自分と楽しいデート
2019/04/21
今日は久しぶりに一日たっぷり休めた。
家族もワケあって出かけているので、ゆっくりとした自分との時間。家族がいると日頃は忙しくて家族サービスが出来ないから、家族を連れて食材を買いに行ったり、外に、食事を家族で行ったりと、やはり家族であっても、それなりに気をつかうものです。
「なぜ、家族にそんなに気をつかうかって?」
それは、幼少期が影響しているのだと思います。僕の父はあまり家族に気をつかわない人でした。「釣った魚にエサはやらないタイプ」です。女性と、つき合っている時(外の人)には気をつかいますが、その女性が、家族(内の人)になると甘えるタイプ。だから、父は、たくさんの女性からはモテタが、その女性がいったん家に入ると、外の女性に気が行く。だから、僕にとってママ母は、冷たかった女性も、優しい女性もいましたが、気がつけば何らかのかたちで去って行きました。父の母である、祖母は戦争未亡人で、父を育てた。しかし、戦争が終わって再婚した祖母は、一人だけ衛藤の姓を名乗らせた息子である父を愛し溺愛したのだと思います。だから、若い頃の父は、僕たち家族(内)には、甘えて手を抜いて、そして、外の女性には気をつかった人だったのだと思う。なので、父は家に帰らなかった。だから、もの心がつくまでの僕は、そのように父に、ほったらかしにされた女性たちに囲まれ育った。
愛し合った二人なのに「ごめんね。いいお母さんになれなくて…」と寂しげに去って行く、女性の愛のゆくえから、僕は学んだのだと思う「愛は水をやらないと枯れる」と言う人生教訓を。
その人生の教訓は決して僕にとってはムダではなかった。だから、仕事が忙しくても、やはり家族のバランスも大切にしてきた。もちろん、僕だけではなく、家族全員が、それぞれに同じように気を使っているのだと思いますが。
だから、こうして家族にも、人にも、気をつかわないで自分との二人きり(?)の時間はとても贅沢な時間なのです。そうですね、二人きりと言うのはブログを読まれている皆さんには「一人きりだよね??」と、思うかもしれないけれど。メンタルでは「自分とアポイントを取ろう!」ということを勧めています。
人は誰かに気をつかいながら生きています。周囲の友に、職場の仲間に、家族にもです。その与えられた役割の期待に応えようと頑張っています。「友だちとして」とか「部下として」とか、「夫や妻として」とかの役割に意識的にも、無意識的にも影響を受けて、誰かの期待に応え、見捨てられないように人は生きています。
なぜなら「人は一人では生きて行けない」からです。だから、ニートになって部屋に引きこもっているだけの人は、何も周囲にサービス与えなくても許してもらえる環境にいるからです。その環境を与えているのも家族なのです。
過去に、誰かに過剰に気をつかい過ぎて、人嫌いになり、うつ病になるのも問題ですが、家の手伝いをするでもなく、家族に、笑顔や会話することもなく日々を過ごしている引きこもりやニートは、家族にコミュニケーションというサービスをしないのですから、やはり問題なのです。
だから、人に対して「頑張る」か、「何もしない」かの、オールorナッシング ではなくバランスなのです。
人に気をつかい過ぎて日々ガンバっているなら、自分と二人きりで過ごし、自分にアポイントを取り、自分を楽しくいたわる。人間関係に消耗した自分に省エネモードに設定して、誰にも気をつかわない時間を過ごす。日頃、ガンバっている自分に、もう一人の自分が「ゆっくりしろよ、今日ぐらい。私と過ごそう」と、心に栄養を与えるのです。これを「積極的、引きこもり」とメンタルでは教えています。
愛情恐怖の人は、一日中誰とも会わないと不安になりますが、それは「人は愛によって癒される」の言葉を誤解しているからです。一番にないがしろにされているのは「真なる身内!」そう、自分への愛です。誰かと過ごさなければ不安な人は、家族や友人、恋人、「外の人」に愛を依存し過ぎているのです。だから、一人でいることに無意味さを感じ、それに不安をおぼえるのです。
でも、最終的には「一緒に墓に入るのは自分」です。ずーっと長い人生を一緒に辛苦をなめてきたのも、大切な仲間である自分なのです。
もちろん、人は愛によって癒されます。でも、その愛は他者からの愛だけではないのです。いつも、泣きなら、悩みながら生きている自分に自分が「よくガンバっているなぁ」とねぎらうのも愛なのです。
ブッダが「己こそ、己の寄るべ、己を置きて、誰に寄るべぞ」と言ったのは、そういう意味だと思っています。
他人に頼りすぎるから「親が愛してくれなかった」「恋人が冷たい」「子どもが勝手に育ったと思っている」「会社の人が理解できない」「夫が、妻が…」と、すべての悩みの根源は、他人への依存によって起こり、そして、他人に期待している分だけ、愛の飢えは激しくなります。
最終的な癒しスポットは「自分にベースキャンプ地を作る」ことです。だから、今日の僕のように自分と会話しながら、自分と楽しむことも、僕自身には大切な時間なのです。
そんな中で、このブログを書くという行動は、休んだ今日という外への唯一のおすそ分けのサービスなのです。
でもそれも、僕はこの文章を人に読んでもらって、誰かに喜んでもらえたとしたなら、僕も幸せを感じるのですから、与えた分だけ、愛がもらえるのです。だから、人の世は「ギブ&テイク」なのです。
なので「愛は水を与えないと枯れる」のもやはり真実です。それを与えなかった父は家庭を壊しました。だから、身内こそ気をつかわないといけないのです。それを与えなくても、許されのは子どもの時だけです。
それを、大人になっても許し過ぎると、誰かをダメにしてしまいます。もちろん、与えるのは「物」ではありません。ありがとうの感謝だったり、笑顔だったり、「元気ですか?」の電話でも素晴らしいサービスです。そして、電話する相手を失ったとしたら、誰かに与えてもらった愛を、他の誰かにも与えることが愛を与えてくれた人への恩返しなのです。それが、大人の社会性です。
だからこそ、他人にばかり愛を求め過ぎる人は、人と上手につきあいができません。そんな時は、自分とアポイントと取って、気をつかってあげて、そして、エネルギーがチャージできたのなら、今度は誰かのために愛あるコミュニケーションを与えよう。
「さぁ、また明日から外へのサービスをガンバろう!」誰かに必要とされるために。
携帯の充電もシッカリ使い切ったほうが、充電しやすく、壊れないんだってね。
明日から読者も他者へ、優しさの放電をガンバって!