受講生の感想レポート

東京校基礎コース修了 野田敦司さん 36歳

「今、ここ」に生きること

2017年10月27日の体験講座から「虹の戦士」への道が始まった。
久しぶりの銀座、24歳から銀座で働き、バーテンダーやサービスマンとして渡り歩いてきて、
そんな久しぶりの銀座の路上でのファーストコンタクトはスタッフの「こんちゃん」でした。
超胡散臭い笑顔で「こんにちは!」と声を掛けられ、「こんにちは!」と返すと「オシャレなジャケットですね!」と。
こちらも15年ほどバーテンダーやサービスマンをやってきた自負もあり、胡散臭い笑顔で負けていられるかと、
「ありがとうございます!蝶ネクタイ、オシャレですね!」と言葉を投げかけた。
こんちゃんからも御礼の言葉を頂くき、あ、なんかこのやり取り気分良いなぁと思いながら8階へ。
会場は既に多くの人、運良く前の方の席が空いていて、案内してもらう。
席に着き、ドキドキしながら衛藤先生の登壇を今か今かと待っている自分がそこにはいました。

資料を見ながら会場を見回し、この広さが満員になるくらいだから、よっぽどなんだろうなと肌で感じました。
そして、衛藤先生の登場、拍手喝采。一目見てオーラがすごくあるのが伝わってくる。華があってなんだか眩しい。
体験講座は笑いあり涙ありで、衛藤先生の言葉には優しさや強さが感じられ、心の奥に響いて染み渡っていきました。
時間があっという間に過ぎていき即座に前後編を同時に申込しました。
そもそも、心理学に興味を持ち始めたのは、身内が心を病み、どんどん悪化してしまい、病院に罹り始め、
薬の副作用で体調は悪化、そして2006年の9月に突然の心不全で還らぬ人となってしまいました。
きっとこのような体験をしてきたから、心理学や心理カウンセラーに興味を持っていたのでしょう。
とはいえ、仕事で日々を忙しくし、家族との時間もあまり無く、改めて勉強をしてみようとは中々なりませんでした。
月日も経ち2017年の春先頃から、自分自身が体調を崩し始め、日に日に身体の様子がおかしくなっていきました。
そして病院に行き、診察、検査を受け「ベーチェット病 不全型」という難病の診断。
なんで自分がこんな目に合わなくてはならないんだろう?妻子もいるのにこの先どうしたらいいのか?
と負のスパイラルに陥って、仕事も退職し、月の半分近くは身体がいう事をきかなくて寝込み、
そして「病気になった自分に価値はない」と嘆いていたのです。
それから3ヶ月半経った頃に、半ば開き直りのような感じでしたが、なんとか気持ちも戻り、
今まで突っ走ってきたんだし、少し休めば良いという受け止め方ができるようになりました。
今メンタルの講座を一通り終えて振り返ると、その時に「受け止め方」を変えたからですが、
もちろん当時は「論理療法」のABC理論は知らないですから、辿り着くまでには非常に苦しみました。
そこからは心理学をきちんと学んでみようと、色々とインターネットで探しメンタルに出会う事が出来ました。

 

