受講生の感想レポート

東京校基礎コース修了 中井圭子さん 24歳

メンタルを学んでの気づき

はじめに

私が日本メンタルヘルス協会を知るきっかけは母であった。職場の人間関係で悩んでいた母が、メンタルに通いだしてから、職場の環境は変わらずとも、日に日に明るく元気になっていく姿をみて、何がそこまで人を変える力を持っているのかと興味があった。さらに看護師として働くうえで、コミュニケーション力や傷ついた患者さんの心のケアも大事となってくるため、カウンセリングについて学び、患者さんに寄り添った関わりが出来るようになりたいと思い、受講する運びとなった。その様な理由からの始まりであり、実際自分自身が人間関係で悩んでいたり、過去の出来事に囚われ前に進めないといったことがなかったため、このメンタルを通して自分自身が変わるとは思っていなかった。

メンタルを通して感じたこと

実際にメンタルに通い始めてみると、年代も違ければ育ってきた背景や今いる環境も全く異なる方々に囲まれ、さらに自分より遥かに年上の方たちが多い中で、答えのない自分の意見を言わなければならないという環境に対して、不安を強く多く感じていた。しかし、いざワークを進めていくと誰一人として自分の意見を否定したり訂正したりすることなく、優しくうなずきながら聞いて下さり、さらに「そういう感じ方もあるんだね」などと自分の話しを受け止め、真剣に聞いてくれたことで、自分も自分の考えを話していいんだ、という思いになった。そして自然と自分の事や自分の考えをもっとまわりの方々にも知ってもらいたい、と思うようになった。
看護の現場でもよく傾聴は大事とされている。相手の想いに寄り添い話を聞く事。理屈では分かっているけど本当の傾聴とはどういうことなのか、いまいちピンと来ていない状態だった。しかし、自分のことを話すのが苦手な私が、自分を知ってもらいたい、もっと話したい!と思うようになったのは、他の受講生の方々が私の話しを傾聴して聞いてくれたからこそ、自分の殻を取り除くことができたのであり、これが傾聴なんだ、と実感することが出来た。
病院にいると、悩みをたくさん抱えていてもそのはけ口がなく、一人で抱え込むことで精神的に追い詰められてしまう患者さんや、安全を守る為に守って頂きたいことも理解が得られず、危険行動ばかり起こしてしまう患者さんも多くいる。どうしてもっと話してくれないんだろう、どうしてわかってくれないんだろう、と思うことが多々あったが、自分自身の話しの聞き方、伝え方を変えるだけで相手も変わることを知り、実践してみようと思った。そして傾聴の大切さを実感したのは実際に患者さんの不安や焦る気持ちをしっかり聴くことで、そのうちに表情や口調が変わっていくことを感じた。そして、今なら私の言葉が届くのではないかと思い、私の気持ちを「Iメッセージ」を用いて伝えることにした。すると患者さんが「話を聞いてもらえてよかった。今まで一人で頑張りすぎていたみたい。今後どうなるか分からないけど、できるところから少しずつ頑張ってみようと思う。ありがとう」と穏やかに話された。
カウンセリングは相手の言葉や思いに寄り添い、包み込むように接することで、相手が自分自身を知り、見つめ直し、自分で解決策を見つけられるようにサポートすることなのだと思った。勝手に解決方法を提示したり、自分の考えを押し付けたり、相手の考えを訂正・否定することは何の解決にもつながらないことを実感した。
また、メンタルに通って自分が変わったなと思うことがある。それは「ゲシュタルト療法」を学んだ時のことである。人はどうしても欠けている部分に目が行ってしまい、そこにばかり捕らわれてしまう、と。私自身もまさしくそうであったと感じる。自分の正義感の中に、人を悪く思ってはいけない、悪口を言ってはならない、誰とでも円満に、愛想よくしなければならない(そうしたい)という思いを持っていたが、どうしても人と関わっていく以上、苦手な人や受けいれる事の出来ない人に出会う。そうした際に、嫌だなと思うところばかりに目が行ってしまう自分と、嫌だと思ってはいけないという思いの間に挟まれ、とても辛くなってしまうことが多々あった。そう思ってしまう自分が悪いと。しかし、メンタルでゲシュタルトを学んでから、人には必ず欠けている部分はあり、そこを見ようとしてしまう性質があること、だけど人は必ず良い面も持ち合わせているということを知ったことで、良い面にも気づくことができるようになり、自然とその相手に対する苦手意識や嫌だと思う気持ちが少なくなったことを実感した。そうしていくうちに、人に対して嫌だな、関わりたくないな、と思うことが少なくなり、そんな自分もさらに好きになる事が出来たと思う。また、メンタルのワークを通して、色々な人と意見を交わす中で、自分の考えは自分が過ごしてきた世界の中、経験の中で培われたもので、他者は他者の生活の中で培われた世界があり、それは十人十色まったく同じと言うものはない。だから同じ話を聞いても感じ方や捉え方は人それぞれ異なるが、どれも間違いではなく、自分の考えも、相手の考えも全てそこに存在しているものであり、否定してはいけないことを知った。人の考え方や言動には必ず何か理由があり、その人なりの想いがあること。そのことを素直に受け止め、じゃあ相手はどんな世界にいるから今の言動に繋がっているのか、ということを考えることが大切だと感じた。たまに、どうしてこんなに嫌な言い方しかできないんだろう、という人もいるが、それもこの人の個性と考えると、相手の言葉で傷つくこともなくなった気がする。
また、メンタルの最後の講義やデスエデュケーションの話で人生の最期について考えたことも印象深かった。自分が死ぬときどう死んでいきたいか、また、一人の人生が終わる時、その人生にどう意味を持たせるのかという内容である。私は病院で働いている以上、多くの方の最期の瞬間に立ち会う機会がある。ターミナルで予後を宣告されてから、亡くなるまでの過程を、患者家族と一緒に歩んでいく。その時いつも「この人の人生はどんな人生だったんだろう」と考える。周りの人にとってこの人はどんな存在なのか、私はこの人の数年の経過しか知らないけど、何十年という生活をしてきた中で沢山の人と出会い、愛され、泣き、笑い、喜び、後悔し、そんな沢山の出来事が終わろうとする今、この人は何を考えるんだろう、と思う。「もっとこうしたかった」「こんな人生、、、」と思って欲しくないと思う。家族の中には死を受け入れられず、面会拒否や本人と目を合わせることも出来ないご家族もいる。だけどそれでは絶対に後悔する。いなくなってからでは、どんなに会いたくても、どんなに話したくても出来ないから、だから私は看護師として患者さんとその周りの人たちが「いい人生だった。」「この人と出会えて、歩んでこれてよかった」と微笑みながら、最後の時を過ごせるように整えていきたいと強く思った。
このレポートを書いている今、不思議と祖父の姿が目に浮かんだ。威厳高く格式を根底に持っている祖父とは他愛もない話などできず、毎年年末年始に一度会うだけで、苦手意識があった。そんな祖父が病にかかり入院し、手術を受けたが治る手立てもなく、ターミナル期となった際も一度面会に行っただけで、時間だけが過ぎていき、そのまま息を引き取ることとなった。祖父がいなくなってから、ふと体調を崩す前の新年会で「来年はこうして集まれないかもしれないから」と祖父が言っていたことを思い出した。今まで祖父の人生を考えたことがなかったが、そこで初めて祖父はどういう人だったんだろうと考えるようになった。威厳高い祖父だったからこそ、私は祖父からは歩みがたい存在だったのではないか、年に一度の新年会は祖父にとってとても楽しみであり、本当は会えないことに寂しさを感じていたのではないか、孫である私は苦手意識を持ち、距離を置いていたことで祖父の祖父としての役割を奪ってしまっていたのではないかと感じた。もっと一緒にいる時間を作ればよかった、せめて最後くらいはみんなに囲まれて、寂しい思いのない時間を作ってあげればよかった、祖父の人生は、祖父にとってどんな人生だったのか、もし本当にさみしい思いをしていたのであれば、私から歩み寄っていれば、もっと良い人生だったと思えたのではないか、と思う。 すべて推測ではあるが、そう思ってももう祖父はいない。やり直しのきかない人生だからこそ、その時々を大切にしていかなければいけないと思った。そう思うからこそ、これから出会う人々が後悔のない人生を送れるように、みんなが今を大切に生きていけるようになって欲しいと思うようになった。
メンタルに通ってから、改めて、あらゆる人の人生に寄り添うことのできる看護師という仕事に誇りを感るようになった。その人の人生のごく一部ではあるが、その一瞬の関りがその人の人生を良くも悪くも変えることができると思うと、その人が幸せになるために私ができることは本当にたくさんあるな、と思う。せっかくのこのチャンスを逃さずに日々過ごしていきたいと思う。

