタルの先生方に出会って、メンタルの受講生の方々に出会って、苦しんでいる人は私だけではなく、乗り越えようと頑張っている人がたくさんいることを知りました。信じられる人はたくさんいるのではないかと思えるようになりました。誰も信じられない!と自分の中に閉じこもっていては本当に信じられる人とも出会うことは出来ないのだと思いました。
もっといろんな人と関わっていきたいと思えるようになりました。弟のことがきっかけで起こったさまざまなことは本当に苦しいことでした。
しかし、それは私たち家族にいろんなことを教えてくれました。
弟は最初「おまえらなんか死んでまえ」「おまえらなんかどっかいってまえ」という言葉を叫んでいるばかりでしたが、少しずつ絞りだすように苦しみを吐き出してくれるようになりました。
涙を流しながら「苦しい」と叫びました。
家族全員が泣いていました。
もっといろんなことを話したかった、もっと両親の愛がほしかった、もっとみんなの愛を感じたかったと言っているように聞こえました。
弟は体を張って私達家族に心の大切さ、愛情を持って人と接することの大切さを教えてくれました。
少しずつではありますが、弟を交えて家族で笑いながらいろいろな話ができるようになっています。もともととても心の優しい弟は私の心配をしてくれます。
いろんな事が重なって結婚を考えていた彼とお別れすることになった時、泣いている私に弟は優しく「お姉ちゃんはそれでよかったんやと思うで」と言ってくれました。
まだ自分自身が元気になれていないのに、私に言葉をくれる弟の深い優しさに張りつめていた気持ちがすーっと溶けていくのを感じました。弟は誰よりも苦しい思いをしてきたからこそ誰よりも人の心をわかろうとする気持ちがあるのだと思いました。母とは、弟の調子がだいぶ良くなってきたので話を聴く機会はずいぶん減りましたが、話すときには離別感をもって受容できるよう心がけています。
少しずつではありますが母の話をじっくりと余裕をもって聴けるようになりました。
自分も母と同じような人生を歩むと思い込み未来に希望を持てなくなっていましたが、最後まで弟から逃げずに頑張っている母を見て、母親の愛情の深さを感じています。父とは、弟が父を責めても問いただしても何も答えられない父に愛情がないのかと信じられない思いでいっぱいでした。
音楽療法のお父さん・お母さんが登場するワークで、母親に対していろんな思いがあると思っていた私は父親が出てきた途端涙が止まらなくなっていることに驚かされました。それは、悲しさや悔しさではなくどうしよもない淋しさでした。
その時、弟に対する父親の態度を私に対する態度と重ねていたことに気づきました。
父の愛情を感じたかったのは弟だけではなく私自身だったのです。
それがわかってから父と素直に接することができ、不思議と楽になりました。そして今私は、一人暮らしをさせてもらっています。
弟が少し落ち着いてきた頃、「自分の事だけ考えて暮らしたい」と両親にお願いしました。
母は「あなたはもう離れてもいい、これ以上兄弟に負担をかけてはいけない、後は私たちでどうにかするしどうにかしなければならない」とそれを許してくれました。
父は黙ってそれを受け入れてくれました。そんな両親の優しさにとても感謝しています。兄とは、自営業をしているので二人で協力しなければならないことがたくさんあります。
小さい頃から仲の良い兄弟でしたが弟の事をきっかけにさらに絆が深まったように思います。
現在、兄は結婚をして、私は一人暮らし、弟は実家、と離れ離れですが兄と弟と私は本当に仲の良い兄弟です。少しいびつではありますが、こんな家族もありなのではないかと思っています。
どんな形でも気持ちが通じていれば大丈夫なのだと思います。弟が不登校にならなければ、みんなが苦しい思いをしなくて済んだかもしれません。
でも、このことは今起きなくてもいずれ起こることだったと思っています。自分と向き合うきっかけになり、そして家族の絆を深めるきっかけにもなりました。
毎日、普通に起きられる幸せ、ご飯を食べられる幸せ、働ける幸せ、生きている幸せ、小さな幸せを感じることができます。
毎日暮らしていると、わかっていてもどうしようもなく心を乱されることがあります。
そんな時にあの頃の私たち家族のことを思い出します。
生きているだけでいいじゃない!とあの頃の私たち家族は言ってくれます。これからの長い人生、さまざまな良いこと悪いことに出会うと思います。
そんな時、メンタルでの学習や出会いはいつも必ず私の支えになると思います。
そんな場所に導いてくれた弟は「わたしの心時代の夜明け」です。弟と大切な家族に心から「ありがとう」と言いたいです。
そして、メンタルで私に関わって頂いたみなさんに心から感謝しています。
ありがとうございました。

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