受講生の感想レポート

大阪校基礎コース修了 坂田真見さん 37歳

魔法のアイメッセージ

私が心理学を学びたいと思ったきっかけは、母の「死にたい」という言葉を受けたことでした。
その言葉を聞かされたとき、私の思考回路は固まってしまいました。
どうしたらいいか分からず、一言も返すことが出来ませんでした。長い沈黙・・・
怖くなりました。母の心が闇に蝕まれはじめているのを感じて。
自分にSOSを発した母に対して何も言えなかったことに、そのあと情けなくなりました。
どうにかしなければ。手遅れになってはいけない。
でも何をしたらいい?どうしたら救える?どんな言葉をかけたら母の気持ちが変えられる?
私がすべきことは?考えても考えても状況を改善できるようなことは思いつきませんでした。
普通の問題なら時間が解決してくれることもあるのでしょうが、
これは逆に時間が経てば経つほど重症になってしまうのではないか、と自分の中では緊急事態でした。
早くどうにかしなければと焦るおもいだけが空回りし、自分自身も心がざわつきました。
気休め程度の言葉しかかけることができず、母が置かれている死にたいほど辛い状況は何も変わらない。
自分の力不足、言葉のかけかたの無知さを思い知らされました。
でも何かせずにはいられない、心理学を学ぼうと直感で感じました。 
今、母は私のすすめでメンタルへ通い始めています。
ほんの数ヶ月前の母を思い返せば、一緒に講義を受けられているなど奇跡のようです。
ですが、私は母に講義でこんなことを学ぶ等の話しは、何一つ伝えていません。
ただ「そんな状態になるまで気づかなくてごめんね。これからはどんなことでも聴くからいつでも話して」
と伝えたことと、私がメンタルへ行きだして感じた自分の変化をそのまま話しただけです。
感じたままに伝えた、私からのアイメッセージです。
通い始めた最初の頃は、母のために行っている、母を救いたい、その気持ちでいっぱいでした。
外に出て行く心の余裕もなくしてしまっている母の変わりに、私が学んできたことを伝えて、
少しでも前向きになってもらおうと思っていました。
ですが講義を重ねるにつれ、私が伝えるものではない、そして伝えきれないと強く思ったのです。
同じ話を聞いても人それぞれ、自分の状況と重なり共感するところ、
自分の経験があってこそ心に響くところ、それは本人でないとわかりません。
そして私自身も、母のために通っているという気持ちを変えさせられる出来事がありました。
ある日の講義の後、メンタルに来るきっかけになった話を受講生の方としていたとき、
私は突然、抑えきれないほどの悲しみがこみ上げてきて、涙が止められなくなってしまいました。
しばらく話すことも出来なくなり、そんな状態になっていることが自分でも信じられないぐらいでした。
その時に、母の「死にたい」という一言に対して
自分がどんなに傷ついてショックを受けていたのかを気づかされました。
母を救いたいではなく、どうしようもなく救われたかったのは自分なのだと。
メンタルに通い、こういう気持ちの変化が自分にあったということを素直な気持ちで母にそのまま伝えました。
そんな私の話をきいた母は、迷いもせずにメンタルを受講することを決めてくれました。
心から伝える、そして伝わる、それがこんなに嬉しいなんて。
アイメッセージは私にとって魔法のようです。
私の母が置かれている辛い状況は、以前とたいして変化はしていません。
ですが、現状は変わらなくとも自分の受け止め方が変わると楽になれる。
自分の気持ちのもち方一つで、道はいくつも広げることができる。
私が母に感じて欲しかったこと、そして自分自身も救われた一つに、この受け止め方の大切さもありました。 
それからもう一つ、アイメッセージで魔法のような出来事が起こりました。
私の子供は小さい頃からずっと、爪を噛むのが癖です。
私はその行為が嫌で止めさせたくていつも怒っていました。
「汚い」「恥ずかしい」「赤ちゃんじゃないのだから」と数々の言葉で責めていました。
何度も言い続けていたら、そのうち治る。そう思っていました。
ですがある日、「爪を噛むのは心理学では寂しさを埋めている」
と聞かされたときに、とてもショックを受けました。
愛情いっぱいに接していると自分では思っていたし、
子供のことを心から愛し、毎日大好きと言葉もかけているし、
たくさんコミュニケーションをとっていると思っているのに、どうして?何が寂しいの?と、
親として愛情不足で失格の烙印をおされたような気分になり、落ち込みました。
「怒る前に抱きしめてあげてください」と先生に言われた一言が胸に刺さりました。
その日の夜もまた、背中を向けて爪を噛んでいる子供の姿を見たとき、
