終わりなき世のめでたさ…
2019/04/25
2014年になりました。
やっぱり、車も少ないせいか、生駒山の中腹にある、我が家から見る大阪市内の空気も凛として、とても澄んでいるように感じます。
昨年から一日が過ぎ去るだけなのですが、元旦は、すべて新しい年から再スタートをきれるようで、やっぱり新しい年の幕開けはいいですね。
お正月に流れる「年の始めの ためしとて おわりなき世の めでたさを…」のフレーズにある、終わりがない世、世界のみんなが、心から幸せでいる日々が続くことを心より願います。
自分がどうなりたいかではなく、世界がどうあってほしいかに、自分自身の願いもいつの間にか変わってきました。これも、年齢からくるものなのでしょうか⁇
もちろん、まだ若いのですけど…(笑)
現代、物理学では、すべての物質は素粒子からできていて、この机も、このiPadも、僕の身体も、素粒子の波が形を変えた世界だと。この新年の夜空に輝く星々たちだって、僕たちの身体を作っている素粒子と同じ物で出来ている。星と僕たちは同じなだと…
僕たちは死を通して全てと、一つになると言うのです。
それは、インディアンの「大地で一つになる」という死生観と似ていると話しました。雑談のついでに「天国とは、そういう所なのか????すると、大好きなあの子、この子とも一つに…ただ、嫌いな奴と、一つになるのはねぇ『それは勘弁』と言う人もいるでしょうが…」と笑っていました。
後で「殺した者と、不幸にして殺された者が、一緒だなんて雑談でも納得できない」とアンケートをいただきました。
その通りですね…
ただ昔読んだ、ある作家の本で、こんな話しが、僕の心に残っています。
その作家は大量虐殺があった、アウシュビッツに行ったそうです。そこで収容所の内部を見ました。ガス室を見て、ナチが行なった残忍さのために、三日間、彼は食事もノドに通らなかったそうです。
何より彼が嫌悪したのは、たくさんのユダヤ人をガス室に送り込んで殺害した夜に、ナチの将校たちが音楽会に行って、モーツァルトを聞いて感動して涙を流したことです。人間性の表裏の恐ろしさ、なんとも言えない戦慄と、嫌悪感を感じたそうです。
その旅を終えて、彼が尊敬している神父に質問したそうです。そんな人は救われない、救われるワケがないと…すると、神父は「天国に来る者は、ユダヤで殺されたであろう、たくさんの子供たちが『あの自分たちを殺した、大人たちも、神様お願いです。許してあげて下さい』と願ってやまない場所なんです」と答えてくれたそうです。
僕はこの話しを聞いて心の底から、感動したことを今でも憶えています。
もちろん、殺された者からすれば「あんまりダァ」となる人もいるのかもしれないし、僕も半分は、その人びとの気持ちもわかるのです。
でも、もう一つの半分は、自分の常識や倫理よりも、広くて深い愛が存在し、そんな場所があり、神さまがいるのなら、天国は、そういう場所であるかもしれないと…僕は「信じてみたい」と思っている願いも確かにあるのです。
昨年の年末に、安部首相は自分の信念を通すため、靖国神社に参拝しました。でも、それが東アジアの緊張を高め、もし最悪にも、中国や韓国との武力衝突などが起きれば、この国の「終わりなき世を」願って戦った、いや、それを信じこまされて、戦った人たちは、喜んでくれるのだろうか?
靖国神社で眠っている英霊は、戦争に対する緊張を高めてまで、自分たちを参拝することを、心底に願っているのかを僕は考えてしまいます。
世界が、幸多かれと願っています。