街のパワースポットの警察官
2019/04/21
博多駅に来るたびに、楽しみにしている事。博多駅にいつも癒しのお巡りさんがいる。その方は通る人、通る人に大きな声で「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」と元気よく笑顔で声をかける。ほとんどの人は、忙しさに黙々と通り過ぎるのだが。
その人は無視されても大きな声で挨拶をする。相手がどうかではなく、自分自身が人に出会いたいからと思っているように
その挨拶は、ただ繰り返すだけの上面な挨拶ではなく心があるのだ。
よく店員に「ありがとうござ~ました~っ」「いらしゃまぁせ~」と決められたことだけをオウムのように、こちらの目を見ないで言う人もいるが、それは傷つきたくないから、自分自身をエンドレスのボイスレコーダにして感じないロボットにしている防衛策なのです。
でも、誰でもが無視されつづけたら、そうなりがちで、あきらめてしまう。
しかし、それは他人の反応に依存しているのです。自分自身が生き方として、相手ではなく、自分が、「どんな生き方で生きたいか」にかかるのです。
「人生とは自分の生き方の証明」なのです。人ではなくて、自分がどう生きたいかが大切なのです。まさに、ゲシュタルト療法の二人称から一人称へ変える作業です。
今日は癒しのお巡りさんは残念ながら居られませんでした。ガッカリして、駅内にいた鉄道警察の方に癒し人警察官のことを聞くと、今日は非番だそうです。すごく残念で、そのお巡りさんの写真は次回に・・・何もないのは淋しので・・・・今宵は、博多での写真を数枚。
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