究極の受容、究極のポジティブ。
2019/04/21
過ぎたるは、なお及ばざるが如し
百薬の長と言われるお酒でも、人によってはストレス発散や、食欲の増進になりますが、個人の限度量を越すと、二日酔いになり、飲酒が習慣化してしまいアル中になることもあります。まさに、過ぎたるは、なお及ばざるが如しですね。
お正月にお酒を飲みすぎたり、胃袋が膨らみ過ぎた人は、少しずつ、いつもの生活に戻していくことが、1月の大切な行事かもしれません…
人はどうして「やり過ぎてしまうのか?」
途中で終わった恋、断念した夢、親からの愛情が足らなかったと、ありとあらゆる本を読み、セミナーに通い続ける人、残すのがイヤだからと言って、自分の限度まで食べ続け、肥満に苦しんでいる人もいます。
メンタル受講生の中にも「いまだに人を平気で傷つける人、歩きタバコする人に腹が立ちます。どうしたら良いでしょう」と質問されると「僕も、イライラします 」と答えてしまいます…(笑)
本やセミナーで「優しく受容しましょう」「ポジティブでありましょう」と言われると、なんだかイライラしている自分や、ムカッとしている自分が小さい人間であるように思えてしまいます。
ポジティブでありたいと願いながら、後ろ向きネガティブに考える自分が許せなくて「自分はダメだ」と、よけいにネガティブな気分に襲われる本末転倒タイプの人がいます。
《究極の受容》とは「ダメな自分もある」という現実を知ることなのです。すると似たような、弱さに苦しんでいる誰かを責めないでいられるのです。
《究極のポジティブ》とは、ネガティブに落ち込んでいる人生もあり、そんな人生をも楽しむ心です。雨や嵐の日々がないと、晴れの素晴らしい日々が分からない。心寒い冬の時代があって、順風満帆の日々に感謝できるのです。ネガティブを知らない、ポジティブな人は、調子にノリすぎたイヤな奴になってしまいます。
完璧な人間を目指す人ほど、落ち込みやすく、鬱病を発症するリスクが高いのは分かるような気がします。
では、メンタルで勉強した人と、勉強しなかった人との違いは何か?
列にも並ばないで、横入りする人には腹が立つ。足を踏まれて痛い。花を見てキレイ!車内で大きな声に「うるさいなぁ」と。
このような感じる心(感受作用)は誰にでもある。でも、悟りを開こうとする者は、それを感じるだけで、「それから」(第二の矢)がないと…
「それから」とは、人が横入りするなら「俺もしてやる!」一言「注意してやらないと気がすまない」
足踏んだ奴が悪い、怒鳴りつけてやる「バカやろーッ!気をつけろ」そして結果、相手とケンカしたりします。
花を見てキレイはある。でも「持って帰って自分の部屋だけに飾ろう」の「それから…」がない。
大きな声「イヤだなぁ」はあるかもしれないけど「うるさい!静かにしろ!」や「チェッ!」っと、舌打ちはない。
誰にでも感じる心はあるけれど、悟り目指す人には「それから」がないから、相手を車内で攻撃し、もめて、その一日をイライラ過ごすという事はない。だから、車内を出た瞬間に、楽しく「生きられる!」
メンタルは悟りを開くことは、目指してはいません。だって、コミュニケーションの勉強が、なんだか抹香臭くなりますから…(笑)。
でも、イライラは、外(出来事)にではなく、内(自分の心)にあるとメンタルの心理学では教えています。
自分は「あんな人には、なりたくないなぁ」とか、自分だったら「こうしょう!それのほうがステキ!」そんなことは学んでいます。
だから、人は結婚していても「あの人、ステキは!」は、あるのかもしれません。でも「それから…」がない。
また、逆に「ステキなんて思ってしまった、自分は汚れている」と感情までを否定すると、宗教の戒律になります。
僕たちは、宗教的な悟りまでは開けないにしても、今日の悟りくらいは開きましょう。
たとえ、明日は、また悩んだとしても…