真なる強さは、凡人を楽しむ能力!
2019/04/21
〈集団の時代〉から〈個の時代〉と言われて久しい。
百科事典を完成させるのに、一つ一つの文章に著者の名前は明記されません。多くの人々が、大きな目標のために、個の名誉や見えない努力を結集させゴールに向かうのです。日本の高度経済成長も、会社組織の原動力も、そのような個の集合体の力があって達成できたのです。
学生の頃の学園祭にも同じ要素が隠れていました。だから、それなりに仲間との感動もありました。
現代は、皆が個性をアピールする時代。個を大切に扱う時代です。起業家を目指す人も多くいます。
自分は人に使われるタイプではないからと…自分で仕事を始めると宣言する人がいます。でも、自分自身で仕事を起こすと「さらに頭を下げる場面は増えるのです」。これが現実です。
人に頭を下げたくない人は、観察していると起業しても長続きはしなくて撤退します。
ニートの若者が「仕事がない!」という。
現代の求人倍率は全国平均1.08倍で、東京では2.2倍です。つまり一人に対して働く場所が二箇所存在するのです。仕事はたくさんあるのです。彼らが言っている「仕事がない」のは、友人や他人から見られてカッコいい仕事がないだけで、もっと心理的に言うならば、自分の「理想化された自己」を満足させる仕事が社会に「ない」と叫んでいるのです。
以前のブログにも書きましたが、成功者は「欲求不満に耐える能力」が強いのです。
玉ねぎの皮をダンボール箱で何箱も笑顔で剥ける人は、有名なホテルの総料理長になります。「下足番しろ!」と言われ「はい!」と靴の番が出来る人は、大企業のCEOにもなれます。
織田信長の草履を懐で温めて、豊臣秀頼は天下を取りました。
「玉ねぎなんか剥けないですよ」「靴の番のために大学に行ったんじゃないんで」こんなプライドだけが肥大した人が増えています。
ライオンはネズミを獲るのに最大限の力を発揮します。「ネズミでしょ」とバカにするライオンは、ネズミ一匹にもあり付けません。
人生を失敗する人の特徴は「普通であることを嫌う」。いつも誰からも注目されていないと不愉快だし、特別でありたがる。彼らは、他の人と同じ扱いを受けることが納得できない。カレン・ホーナイが、神経症的自尊心の持ち主は「The world should be at my service .」世界は自分を大切にすべきだと思っている。だから、待たされると怒り、順番に列に並ばされると不機嫌になります。
「自分は特別な生徒」という扱いをされないと、あの学校はなっていないとなり、自分が上司にとって、たくさんの社員の中の一人であるという現実が認められない。だから、いつも会社に不満をもちながら、日々を過ごすことになります。
これは、幼児性のあらわれです。自分は特別であるべきで、人から普通に扱われてはいけないと思うから、神経症的自尊心の持ち主は「規則」や「普通」を嫌うのです。
なぜなら、規則は、自分はただの一市民であり、ただの一社員であり、ただの一生徒である、現実を見せつけてくるので不愉快になります。ストーカーになる人も、自分は嫌われている現実を認められません。自分は人から否定されることはあってはならないと、無意識に感じているから注目をしてくれない上司を、親を、元恋人を攻撃するというマイナスな関わりで維持させようとするのです。
思うようにならなくなったら、泣きながら子どもが親を叩きに行く心理です。以前にも書いた、文句を言いながら、関わってくる困った人たちです。
ホーナイは、自己愛の持ち主は「I am entitled to having luck and fate on my said.」とも言っています。自分は努力しなくても、幸運に恵まれると思い込んでいる人は努力を嫌う。自分だけは一攫千金に恵まれると思っているから、ギャンブルや宝くじばかりに時間を注いで、人として必要な汗をかく努力を嫌います。やがて人生が崩壊していくのです。
残念ながら起業しても、組織に入っても、イヤな人には出会う、頭を下げないといけない。
必要なのはフラストレーションに耐える能力の開発です。それをしなければ、学校を転校しても、職場を変えても、恋人を変えても、同じ人生を繰り返します。
今、日本の企業の国際競争力と弱体化が叫ばれています。僕はその背後にあるのは「自分だけは特別であるべき」。このような幼児性の強い人が増え、周囲と一緒に何かをすることを嫌う人が増えていることに原因があると考えています。
個と集団とのバランスが大切な時代です。働き方改革で、個を大切にという時代ですが、慎重に方向性を決めて行かなければならない時代です。
「凡人中の凡人」を楽しむ能力!
それがフラストレーションに、打ち勝てる最大の能力の開発だと僕は信じています。