GIVE AND TAKE.

      2019/04/21

 震災から16年目になりました。



日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき

 あの時、僕は若手カウンセラーとして実働が大切と思い避難所をまわったりしました。


 日本メンタルヘルス協会は本部に電話のラインを、通常よりも三本多くひいて電話カウンセリングをしました。

 相談の内容は様々でした。

 避難所で眠れなくなりました。
 また、大きな地震が来ますかね?と気象庁にたずねるべき質問やら。
 なかには、私の知っている霊能力者が一週間目の夜中に、もう一度大きな災害がもたらされると言ったのです••••???と言ったものまで様々でした。

 避難所に入った僕は、カウンセラーとしてすることはなく、現場では荷物を運んだりというお手伝いだけでした。

 その中で、一番印象に残った光景は暴走族のメンバーがバイクで避難所からべつの避難所に物資を運んでいる姿でした。

 彼らの数人と親しくなり10年近く経った時に、その頃、暴走族のメンバーだった彼らに追悼式で再会しました。

 彼らは皆、立派な社会人として働いていました。

 「君ら変わったなぁ」と言うと、彼らは照れていました。

 僕の講演会にも来てくれた T 君が、

「あの頃、やんちゃやったから。僕は震災まで死んでもかまへんと思ってました。どうせ、くだらん命やって。でも、僕のまわりにも死んだ親戚が、いっぱいおって。『俺あかんわぁ』て感じて『できる事をしなあかん』そう思って日用品やら消耗品を別の避難所に運んだんです。


 そしたら避難所で、今まではオヤジやと思っていた人らが『お兄ちゃん、ありがとう。ありがとうなぁ』って僕の肩を叩いてくれたんです。


 オバちゃんらも、『お兄ちゃん気をつけてね‼』って、みんなで手をふってくれたんです。角曲がるまでミラーに、ずーっとオバチャンらが映ってました。
 

 先生•••僕のバイクよう故障しよるんです。でも、あの時は、よう走ってくれました。あいつ(バイク) も嬉しかったでしょ。 あんなに喜ばれたことなかったから。その晩に、僕はバイクを止めて、バイクに謝りました。『お前、よう走ってくれたなぁ。ありがとう。お前、人に喜ぶために作られたのになぁ。いつも憎まれ役させて嫌われてたもんなぁーゴメンなぁ。これからは、人に喜ぶために走ろう。約束するから』って。



日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき

そしたら先生、笑わんとってください。その時にバイクが笑ったんです。いや笑ったような気がしたんです。それからホンマに僕バイクが好きになりました。それまで僕、バイクが嫌いやったのかもしれへん。だから、今でもバイクは相棒です」とTくんは笑った。

 熱く語る T 君を見て、インディアンの言うように「生きがいをもらいたいのなら、与えることだ」と思いました。

 インディアンは、母なる自然はいつも恵みの雨を降らせ、誰にも太陽の光を心地良く注ぐだろう。生きている意味や、愛は、何かを与えた人しかもらえないのだと••••

 愛は欲しい欲しいと叫んでも、愛を与えることを惜しいと思い始めるた瞬間から「愛」は、どちらともなくシボみ始めてお互いに失われてゆくものですね。





日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき





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