終戦記念日に思う。
2019/04/21
今日の夏の空を見ていると、66年前の戦争中は、この空が戦火で赤く染まったことなど想像もできません。
茨木のり子さんが、ミンダナオ島に行った時に、現地の若者が真っ直ぐに伸びた木の上で大きな果実を見つけた。
でも、果実だと思った木の実は、コケむした一個のスカル(頭がい骨)だった。
それは戦時中に、ここで戦死した日本兵の頭がい骨が、ジャングルの小さかった木の枝に引っかかったまま大きく育った一本の木から落ちたものだった。
茨木さんは、その頭がい骨を手にしたまま言葉を失った。
このコケまみれの頭がい骨が、生きておられた時を想像して••••
この彼が生きていた時、この頭を、かけがえなく愛しんで、胸に抱きしめた女性がいる。その女性は、この男性をどんなに愛したことだろう。
その優しい愛の瞬間に、彼がこのジャングルで朽ち果てることを想像できたのだろうかと••••
この彼が幼かった時に、このひたいを愛情たっぷりで、じっと見ていたのは、どんな母親で、この彼にどれだけの愛を注いだのだろうと•••
子供がケガをすることを自分の痛み以上に感じる母親にとって、このジャングルの木の実のようになった息子の頭がい骨を見て、その母はどうその現実を受けとるのだろう。
この頭髪に指をからませながら愛を語った女性はどんな人だったのか?
もし、それが私だったら••••
そう思うと、その最後が一行の終行が書けないままになったと、詩集の中で茨木さんは語っている。
今日、菅総理は終戦記念式典で
「ここに、我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継ぎ、平和国家として世界の人々との絆を深めてまいります」と語った。
それに対してのスレッドが「バカ菅死ね」や「だからアジアから舐められる」「時代が違う!」「韓国がF5で攻めてくるぞ」 と怒りをぶつけるものばかりでした。
「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」と言ますが、戦後66年経つと、戦争の悲惨さが若者から薄れてゆく。
皆が「怒り」を誰かにぶつけたがっているかのように••••。そして、この怒りのエネルギーの向かう先は••••
僕はもちろん、戦後の生まれです。でも、多くの戦争体験者の話や、書物を読むたびに、今の時代のムードが戦時前のムードと重なってしまうのです。
僕も茨木のり子さんと同じで、未だに最後の一行が埋まらない。
ただ、わかっていることは、もう二度とこの空をキノコ雲や戦火で赤く染めてはいけないということ。
戦うのは国家ではない。戦うのは、昔、母に抱かれた、無垢だった幼いひたいの集団だということ。
そして、悲しいのは愛する人の頭を胸に抱き、その髪に指をからませた人の優しい胸元へ帰れない戦闘員と、それを待ち続けた人びとが存在するという事実••••
夕方、家のそばで幼い子供たちの遊ぶ声がする。
この子供達が夢を抱き、笑っていられる社会のために、今の自分に何ができるのかを静かに考えなければならない時代ですね。
言論の自由はとても大切なのです。
でも、怒りをぶつけるだけなら、戦争をひき起こした人々と変わらない気がして••••