現実の向こう側にあるもの…
2019/04/21
ご飯をすぐに呑み込んでしまうと食事がアッという間に終わってしまうので、ご飯をすぐに呑み込まないで、何度も何度も気が遠くなるほど噛んだそうです。
味がまったく無くなり液体のようになった、その先に突然、口の中に何とも言えない最後の甘い味のピークが来るそうです。それを著者の田村君と家族は「味の向こう側 」と呼び、それを確認してから飲み込んだそうです。
現代の文明は、よりスピーデイに、便利になってゆく。お店に物はあふれ、本来、暑さ寒さを防ぐための衣服は、捨てられるのを待つようにクローゼットからあふれ出す。
心揺さぶられるセリフや歌も、スグに心から忘れさられ、すべてを味わいきれないまま、過去へと過ぎ去ってゆく。
僕たちは「今、ここ」を味わうこともしないで「今、ここ」の向こう側を知らないで、人生を終わらせてしまうのかもしれません。一瞬の時間の中にも、しっかり味わうと素晴らしい感動とキラメキが隠れているのに。(カメラのCMではありません(笑))
人と会う時にも、僕たちは、どれだけシッカリと「その人との今、ここ」を噛みしめ、その瞳の奥にある「心」と出会っているのでしょうか?
しっかり、しっかり、二人の時間を味わい、会話に耳を傾け、その場の空気、周囲の光、相手の息づかいを噛みしめた先にこそ、もう戻らない時間と、出会った奇跡が隠れているのかもしれません。
「家族の向こう側」「恋人との向こう側」「職場仲間との向こう側」「今日、歩く街の向こう側」、もう戻らない「今の自分の向こう側」そんなことを感じながら、いつも歩いている見慣れた街並みを味わってみようではありませんか。
《この時代に生きる 私たちの矛盾》
ビルは空高くなったが
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが
得るものが少なく
たくさん物を買っているが
楽しみは少なくなっている
家は大きくなったが
家庭は小さくなり
より便利になったが
時間は前よりもない
たくさんの学位を持っても
センスはなく
知識は増えたが
決断することは少ない
専門家は大勢いるが
問題は増えている
薬も増えたが
健康状態は悪くなっている
飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し
笑うことは少なく
猛スピードで運転し
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて
起きた時は疲れすぎている
読むことは稀で
テレビは長く見るが
祈ることはとても稀である
持ち物は増えているが
自分の価値は下がっている
喋りすぎるが
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる
生計のたてかたは学んだが
人生を学んでいない
長生きするようになったが
長らく今を生きていない
月まで行き来できるのに
近所同士の争いは絶えない
世界は支配したが
内世界はどうなのか
前より大きい規模のことはなしえたが
より良いことはなしえていない
空気を浄化し
魂を汚し
原子核を分裂させられるが
偏見を取り去ることができない
急ぐことは学んだが
待つことは覚えず
計画は増えたが
成し遂げられていない
たくさん書いているが
学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている
ファースト・フードで
消化は遅く
体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し
人間関係は軽薄になっている
世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず
レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない
夫婦でかせいでも 離婚は増え
家は良くなったが 家庭は壊れている
忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ
忘れないでほしい
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 一円もかからない
忘れないでほしい あなたのパートナーや愛する者に「愛している」と言うことを 心を込めて
あなたの心からのキスと
抱擁は傷を癒してくれるだろう
忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握りその時間を慈しむことを
愛し 話し あなたの心の中にあるかけがいのない思いを分かち合おう
人生はどれほど呼吸するかで決まるのではない
どれだけ心がふるえる瞬間があったかだ
ボム・ムーアヘッド原作
佐々木 圭一 訳