疲れたカウンセラーのひとり言…
2019/04/21
今だに、トラウマから抜け出せない。
今だに、未来の展望が見えない。
今だに、夢が叶わない。
今だに、ある人を許せない。
今だに、完全な愛に出会わない。
今だに、幸せがわからない。
今だに、大切なものが見出せない。
どこに行けば、その(理想郷)パーフェクトワールドにたどり着けるの?
君は聞くかもしれないね。でも、その理想郷を求めれば、永遠にそこに到達し得ないかもしれないよ。
なぜなら、人は幸せになると、さらなる幸せな状態を夢見始める。すると「今」の幸せな状態は、不幸な日常に変わってしまう。
昔からギリシャの哲学者たちが「幸せのパラドクス」と呼んだんだ…
欲しかったオモチャが手に入ると、やがてそれはオモチャ箱にゴチャゴチャに投げ入れられる日常になるように。
だから、悟った時も、また落ち込む時もあり、出会った時もあり、出会っているのに気づかない時もあり、
せっかく出会った人を喪う時もあり、また、笑えたり、笑えなくなったり、答えを発見したり、迷ったりもする。
急ぐ時も、止まる時もあり。陽があたる時代もあれば、日陰の時代もある。
褒められる時もあれば、笑われる時もあり、前向きな自分に出会えた時もあれば、心ふさぐ時もある。
焦る瞬間もあれば、気長に鼻歌唄う時もある。
手を握り合う時もあれば、拳を握る時もある。調子にのる時もあれば、うなだれる時もある。
お腹が空いてる瞬間と、もう大変だ~ってくらい満腹な時もある。
眠れる時もあれば、眠れない夜もある。
愛情に包まれる瞬間と、淋し過ぎて涙する瞬間もある。
こうして世界は回っているのさ! このパラドクスから抜け出して、本当に幸せになる方法はね。
それらの日々が、すべて生きていること、学んでいること、迷いもふくめて人生なのだと味わうことなんだよ。
今がパーフェクトワールドなんだと気づくことさ。
夜がないと朝がわからないし、悲しみがないと、喜びが何かも味わえないだろ。
幸せは探すものでなく「今、ここ」が
幸せだと味わうものなんだ。
昔、僕の大切な小さなお友達が、この世を去ってね。
「彼はね、大人になりたいと願いながら」お母さんの腕の中で、次の世界へ旅立ったんだ。
そう、君が「分からない~」と叫んでいる世界に「生きて見たかった」にもかかわらず、その望みも叶えられずに…
もういいかなぁ。
僕は、今、その質問の数々に応じるのに疲れてしまってね。
でもね、その疲れも幸せだと僕は気に入っているんだよ。
なぜなら、僕の幼い友達の「幸せの世界だからね」…
《旧約聖書 伝道の書》
すべてのことには時があるー
生まれるに時があり死するに時があり、こわすに時があり建てるに時があり、泣くに時があり笑うに時があり、悲しむに時があり躍るに時があり、捜すに時があり失うに時があり、保つに時があり捨てるに時があり、裂くには時があり縫うには時があり、黙るに時があり語るに時があり、愛するに時があり憎むに時があり、戦うに時があり和らぐに時があり…