穏やかな人びと…
自分から進んで狭いところに入るのは子どもでも楽しいものです。まるで狭いところに入ってジッとしているネコのように。
でも、強制的に狭いところに押し込められるのは誰もが好まないはず。
閉塞感という言葉を辞書で調べてみると、自らを取り巻く状況を何とか打開しようと試みるものの、その状況を打開できずもがき苦しんでいる状態、先行きの見えない状態とあります。
今回のコロナの厄災で、日本人の生真面目さが浮き彫りになっています。都市封鎖(ロックダウン)に政府が舵をきらないのは金銭補償の問題を回避したいという政府の裏の事情があるのは誰もが知っています。人との接触を避けて、日常の8割減にして下さいと言えば、街の中では努力の姿が見受けられます。
それでも「まだ8割に達成できていません」とマスコミや政府から、子供が小テストを採点されるようにチェックされています。その閉塞感の中で、少しでも散歩に出たり、買い出しに行くと、その姿を非国民のようにテレビで取り上げられる。こんなに人びとが公園に出ていますと映像化される…買い物に出ている親子連れが、申し訳なさそうに「子どもが小さいので買い物に連れて行くしかしょうがなくて…」とインタビューに応える。
あの戦争の頃はお国のためと言われて、それぞれの国民が秘密警察になって地域の人達をチェックし合ったのは、こんな風景だったのかなぁと僕の頭は空を漂う。批判するでもなく、憂いるのでもない自分に…
店主たちはシャッターを閉め、街は補償の約束のないまま静かにそれに耐えています。
これが違う国なら暴動が起こるところだろうに日本人は優しい国民だと思う。
静かな街の姿が映し出されると、その一生懸命な人々の実直さに僕は涙が出る…
パチンコに列をなす、どうしようもない人びとを、やれやれと思いながら、一方で、だからまだ日本は戦争がスタート出来ないとも思う。
整然秩序も大切だけど、カオスの安心もあるのかもしれないと…
怒りを意味なく感じる時は、怒りを感じても良いと思う。それはウンコみたいなもので排泄物だから。もちろんウンコは誰でも見たくもないし、誰かに見せられたくもない。それと同じで家族にだって怒りは見せないで処理するのがマナーだから。でも、誰もいないところでは出しても許されると思うよ…
なぜなら、出さないと病気になっちゃうから。
ただし、出す場所とタイミングとマナーを守ろうね。
みんなスゴイと僕は思います。だから、誰かを責めないようにしようね。ウンコの投げ合いは誰もが見たくないから。
僕のブログ史上、一番汚いブログでごめんなさい。