話が過去に飛びましたが、体験講座後すぐにメンタルに通い、どの講座も心に沁みる内容ばかりでした。
前編での「アクティブリスニング」は小2の娘との会話に非常に役立っています。
ある日、娘が学校から帰宅した後に思い出し泣きをしはじめました。
どうやら学校でお友達との間で嫌な事があったようでした。
親心としては「解決してあげなきゃ!」という気分になりましたが、ここはグッとこらえて『聴く』事に徹しました。
心の中では(よし!アクティブリスニングだ)と少し嬉しくなりましたが(笑)
僕「お友達とイヤな事があった? お話する事出来る?」
娘「うん、なんかね廊下の掃除してたら 友達にイヤな事を言われたの」
僕「イヤな事ってどんな事?」
娘「ちりとりでゴミ取ってたら、こっちもやってって言うからちょっと待ってねって言ったの」
僕「うん、そしたら?」
娘「なんかこわい言い方で色々とすごい言われた」
僕「そっか、こわい言い方されて イヤな気持ちになったんだね? なんて言われたの?」
娘「んー、忘れちゃった(笑)」
僕「忘れたんかい!(笑) でも、イヤな事を言われてイヤな気持ちになったのお友達に伝えられた?」
娘「言えなかったから先生に言ったけど、 次はイヤな気持ちを友達に言ってみようかな」
実際はもっと長く話しましたが、なんだか娘も話をしていくうちに心の整理が出来ていったのか、
解決への道を見出してきました。
ここで、僕が解決を急いで、「イヤならイヤってちゃんと言わなきゃダメじゃないか」というような言い方をしていたら、
娘の悩みを心のレベルで聴く事が出来なかったかもしれません。
「きちんと相手に寄り添い話を聴く」という事は信頼にも繋がると実感しました。
また「一体感、離別感」も非常に勉強になりました。
妻に対してはかなり「一体感」を持っていることに気付き、「離別感」を持って接するように心掛けています。
どうしても親しい間柄だと「一体感」を持ちすぎてしまい「言わなくてもわかるだろう」という感覚に陥ってしまいます。
自分は自分、相手は相手と「離別感」を持つ事によって些細な事への妻に対するイライラは大きく減りました。
妻には妻の思い、考えがあるし、自分にもある。
人間には言語という優れたツールがあるので、自分の思いをどのように伝えるか、
これが前編第三講座に繋がっているんだと感じました。
「一体感」を持ちすぎて「Youメッセージ」ばかりになっていたと気付いたのです。
昔から妻に言われていた事を思い出しました。
「あなたは私が作った料理を黙々と食べて美味しいのかどうかもわからない」
その言葉に対して僕は
「美味しい物は黙々と食べてしまう人間だから黙々と食べていたら美味しいと思ってくれ」と返したのです。
はい、これ最悪です。ばりばり「Youメッセージ」でした。帰りの電車で反省しっぱなしだったのは言うまでもありません。
この影響をもろに受けていたのが娘です。やはり何も言わずに黙々と感想も言わずに食べていたのです。
これは良くないなと早速その晩から「Iメッセージ」を使うようにしていきました。
妻の作った料理に対して素直に「これ、美味しい‼︎」と口に出すようにしていきました。
すると妻も嬉しそうだし、声にした方がさらに美味しく感じられ、その場の雰囲気も良くなります。
しばらく続け、娘にも「これ美味いな!」などと話すようにしたら、娘もちゃんと美味しいと言ってくれるようになりました。
また、妻には「ごめん、今まで黙々と食べる人間だと言っていたけど、良くなかった、君の美味しい料理を食べてもらいたいという気持ちを踏みにじっていた」ときちんと伝えました。
妻は「ホント、やっとわかってくれたのね」という感じで、きちんと素直に気持ちを伝える事は大切なんだと実感しました。
また感謝の伝え方も変わっていきました。今までは妻に何かしてもらった時に一言「ありがとう」と伝えていたのを、
例えば「洗濯してくれてありがとう」とか「ご飯作ってくれてありがとう」など、ありがとうという言葉の前に
相手のしてくれた行動を付け加えるようにしました。
すると僕が何か家事をした時に妻も同じように「◯◯してくれてありがとう」と言ってくれるようになりました。
前よりお互いに感謝し合えるようになったと実感しています。
次に前編講座の「脳の構造」では、自分の難病が良い方に向かうかもしれない!と大きな希望を持つ事ができ、
病気としては自己免疫疾患なので、脳幹を鍛えたら症状が抑えられるのでは?と思いました。
これは後編の催眠の講座に繋がっていたのだと、後に気付いたのですが、この催眠の講座で行った「自律訓練法」は
不思議と涙が出てきて心と身体が軽くなったのです。あまりに不思議だったので、講座の後に衛藤先生の元に行き、
質問すると「自分の事や身体や大切にした方がいいという事かもしれないね」と仰ってくれました。
それからは「自律訓練法」を毎晩行うようになり、身体の調子も以前と比較して大分良くなっています。

難病の診断を受けた後に、本当に人生は受け取り方でいかようにも変わるんだと身をもって感じてはいましたが、
それを論理的に教えてくれたのが、「論理療法」のABC理論でした。
それまではA【出来事】→C【感情・結果】と受け取っていたのですが、その間にはB【受け取り方】があったのか!
ときちんと頭で理解する事が出来ました。
今はきちんと落ち込むだけ落ち込んで、病気の事も受け入れる事が出来て、「今、ここ」に生きる事が出来ています。
「ゲシュタルト療法」での足りているところに焦点をあてる事、「森田療法」のあるがままを受け入れる事で、
人生の捉え方が大きく変わっていきました。
そして病気になっても、変わらずいてくれ支えてくれている妻、娘がいるという有り難みに気付く事も出来ました。
今後は自分の経験に基づき、人生に対して生きづらさを感じている人達に何か伝える事が出来ればと思います。
もちろん病気の事もあったり、今後働いていく事に不安もありますが、まだ来てもいない未来を考え過ぎて、
今その瞬間を生きる事が出来なくなってしまっては意味がありません。
意識を過去でもなく未来でもない、「今、ここ」に向けて感じて生きる事。
そうする事で難病に自分を定義付けする事の無い生き方が出来ると思っています。
最後になりましたが、いつも支えてくれている大切な妻と娘。生きる事の大切さを教えてくれた姉。
生を授けてくれた両親。皆様に感謝を申し上げます。
これからもメンタルを学び続け、「今、ここ」に生きていきたいと思います。
そして、虹の戦士としての第一歩を踏み出したいと思います。

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