誰かのパワーになるために…
2019/04/21
僕は飛行機に乗る時には「こんにちわ!」と元気よく乗るように心がけています。それに負けない最高の笑顔で返してくれたCAがいたので、気持ち良いなぁと思っていると「衛藤先生、お久しぶりです!」と…
ANAの研修も担当したので「僕のANAでのコミュニケーション研修を受けられましたか?」とたずねるまえに、「大阪の○○○期生の○○です!ブログ楽しみに見ています」
「あ、こちらこそ、お久しぶりです」と挨拶をしました。そうです、大阪の生徒さんです。
その後は、僕の習性(習性その①、乗り物に乗ると寝るべし)で、しっかり、フライト中は、眠ってしまいました。
ベルト消灯のサインが消えたと同時に、飴玉と飛行機の絵ハガキとメッセージが入った袋を渡してくれました。
衛藤様
ご搭乗ありがとうございました!
最近、落ち込み気味でしたので、衛藤先生にお会いでき元気を頂きました!また、講座に参加させて頂く際には、よろしくお願いします‼
そうですか…^^; すいません。
寝顔では、元気は与えられないですよね。
次の日が、休みだったので、妻と二人で、大阪の伊勢丹で買い物していたら、イケメンの大阪の生徒さんに声をかけられました。
「イヤーっ。お久しぶりです。ブログで元気もらっています」と…
「ありがとう。また、ブログを頑張って書くね!」何と言う偶然の一致、シンクロニシティ!
そうですよね。
何気なく、机に向かって書いているこのブログも…机の上は、広い世界につがなっているのですね。のび太の机のタイムマシンのように。
多くの懐かしい受講生ともつながっています。
そう思うと、なんだか逆にプレシャーを感じてしまって…
でもね、僕はなるべく夜の遅くにブログを書くようにしています。
夜に誰か今、泣いている人はいないか?
誰か孤独で、狂いそうな人がいないか?と…
夜中に周囲が静まりかえって、ホッとする人もいれば、なんだか淋しくなる人もいます。
だから、僕はなるべく起きていて「誰かの心に届けよ!」と、ばかりに思っていることを書き込んでいく。
孤独は、夜の深い闇を、より深刻に、もっと暗闇に変えてしまいます。
だから、そんな孤独な時には、誰かの声や言葉にふれていたいのです…
ドイツのアウシュビッツで、脱走への見せしめで、十人の囚人が餓死室に送られることになりました。
その囚人の中に「結婚して子供がいるから死にたくない」と泣いている囚人に代わり、「自分が餓死室に行きたい」と申し出たのがコルベ神父です。
そして、何も食べられない部屋で、狂気と苦しみの中で、死んでいくはずの地獄の部屋で、突然、囚人の真ん中で讃美歌を歌い続けるコルベ神父。
その歌声は「すぐに止むだろう!」と確信していたドイツ兵の予測を裏切って、永遠のように彼は歌い続ける。
次々と、一人、ひとりと、囚人は亡くなってゆく。
ドイツ将校が不思議に思う。
「なぜ、この一番年老いた神父は死なないのかと」
やがて、ドイツ兵のほうが恐怖と自分たちの醜さを見せつけられる…
ドイツ兵は、その恐怖心のために、ついには餓死ではなく、毒殺でコルベ神父を殺害してしまう。
コルベ神父の強さと命のエネルギーは、最後の最後まで、自分の讃美歌で、「仲間たちを、恐怖ではなく、人の歌声のある中で、安心感に包まれて眠りについて欲しい!」という思いが、彼の命を、どの囚人よりも永く燃やし続けさせたのかもしれません。
コルベ神父のようには、なれないけれど、僕も少しでも、夜の孤独と暗闇の中で、ブログを書いて、誰かの心に僕の息づかいを感じてもらえたらと思っています。
もちろん、月とスッポンだけれど。