過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し

      2019/04/21

 人と一緒にいることは大変です。こちらの言動にも気をつかわないといけないし、相手のチョットした言葉も気になってしまうものです。

 だから、人は意識して「ひきこもり」をしなければならない時があります。

 学生時代にコミュニケーションを僕に教えてくれた教授でも、講義が終わった後に、教授のプライベートの個室で独りタバコを吸うことが、何よりホッとすると語っていました。

 それが、人とコミュニケーションを取るためには必要なのです。

 これは大切な教えです。

 教授は「ON」と「OFF」の使い分けを、学生に教えてくれていたのです。

 いつも、親密な「ふれあい」を求めていた人が、完全にウツになり、誰とも、ふれあいを持たなくなる人がいます。

 これなどは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の状態です。

 ですから、ツアーの旅行でも、団体で一緒に動く時と、プライベートの個人で、独りで散策する時間を作っています。

 仲の良い友人でもズーッと一緒にいると、二泊三日のショートの旅行なら問題がなくても、長期に誰かと一緒にいれば、旅行から帰って来た後は、気がつかないうちに疲労していることがあります。

 ひきこもってしまう人の特徴の一つに「もともとは社交的だった」と言われる人が多いのは、このような人は「人と関わらねばならない」で強迫的に頑張り過ぎて、エンジンがオーバーヒートしてしまった状態です。

 心理学で交流分析という学派があります。

 その中で「親密」と「社交」と「儀礼」「ひきこもり」を使い分けています。

 すべての会話に熱く意見を戦わせたいと言う人は、「親密なふれあい」に強迫的(ねばならない・ベキなのだ)に求め過ぎます。

 時には、

 「どちらまで?」

 「ちょっと、そこまで」

 「仕事は、どうですか?」

 「まぁまぁかな」

 「暑いですね」

 「本当にね。困ったものです」

 このような儀礼的な会話で、適当なやり取りも時には必要な場合があります。

 冠婚葬祭の電報の電文例から、何か一つ選ぶのに似ています。いつも「何か心をくだいての電文を」と思い過ぎると、心がオーバーヒートするからです。

 「暑いですね」

 「本当にね。困ったものです」の儀礼の軽い会話に、

 「暑いとなぜ困るのですか?暑いから儲かる商売もあるじゃないですか。飲料水関係の会社だとか、その点についてどう思われますか…」と、深い会話を求め過ぎると、

 相手から「あの人は、変な人だなぁ」と見られます。

 こういう人は、強迫的(柔軟でない)で「いつも、意味のある深い会話がなければ嫌だ!」となり過ぎるのです。

 だから「あいつは悪い奴ではないけど、なんだか、いつも熱くて面倒臭い」と言われて距離をあけられる。

 これは儀礼の会話に、深い会話(親密)を求め過ぎるからです。

 いつも、「人生の生きる意味とは」友情とは、愛とは、真実とは、の深い「親密な会話」ばかりだと、周囲は、やはり疲れてしまいます。

 また、生活には必要不可欠かと言われれば、そうでもない「社交の会話」もあります。

 「あの芸能人が誰々と付き合っているんだって」「へぇーそうなの。前はあの芸能人と付き合っていたのに」

 「○○さん家の長女の、あの娘が、今度結婚するらしいよ」「あの娘なら良いお嫁さんになるよね」

 このような社交の会話に対して、逆に返答が「そうなの…」と、ワンパターンの「儀式」対応ばかりなら「奴はノリが悪い」と言われます。

 人間関係が上手い人は、TPOに合わせて「ひきこもり」「儀式」「社交」「親密」な会話を使い分けています。

 ですから、人が一生懸命に話しかけているのに、携帯メールばかりに、引きこもって、時より関心なさそうに「そうなんだ」と目も合わせないで「儀式」で応じると、話しかけている人を不愉快にさせます。

 または、自分で一人になれないで、いつも、にぎやかな集まりに出かける人がいます。

 ある学生は、個室にじっとしていられなくて、隣室にTVゲームを毎回やりに行きます。

 彼は、人の中にいないと不安になってしまうのです。「ひきこもり」ができないのです。

 でも、自分から心を開いて話すことはなく、隣室で一人でゲームに没頭する。だから、友達から「変わり者」と評価される。

 彼は自分から心を開かない。

 「ごめんね。いつも君に迷惑かけて、なんだか独りになりたくなくて…」の親密な会話のスタートをしない。

 誰かが会話をしてくれたら、そこに飛び込んで乗っかろうとしている。虫のいい話です。

 僕は、その学生に「君は切符を買わないで、電車に乗っているようなものだね」と、正直にフィードバックしました。

 人間関係のエチケットの「エチケット」の語源は「チケット(切符)」です。

 自分を開きもしないで、人に関わってもらうのを待っている。

 このチケット(切符)のない、間違ったコミュニケーションを「心理ゲーム」と言います。

 「暗い顔する」「意味なく泣き出す」「私、生きていたって価値がないから死にたい」「どうせ私なんか…」と言われると、優しい人ほど、気になり、無視できないから、相手のチケットのないゲームに乗車させられる。

 いつも、そのようなネガティブな関わりしかできなくなると、長い時間を使って大切な人間関係を失うことになります。

 人は他人のことより、自分の間違ったコミュニケーションに気づかないものなのです。

 一度、自分の一日の時間をどうような配分でコミュニケーションを使っているのかを考えるのも良いですね。

 どちらにしても何かに、偏り過ぎると自分の心がオーバーヒートするし、自分と他人との人間関係に、エチケットのない乗車もまた、人間関係のレールを脱線させるかもしれないですね。





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