OH!過剰反応 ‼
2019/04/21
そうですね。
ブスっとした仏頂面の不機嫌な人がたまに笑顔だと、まわりから「笑顔がイイねェ」と注目されて、いつも、笑顔で過ごしている人が静かだと「元気がないね。何かあったの⁈」と必ず尋ねられる。
だから「私はいつも笑ってないといけないの」と、相手のホメ言葉にイライラする時がありますね。
だから「私はいつも笑顔ではないです‼」と相手に食ってかかりたくもなります。
でも、それは相手が “どう見たか” に反応しているのではなく、自分がその “見られた通りの期待に応えねばならない” と思い込みに反応しているのです。
相手は“そう見えた”と思ったから、そう言っただけで、その相手の見方が完璧な事実や真実を語っているワケではないのです。
ある部分を見て「優しい人」と判断しただけで、それは元々、絶対的な事実でも真実でもないのです。
その言葉に反応して「私はこんな優しくないところもあります」と、ムキになって食ってかかることでもないのです。
相手はそう見えたと思っただけで、ムキに反論されると「あ、そうですか⁈」と目をシロクロして戸惑ってしまいます
どこか、自分の中に優しい人と言われると「その期待に応え続けなければならない」
「相手の期待を裏切ってはいけない」と思ってしまいます。そのような期待欲求の強い親に育てられたのかもしれません。
でも、普通は人はそこまで期待していないのです。
それをさらに「私は誰かに期待されては、今後、私がたまらない」と、また二重の間違った思い込みが働いて「違います。私は優しくなんかないです」と感情的な反応をしてしまうのです。
僕も「優しいですね」と言われることがあります。でも、僕は人間は誰しも多面体だと思っています。
優しい側面もあれば、冷たい側面もあります。前向きな時もあれば、後ろ向きな時もあります。明るい時もあれば、暗く落ち込む時もあります。時と立場、健康状態でも変わってきます。
その多面的な存在である人間を完全に理解することは人は難しいのです。
そして、またそれは自分自身でも、自分の多面性を完全に把握することは困難なのです。
で、あれば他人が、こちらのある側面を少し見て言われる数々の言葉に落ち込むほど反応することもないのです。
だから「あなたは暗い」とマイナスに評価されても、それは、ある一面でしかないし、すべてではないのです。
ある瞬間にそう映ったということなのです。もちろん、今後のために反省や検証は大切ですが、苦しくなるほど落ち込むほどでもないのです。
「相手はそう見えたのだなぁ~でも、相手の見方が私のすべてを見たわけではないのだから、落ち込むほどでもないなぁ。ある一部を見て、そう私が見えたのだなぁ~」と思えばいいのです。
ホメられて怒り、ケナされて落ち込んでいたのでは、相手の言葉に過剰反応し過ぎるのです。
僕は「優しいですね」と言われると、「そうなれるようにガンバリます」と応えています。
それは、肯定しているのでもなく、謙遜しているのでもなく、目標にしているという意思表明です。
そらが自分も、相手にも、清々しい気分を与えるからです。
あなたはキレイですね。
「はい、ガンバって目指します。そうなれるまで!」
ね‼
清々しいでしょ!