過去の悲劇を、幸せに変える責任はあなたにある
2019/04/21
何かの選択に迫られた時に、人は「失敗したらどうしよう?」「後に後悔しないだろうか?」と不安になります。この感情は誰にも当たり前にある感情です。だから、しっかりと予測を立てて熟慮し、その道の専門家に聞いてみたりして準備することも大切でしょう。でも、それでも考えすぎて決められない人は、悩みグセのある人です。
人は神様ではありません。誰しも完全な正しい選択の答えは持っていないのです。最終的な決断は自分がしなければいけないのです。悩みグセのある人は「決して失敗したくない」のです。
でも、失敗とは何なのか?
僕は本当の失敗は、失敗したくないと思い続けるうちに、時間だけがムダに過ぎて行くことだと思います。もちろん、「現状維持!」という結論を出して、積極的に動かないなら「OK」です。でも、現状維持のまま「どうしよう、どうしよう…」と悩む人は時間のムダづかいです。
このような人は、まず時間が永遠だと思っています。人は誰にもが寿命があります。この瞬間にも大切な人生の時間が「チックタック…」と過ぎ去って行くのです。
次に、自分だけは「失敗してはいけない」と無意識で思っている。だから、決められないのです。それは心理的に幼児性が強いのです。誰もがそんな特権にあずかっている大人はいません。もし、成功していて、あの人はスゴイなぁと思っている人が近くにいるならば、その人はトライ アンド エラーを繰り返して経験の厚みを増して来た、経験値の高い人びとです。決して時間をムダにはしていません。
また、「失敗してはいけない」と言うけれど、そもそも失敗などはありません。
ゲームセットのホイッスルが鳴るまで勝敗はわからないのです。人生のゲームセットは死の瞬間です。いや、書いていて思いましたが、死んで命がなくなっても、それで勝敗が出たとは言えません。イエス・キリストは、はりつけにされて亡くなりましたが、弱者のために命を捧げることで、愛をかかげるキリスト教として、今でも生き続けています。坂本龍馬も日本の夜明けを見ずに亡くなりましたが、彼の志しは今でも、日本の民主的な社会に生かされています。そんなサンプルはたくさんあるのです。だから、努力にムダはないのだと思います。
僕の好きな言葉に喜劇王のチャップリンの残した「人生という映画は、クローズアップで観ると悲劇だけれど、ロングショットで観ると喜劇である」と言った言葉があります。僕自身も幼い時に両親の離婚、継母の自殺などがあり、部分で見れば不幸だったけれども、心理カウンセラーとなるきっかけはその不幸な出来事があったからです。そして、今はステキな人びとに恵まれているのも、その悲劇があったからと思えるのです。
子ども時代の親の対応が悪いとか、あの人に出会ってから僕の人生はボロボロになったと過去にイラだっている人は、いまだに過去に生きています。
今の大切な時間を、恨みと憎しみで映画を撮りつづけているのです。
過去の不幸な出来事も、どうこれからの学びにつなげるかで、過去の不幸な出来事を、今や未来の幸せへのギフトに変えることが出来るのです。
倒れるなら前に倒れよう、倒れることを恐れて、1歩を踏み出さなければ、人生は動かない。後悔するなら、やって後悔しましょう。やっとけばよかったと後で後悔するよりも人生は好転します。