突破する力が、あなたの未来を作る!
2020/02/13
昨年末の福岡校に続いて、先日名古屋校の基礎の修了式でした。
今回の名古屋校の修了式も、ご家族のオブザーバーも参加OKだったので、受講生のステキな家族や友人に出会えました。
次の週に参加者からお手紙をいただきました。
主人が参加して感動していたと…主人の感想は女性ばかりだと思っていたのが、意外に男性も多かったこと、参加者がとてもステキな人たちだったこと。そして、パーティの帰りに主人が当時の心境を話してくれたこと・・・君が初めて体験セミナーに参加した日、興奮して帰って来て「講座に行きたい!」と言った時には正直「体験のセミナーだから面白いのは当然、メインコースに行ったらガッカリするに違いない」と内心は思っていたこと、でも、講座に通い出してからの君が、学校から帰ると息せき切って、子どものように今日の授業の内容を嬉しそうに話す姿に驚いていたこと、何よりも家での、ため息が君から消えたこと、前編から後編に行くと言った時も、正直「前編はともかく、面白く感動しても、後編ではガッカリするだろうと…」でも、さらに興奮して帰って来る君の姿を自分もいつしか楽しみに待つようになったこと…今回、式に自分も参加して、その理由が分かったよと言われました、と書かれていました。そして、手紙の最後は「プロコースに行きます!」と締めくくられていました。
講座を発信する側よりも、講座を感じて生活に生かしている方々の素晴らしい柔軟性に感動します。
16歳の修了者、今回の最年少の受講生が発表してくれました。
メンタルに来て変わったこと、それは自分自身を傷つけなくなったこと…その女の子は中学生の時に、不登校だったそうです。そのことで、お母さんに迷惑をかけている自分自身が嫌いでリストカットをしていたこと。彼女は幼い時から、ムシャクシャすると、自分の身体を叩くことでストレスを発散する習慣があったから、中学に入ってリストカットへの移行も、何も抵抗を感じていなかったこと、今まで自分の身体は、ただの憂さ晴らしの道具でしかなかったからと。
ある講座でSelf Love療法を知り、「あなたの身体はあなたの存在をすべて受け止めている、その足は、君の行きたいところへ、今までの人生の長い間に、いつもどこにでも連れて行ってくれる。世界中が君を見捨てても、誰もあなたを認めなくても、あなたの身体は、決して君を見捨てなかったこと…。君の身体はいつも君を守っている」この言葉に彼女は「ハッ」としたそうです。そして、その日、家に帰ってから自分を抱きしめて謝ったこと。
彼女は自分の身体を撫でながら「気づいてあげられなくてゴメン。傷つけてゴメン。痛かったよね、ずーっと誰よりもそばにいてくれたんだよね。ごめんね。」彼女は気づいたそうです。自分の身体は、自分が眠っている間も、自分自身が周囲に対してイライラしている間も、一時も休まずに「自分が普通の今日を生きるために」一生懸命に静かに私からほめられもせず、時には私からの攻撃に耐えて、それでも守っていてくれていたことに。
その時に講座で教えてもらった「自分の最高のパートナーは自分!」という意味が理解できましたと…彼女は「私の命が尽きる最後の最後まで、拍動を続け、血液を流し、臓器を動かし続けてくれた自分。たとえ、私自身が、そのことに気づいていなくても、どれだけ自分を嫌い、傷つけても、私の身体は、ずっと変わらず私を守ってくれていたことに…それが分かったので、自分が自分の一番の味方になってあげようと心の底から思っています」と立派にレポートを締めくくりました。
会場は16歳の立派な気づきにシーンとなり、それを打ち破るように拍手が会場中に渦巻いていました。どんな立派な演説よりも、一人の少女の気づきが多くの年輩の家族や自分への気づきに結びつくことがあります。
僕が教室で大切にしているのは、この周囲の人の気づきが、誰か見ず知らずの人の気づきを促進させるという教室での奇跡なのです。これはインターネットでは得られないLiveの素晴らしさです。講座は講師と生徒の縦の1対「1」の関係で変化があるのではありません。この受講生同士の気づきや発見が、1対「多」数のLiveの「横のつながりの力」が誰かの気づきを促すのです。
名古屋の別の受講生がこう語ってくれました。私はディスカッションが嫌いでした。友達にも自分のことを語ることがないのに、見ず知らずの人に、自分が感じたことや自分が思ったことを語るなんてイヤだなぁと思っていました。
でも、ある時に色んな人の話を聴くと「なるほど」と自分の心の中で発見があるのだけれど、その「自分の気づき」にしか意識が向いていなくて、どんな顔の人が、誰が何を言ったのかすら家に帰ると覚えていない。一生懸命に思い出そうとしても、自分の内の発見だけで、相手のことはこと細かく覚えていないことに気づいたのだそうです。そうであるなら「私が話していることも、私自身のことは、誰も覚えていないのに」なぜ自分は、周囲にどう思われているかに、こだわっているのだろう。それが今までの人生の中で、いつも自分が周囲にこだわっている、私の癖であることに気づいたと。そう思ったらディスカッションが、とても楽になったと…
この考えには、多くの示唆が含まれています。誰かに過去に言われて傷ついた人も、残念ながら、そのことを言った張本人は、もうすでに前を向いて歩き出しています。でも多くの言われた人は「時間が止まったまま、その道ばたに捨てられた石ころを眺めて苦しんでいる」という事実です。もちろん、言った人、やった人が忘れるなんて「ヒドい」と思う気持ちは、僕には共感できます。でも、人はそれほど自分が言ったことに責任を持っていません。「責任を持つべき💢」「反省すべき💢」「忘れるべきでない💢」と叫んでも、自分の言動や行動が、誰かを傷つける可能性があることに注意を払うことはできても、相手の心まで、ましてや過去の誰かの言動までコントロールすることは出来ないのです。
時間を永遠に止めて立ち止まって、誰かが放った石を座り込んで眺め(悩み)続けるのか、自分の足で歩き出すのかは、自分で自分の未来を決めていくしかないのです。
ある男性の修了者は講座の内容を友人に話すと「そうだよね。常にポジティブに前向きに考える練習をしているんだ」で終わってしまう。いつも心の中で「そうじゃないんだなぁ、教室で教わることは、常にポジティブに考えられない自分も、前向きになれない時間も楽しむということを教わっているのに…」伝わらないですよね。だから、それを伝えられる人になるためには、自分はさらに勉強しなければ!と語ってくれました。
それぞれが最初は、何も考えないで体験セミナーに参加する。それぞれに僕は日替わりで違いのある体験セミナーを伝える。誰もが感じることだが新たな体験には、ある種の緊張感と不安があります。それを逃げないで、それを突破してゆく。この突破力が、それぞれの未来を輝かしいものに変えて来たのだと新たに感じた一日でした。
次回の修了式は2/2の東京品川のマリオットだ!また、新たな感動がありますように🙏✨✨✨