真なる競技
世界が鎖国のような様相を呈しています。
海外からも、また、日本からも海外に旅立つことが容易ではなくなっています。
世界が疑心暗鬼になり、目には見えない敵に怯えています。
人は外敵な崩壊よりも、内的な(心の)崩壊のほうが問題だと言ったのは聖ヒエロニムスです。
巨大なローマ帝国はゲルマン(蛮族)の侵入によって滅ぼされたと世界史では言われています。でも実際の帝政ローマの力はゲルマンに打ち勝てるほどに巨大でした。
では、なぜ巨大ローマ帝国は滅びたのか、それは人の心の崩壊が先にあったと言われています。ゲルマンがローマ帝国にやり得たことは、相撲で言えば崩れかけた巨大な身体を、土俵際で少し押したくらいで、それによって、内部崩壊が始まっていたローマ帝国は体を崩して自滅して倒れたのです。
多くの文明も、外圧で倒れるよりも、人心の崩壊が先に訪れるようです。コロナウィルスの猛威も、世界の人びとが手を取り合って制圧に努力すれば、やがて終息に向かうでしょう。
今、世界が手を携えられるか。自国の理屈ばかりを言い合えば、コロナが終息しても世界の人びとの中に消えない遺恨が残ってしまいます。これが何よりも厄介な問題です。
東京2020五輪も、自国だけの面子でなく、世界の人びとの立場になってあらゆる角度から考えないと、平和の祭典が、遺恨の祭典になってしまいます。これは日本政府だけでなく、日本国民も上手に舵取りをしなければならないのでしょう。
2005年アメリカ作品。映画界の巨匠 スティーブン・スピルバーグと映画界の俳優トム・クルーズがタッグを組んだSF作品で、世界中で大ヒットをしたのは「宇宙戦争」でした。
これはH G ウェルズの有名な小説が原作となった「The war of the worlds」SFスペクタクル映画です。「宇宙戦争」と映画のタイトルはつけられましたが、一番、怖かったのは、宇宙人の襲来よりも、人びとがおしあいへしあい、不安から殺し合うシーンでした。まさに原作者ウェルズが「war of the world」の原作のタイトルで言いたかったのはパニックになった、内部の人の疑心暗鬼が何よりも恐ろしいということです。これが原作のタイトルを「war of the space(宇宙戦争)」と名付けなかった理由なのだと思います。
この映画で宇宙人の侵略を阻止したのは、目には見えないウイルスでした。映画のラストでは「地球に降りた侵略者はこの星で呼吸し食物を取り入れ蝕まれていった。彼ら侵略者を倒し、死に追いやったのは、人間が誇る兵器ではなく、神が地球に創りたもうたウイルスだった。何億もの犠牲の上に人間は免疫力を身に付け、地球と共生する権利を得たのだ、この権利は何者にも脅かされない。人間は生き続ける。死さえも糧にして…」とナレーションで終わるのです。
皮肉にもコロナは英語で「王冠」という意味です。僕たちが隣人を信じ、手を取り合って勝利の王冠を手に入れるのか、それとも自分のエゴをむき出しに、それぞれの立場を言い合って遺恨を残すのかは、五輪で金メダルという「王冠」を手に入れるよりも人類にとって大切な競技なのかもしれません。