それまではいつも怒りの感情が湧いていたのが、申し訳なさでいっぱいになりました。
そして、自分の本音にも気づきました。
子供に対して「汚い」「恥ずかしい」など本当ちっともは思っておらず、
大きくなっても爪を噛んでいるのは、親としての私の教育ができていないと思わされるようで、
その行為が嫌だったのだということ。
それを怒りに置き換えて子供にぶつけてしまっていたこと。
寂しいおもいをさせていたのかな、ごめんね。
怒られてさらに辛かっただろうな、ごめんね。
小さく丸こまりながら、隠れるようにして爪を噛んでいる子供を見ると、
涙がでてきそうになりました。
自然とぎゅっと後ろから抱きしめていました。
そして、そのときおもった私の気持ちを一言だけ伝えました。
その日から1週間後、私は子供の爪を5年ぶりに切ることができたのです。
「見て!!」と伸びた爪を、嬉しそうに見せた子供の姿、今でも忘れません。
子供の爪を切りながら、涙が出てきてしまいました。 
私が子供に伝えた言葉は「爪を噛んでても、もう怒らないからね」という一言でした。
何も考えずに、ただ心から出た言葉でした。
言った自分でさえも、この言葉でなぜ子供がそれから爪を噛むのをやめたのかが分からないほどでした。
先生にその出来事を話し、
「わからない。いったいなぜ?この言葉の何がそうさせたのか?まるで魔法のようです」
と不思議がっている私に、それは立派なアイメッセージだと優しく気づかせてくれました。
「爪を噛んでいてもあなたを愛しているよ、そのままのあなたを受けいれるよ」
と言うアイメッセージを私は伝えていたのだと、とき解いてくれたとき、
私は真の意味でのアイメッセージを知れたような気がしました。 
そこからみるみると私の中で全ての意味が繋がり始めました。
私が与えていた愛情と、子供が求めていた愛情は違うということ。
欲していたのはものすごくシンプルな愛情だったということ。
私は愛情不足の親として失格ではなかったということ、そんな風に考えてしまう自分のマイナス思考と幅の狭さ。 
「爪を噛んでも、もう怒らないからね」と言った後、
子供は「どうして?」などは全く言わず、自分のことをたくさん話し始めたことを思い出したのです。
今日あった出来事、友達の話、数日前にあった嫌なことの話、以前先生に怒られた話、
去年の自分の誕生日の話、さらに時間はさかのぼり何年も前の話し、あのときこう思っていたなど、
これからはこうする、など過去、現在、未来と時間の関係なんてお構いなしに、とめどもなく話をしていました。
その話しを私は子供を抱きしめながら、ただただきいていました。
ほとんど聞いたことのある話しでしたが、私はきっとその当時は片手間に聞いていたのでしょう。
この子はちゃんと「聴いて」欲しかったのだと感じました。
すべての手を止め、携帯も触らず、料理もせず、話している途中に口を割って入ることせず、ただただ「聴く」。
相手と向き合い、言いたいことを言いたいだけ言わせてあげる。
その姿勢だけで、この子からこんなにたくさんの話しを引き出せるなんて。
この子がそれに対してどう感じた、などの感情など今まで掘り下げて話すことなんてあまりなかった。
そう思っていたけれど、本当は私がいつも途中でこの子の言葉を取り上げてしまっていたのだと気づき、反省しました。
話し方でなら分かるけど、きき方で人を傷つけているなんて思ってもいなかった。
「聞く」と「聴く」の違いを、身をもって理解できた瞬間でしたし、この出来事で「聴きこと」も「伝えること」も、
どちらも欠かせない大切なことだと気づけました。
今まで相手が話したくても話せなかったことや、ずっと過去にまで遡ってでも伝えたかったこと、
心の底に引っかかっていたことまでも話してくれることは、幸せなのだなと感じました。
より深くその人の人間性に触れることができ、心を開いて話しをしてもらえ、そこから深い信頼と絆が生まれる。
そんな相手に対し、心から素直に自己開示することの大切さも同時に感じました。
負に溢れた言葉や気持ちで、自分や大切な人の心を満たしたくない。
前向きな気持ち、美しい言葉で自分や大切な人の心を満たしたい。
私は愛をもって気持ちを伝え、愛をもって話しを聴きたいと思うようになりました。
アイメッセージは時間が経過していても取り戻せる。
その言葉も私をとても勇気づけてくれました。今からでも何も遅くはないと。 
今、私の頭の中で、近い未来の理想図があります。
数年後、子供も興味をもったなら、母と私と娘の親子3世代でメンタルの講義を聞きに行くこと。

 >  大阪校基礎コース修了 坂田真見さん 37歳

ページトップへ