最後に

はじめは、自分はメンタルでは変わらないと思っていたが、実際に通ううちに、自分自身を見つめ、知ることができたこと、また、人と話す事、自分を知ってもらうことの楽しさ、嬉しさ、更に人を受け入れ愛すること、そうすることでもっともっと人を愛することが出来るようになり大きく変わることが出来たと思う。 メンタルで大事にしている「セルフラブ」。自分を愛することが周りを愛することにも繋がると感じた。そして、今この瞬間は今しかないこと、起きる事すべてに意味がある、人との出会いや別れ、うれしいことも悲しいこともすべてが自分にとって意味があることであり、そのいろいろがあるからこそ、人生はより色づいていくのだと思う。悩むことも良し、泣いて落ち込むことも良し、その一瞬一瞬を楽しみながら、全力で生きていこうと強く思った。
これからも沢山の人と関わっていくと思うが、どんな出会いがあるのか楽しみである。最終講座で「あなたは何のために生きているのか」と質問があったが、私は昔も今も「周りの人を幸せにすること」と答えるだろう。自分が関わることで周りが笑顔になり、幸せになる事が私にとっての幸せだと感じている。カウンセリングは人と人との心を結び、傷ついた心を救う。まだまだ、知識も技術も乏しいため、これからもリピートを続け、メンタルでの学びを身につけていきたい。

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