受講生の感想レポート

大阪校基礎コース修了 成瀬孝さん 34歳

許すということ・・・

「許すことができない」
僕は会社の上司との関係を悩んだのがきっかけで
日本メンタルヘルス協会に来ることになりました。
「お前なんか辞めてしまえ!」「本気で怒突かなわからんか!」
暴力を受け、罵声を浴び、心が傷つき落ち込みました。
その上司の指示に応えようと努力をして、喜んでもらいたいと一生懸命頑張っても、
それは仕事だから当たり前で、足りなかった部分は徹底的に責められる。
頑張っていることが認められず、失敗を責められ続けているうちに、やりがいがなくなり、
会社を辞めたいと考えるようになりました。
それで、改めて自分の生き方について考えるようになり、
インターネットで情報を検索している中で日本メンタルヘルス協会のホームページに出会い、
心理学を学びたいと思い受講する事になりました。
講座はとても楽しく、なるほどな~と思うことがたくさんあり、
充実した気持ちで毎回参加させて頂いていたのですが、会社の上司の事だけはどうしても許すことができず、
モヤモヤした気持ちで、心に引っ掛かったままでした。上司の立場に立って考えようとしても、
思い出すたびに怒りの感情が湧き上がり、冷静に考えることが出来ませんでした。
そんな気持ちを抱えながら受講している中で、講座でテーブルが一緒になった参加者の方がワークで、
ご自分の父親が認知症になった事を話してくれました。
その話を聞いている内に、今ではあまり思い出すことがなかった父方のおばあちゃんの事を思い出しました。
おばあちゃんは、僕が小学生高学年の時に亡くなっているのですが、
今まで思い出す記憶は、僕にとって幸せなものではありませんでした。
「おばあちゃんは僕の事は嫌いなんだ」とずっと思っていて、あまり思い出すこともないようにしていました。
両親から聞いた話では僕が生まれる少し前、おばあちゃんは<くも膜下出血>になり脳の手術をしたので、
僕が生まれた時の記憶がないとのことでした。手術をした時は、このまま記憶が戻らない、
脳に障害が残るかもしれないと医者に言われていた様ですが、奇跡的に記憶が戻り、障害も残らず回復したとの事でした。
僕には5歳下の弟がおり、弟が生まれた時、おばあちゃんは大変喜んでいたそうです。
その時は身体に問題はなく、通常の生活をしていたので、初めて孫が出来た様な気分になったのではないかと思っていました。
「僕より弟のほうが可愛がられている。弟のことは大好きやけど、僕の事は好きやないんや」と、
そう思う出来事がありました。おばあちゃんはすぐ近所に住んでいたのですが、
僕たち孫が喜ぶように冷蔵庫の中にジュースやアイスを買って毎日のように入れてくれていました。
僕たち兄弟はそれが楽しみで毎日のようにおばあちゃんの家に通っていました。
僕が小学生低学年になっていたある日、僕が学校から帰って、一人でおばあちゃんの家に行き、
冷蔵庫を空け、ワクワクした気持ちでジュースを取ろうとした時、
「それはトモちゃん(弟)の分や!あんたは飲んだらあかん!」と言われました。
大変ショックを受けたのを覚えています。
それからは、「自分は愛されていない」と感じるようになりました。
そしてしばらく経ち、おばあちゃんが認知症になりました。
バスに乗って出かけるのが好きだったおばあちゃんは、認知症になってから、一日中ずっとバスに乗ったままで、
バス会社から引き取りに来てほしいと連絡があったり、バスに乗って遠いところに行き、つまずいてこけて大けがをし、
倒れているところを発見されて、連絡があったりと、
一人にはしておけない状況になり、うちで一緒に生活することになりました。
それからが大変でした。特に夜中、タンスを開けて散らかし、
お母さんに「あんた私のあれを何処に隠したんや!」と言って怒ったり、
急に着替えて出て行こうとしたり、僕が体をつかんで「おばあちゃん夜中は危ないから出て行ったらあかん!」
と必死に止めていると、「あんたはかわいくない子や!」と怒って叩かれました。
今まで僕にとって、おばあちゃんの記憶は大変だった事しか思い出せなかったのですが、
後編講座を受けてABC理論や、ゲシュタルト療法の話を聞いて、
出来事や物事の見方を変えてみるという事を意識して生活している中で、
久しぶりに思い出したおばあちゃんの事を違った感覚で思い出すことが出来ました。
僕は自分を愛してくれていないおばあちゃんを、ずっと許さず責め続けていたことに気づきました。
ゲシュタルトでいう円の足りない部分、<僕の事を僕が思うように愛してくれないおばあちゃん>に焦点を当てて、
責め続けていたことに気づいた時、なんて自分の都合でみていたんだろうと思い、
今まで見ていた部分の逆側を考えてみようという意識になりました。
すると、今までできなかった、しようともしなかった、当時のおばあちゃんの立場になって考えるということができ、
すう~っと自分の意識の中に入ってきました。
自分が病気になり、手術をし、苦しみを乗り越えて現実の世界に戻ってきたとき、
知らない間に時が少し流れていて、息子に赤ちゃんができていた。
「おかあちゃんの孫やで」そう言われて抱いた赤ちゃんは、可愛くても何処か他人のような気がしてしまう。
素直に自分の孫だと受け入れることができない。でも受け入れなきゃ駄目だ。
おばあちゃんの立場に立って考えると、そういう葛藤が最初あったのではないかと、想いを馳せる。
自分の孫なんだから愛さなくちゃいけない。そう思いながら接してくれていたのかもしれない。
<自分なりに懸命に愛する>という部分に焦点が当たった時、僕は思いました。
おばあちゃんは僕の事を愛してくれていたのではないかと。
そして未来心理学(トランスパーソナル心理学)の講座を受けて、
私たちは原子レベルでつながっているという事を聞いて、時を超えても、おばあちゃんの原子は僕の中にあって、
心に語りかけてきてくれるような気になりました。
「辛い思いをさせてごめんやで。」そう言ってくれているような気がして、
今では直接聞くことが出来ませんが、そう思えた時、許すというよりも、
理解して心がすうーっと落ち着いた気分になりました。
僕の見方が変わった瞬間だったと思います。
そして会社の上司のことを考えました。
それまでは怒りの感情が先に来て邪魔をして上司の立場に立って考えるという事が出来なかったのに、
おばあちゃんの事ですっきりしてから考えると、不思議と自然に考えることができました。
その人にも家族がいる。奥さんがいて、子供もいる。家族を守るために一生懸命働いている。
ふと、衛藤先生の言葉が頭に浮かんできました。「怒りというのは第二感情で、その前には期待がある」という言葉。
すごく納得できました。
上司が僕に怒る時、その前には期待があったのだと思えると、裏切ってしまったことへの申し訳なさと、
期待をかけてくれることへの感謝の気持ちが出てきました。
自分も同じように、おばあちゃんや上司に期待をしていて、裏切られた気持ちになったから、怒りの感情が湧いてきたのに、
それに気づかずに、自分の事は省みず相手を責めてばかりになっていました。
何て自分に都合のいいように物事を観ていたのだろうと思いました。
今回、おばあちゃんを許すことにより、どうしても許すことのできなかった上司を許すことができ、
一つ観方を変えるだけでこんなにも世界が変わるのかと実感することができました。
「許す」というのはなんか偉そうな気がしますので、受け入れることができたと言った方が適切なのかもしれません。
こんな体験ができたのも素晴らしい先生方、スタッフの方、そして言いづらい事かもしれない体験を正直にシェアしてくれる、
一緒に講座を受講している仲間のおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
みなさん本当にありがとうございます。

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