脱・枠内思考!

      2019/04/21

 韓流のテレビが面白いと夢中になっている人が多いようです。

 韓国のスターも続々と日本のマスメディアに紹介されています。

 何よりも彼らのインタビューに対する受け応えも清々しい。

 礼儀正しいし、何よりも自分の意見をしっかり持っているようだ。

 日本の若手スターの素の会話は、その人らしいクレバーさを感じないし、ドラマの役以上の奥行を感じとることがまれです。
 少し前に若手女優の「別に•••」発言もありました。

 そして映画もドラマの主演でも「また彼、彼女が主役ね」とアイドルというだけで選ばれて新鮮さに欠ける気がします。

 ドラマの深さにしても韓国ドラマは1クール24話くらいに対して、日本のドラマは1クール9話から10話で終わってしまう。最近では、さらに短くなっているようです。(スポンサーが景気が悪いからかな?)

 だから、時間をかけてゆっくりと主人公に感情移入し愛着がわいてくるような時間はない。また、登場人物の背景や脇役の人となりがわからないからドラマに深みがなく、結末が最初から読めてしまう。

 もちろん学園ドラマなどは一話ごとに各生徒にスポットが当たるが、次の週には集団の中に放り込まれて個性は消えてしまう。

 そして、集合のシーンでは、幼稚園の卒園式のように「みんなでガンバった運動会‼」「一生懸命歩いたハイキング‼」のように、口を揃えセリフを語りあって個性はすぐになくなり登場させてしまう。

 韓国のドラマは、沈黙の表情や時間の「間」をうまく使っている。さらに主人公から景色へのターンが長いからドラマに広がりを感じる。だから、日本からツアー客がたくさんその地に訪れることになる。

 なんだか素人の僕がドラマの評論してしまって気が引けます(~_~;)

 ただ「韓国のドラマばかり放送するな!」と最近、若手俳優がツイッターでつぶやいて物議を醸しだしました。一俳優としてのいら立ちは理解できますが、問題はそこではない気がします。

 韓国だから、アメリカだから、日本だから批判するよりも、アジアの中で「覇者だった」というプライドを日本は取り去って、どの国であれ良いものは認めて取り入れる必要がある気がします。

 その柔軟性こそが本当の強さであり覇者のプライドだと思えるのです。

 「弱い犬ほど、よく吠える」と言いますが、本当の強さは自分を客観視し、「過去あの国は格下だった」と、変なプライドにしがみ付かないで柔軟に変化できる大らかさが真の覇者に必要な条件なのです。

 そのためには大手プロダクションに依存しないで、新しくスターを掘り出してゆく根気。もちろん、見た目だけではなく、人格の中身も含めて。

 日本のように人気の芸能人を主人公にして、ファンを取り込んで最低限度の観客動員と視聴率を稼ぐというモノづくりはクリエイターとしては情けない。

 最近は、それはドラマだけではなくすべてにおいて日本のものづくりの病だと思います。

 商品も冒険しなくり、売れ筋だけのものづくりは「まぁまぁ」の商品しか作れなくなり、国際競争に勝てなくなってきている。

 今はMade in Japan の栄光の輝きも風前の灯火となりつつあります。

 京都精華大学マンガ学部で指導している僕の友人でナカタニD.氏は「最近の海外からくる留学生の才能の豊かさと技術の高さに驚かされる。日本のマンガが大好きで自国で書き続けて来日するので、線は安定しているし、構図も完璧だ」と言っていました。いつか、マンガも海外に抜かれると••••

 だから、他の国を批判するよりも、他の国から良いものを取り入れる柔軟性が必要ではないでしょうか。それは、結局、逆輸入なっていても••••


 テレビドラマにしても、ていねいに感動を作り上げてゆくプロ魂を持った輩が、たくさん現れて欲しいものです。

 番組編成の枠から離れて「面白いものを作ろうぜ‼」そのチャレンジ精神がさらなる文化を作る。栄光のプライドにしがみ付いていたのではダメです。

 番組編成の枠、日本のプライドの枠、「今まではこうだった」という枠は成長の妨げになりはしないかと憂慮しています。

 だから、僕の授業は枠を越えて延長が当たり前•••(すいません。言い訳ですf^_^;)


日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき




















 

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