記念日
2019/04/21
今日は僕の誕生日です。ある年齢になると誕生日は、嬉しくもあり、嬉しくもなし。
十代の頃は一年があんなに長かったのに、今は新幹線いや飛行機なみのスピードで訪れては去ってゆく“そうなのね記念”日なのです。
元旦や、クリスマスならまわりの気配も師走特有のあわただしさがあって、準備している気にはなるけど、僕のような平民の誕生日は、社会では、何も変わらなく活動しているし、僕自身も、相変わらずスケジュールはタイトに組まれています。
もし、誕生日は、国が保証して個人の祝日にしてくれるなら、何だか誕生日も得した感もあるのだけど、そういう声が上がらないのは、やっぱり家にいても誰も祝ってはくれないから⁈ なんだろうか?って思ってみたりする、まさにそんな普通の昼下がりに、この文章を書いています。
ただ、僕の場合は、誕生日が結婚記念日と重なっているので、誰かに声をかけていただくと、「そうなのね」と同時に結婚記念日を思い出す寸法になっています。これは若い時に考えた僕のアイディアが功を奏して、どんなに僕が忘れっぽくても「そうなのね 記念日‼︎」として思い出すから、家庭はトラブらない。僕の誕生日にはそんなメリットがあります。
ただ、ウチの娘が二日前の20日が誕生日なので、後から生まれた娘のせいで、僕の誕生日は、みごとに娘の誕生日に吸収されてしまっています。家では、ケーキのチョコ・プレートのすみに申し訳ない程度に、僕の存在があるような、ないような(微笑み)
もちろん、それを僕は良しと思っているし、望んでいるのだけれど。
僕のような小心者は「おめでとう、ございます」と言われると「僕なんかのために…申し訳ない」って、少し後ろめたい気持ちになります。人の誕生日は俄然楽しめるのだけれど、自分の誕生日は「いやいや…滅相もございません」って、だから誕生日記念パーティーを主催される大人物を見ると、単純に「スゴイなぁー」って思ってしまいます。
そうそう、娘の誕生日にメールで、誕生日は自分のためではなく、お前が生まれた年の「今日この日」に、ママが痛みと苦しみの中で、君をこの世界に招き入れたんだから、ママに感謝をしてね。という内容を「おめでとう」と一緒に娘に送ったら「了解、本当にママには感謝しているから」って返信が来ました。スタッフの野本君に「ママ“には”ではなく、ママ“にも”だよなぁー」って、パパにも感謝は????って(笑)
こんなことで僕の一日は過ぎてゆきます。
実は3週間前に妻が健康診断を受けた結果、肺がんの疑いがあって、今週、再検査をしました。結果、ガンではなく、炎症だけだったのでホッとしました。その間はブログを書く気にもなれずじまい。でも、何気ない日常が、幸せなのだと感じた数週間でした。ひすいこたろう君の言うとおり、ピンチ ピンチ チャンス チャンス ラン ラン ラン日常が切れた時に、日常の美しさに気づくチャンスなのです。
昨日は、名古屋で誕生日の前夜に受講生から祝ってもらいました。まさに申し訳ない気持ち満載でした。そして、ホテルに帰って祝杯を一人でしました。もちろん、結婚記念日おめでとうをです。
妻の日常にも感謝です。