清々しいケンカ
2019/04/21
よく「うちの夫婦は、対立はないですなぁ」と、自信を持って言われる人がいます。でもそれは、どちらかが、対立した時の「イヤな雰囲気」を味わいたくないから、それを避けて、我慢して、見かけの上で平和を維持しているだけの場合も少なくはありません。
「うちの夫はケンカすると、こちらの話を聞かないで、理論的に言い負かされてグウの音もでないくらいイヤな気分になるので何も言いません」「言ったら最後、100倍になって返って来るから、あきらめています」対立を相手が避けている場合もあるのです。
このように、対立がない夫婦は、決してそれだけで「いい夫婦」だとは言えないのです。
対立には「破壊の種」と「理解の種」の双方が宿っています。
人と人が一緒にいれば、お互いに違いがあって当然なのです。「あなたは間違っている!」は、「対立している同士の『間』に違いがありますね」が「間違い」の本当の意味なのです。
ですから、間違いを否定的に感じることはありません。そう、今「お互いの間に違いがあるね」と言う確認なのです。だから、対立は、そのお互いの違いのズレを理解し合うキッカケにもなります。
いいケンカをすればいいのです。意見の違いを伝え合って「相手は、そんな気持ちだったんだ」「相手は、それを気にしていたんだ」と分かり合えば理解の道も開かれます。
でも、Youメッセージで相手を責め合うと「破壊の種」になります。
相手の話をアクティブ・リスニングで聴き、自分の気持ちを正直にIメッセージで自分を開示することです。
そして、メンタルの心理学ゼミでは、対立はしても気持ちよく解決できる、必殺ワザの「Win-Win解決法」があります。
だから、決して意見の違いを恐れないで「気持ちよかったね!」と言えるような清々しいケンカをしましょう。
子どもとのトラブルを抱えた家族には「衛藤先生から、うちの息子に言って下さい!」または「先生の教室に行けばなんとかしてくれますか?」とか、「学校に行かないので、外国の学校に行かせればなんとかなりますかね?」と、いつも他人まかせで子どもと向き合うのを避けているご両親に出会います。
父親は「ヤツは言っても変わらない!」と、家族の前で苦虫を嚙みつぶすだけで、自分の子どもと向き合わない。
傷つくのが怖くて、恋人に自分で告白できない若者が増えてもいます。部屋の中でコミュニケーションした気になる人もいます。生きたリアルなコミュニケーションを避けたがる。ですから、カウンセリングやコミュニケーションも通信教育で学ぼうとします。
ある時、娘と電話をしていて、僕が電話を切る前に「わかった!」と、娘に先に電話を切られた事がありました。もう、中学生になっていたので、もう一度、僕は娘に電話をかけて「もしもし、今、パパよりも電話を先に切ったろ。悪気がない事は分かっているけど、大人になったら、お前が、いつか誰かに注意されるだろうから、今、パパが言っておくな。目上の先輩や上司、年輩者が切ってから電話を切りなさい。それが、マナーなんだ。分かったか、気をつけろよ」と、娘より先に電話を切ってあげました。
もちろん、面倒くさい父親です。わざわざ、電話をかけ直すなんて、と僕も思います。でも、愛しているから娘に向き合う(対決)のです。娘に嫌われたくなくて、猫なで声を出してストレスを与えなければ、愛される父親になることはたやすいことです。でも、愛しているから嫌われる事を覚悟で大切なことを伝えるのです。
それも愛です。愛は時には厳しさも必要とする時があります。目先の心地よさの関係ではなく、遠い未来の相手の心地よさのために厳しく向き合うのも教育の側面でもあります。
だから、向き合うことを恐れないで、清々しいケンカをしよう。
清々しいケンカを学びたければ、メンタルにコミュニケーションを学びに来て下さい。
そう、リアルな生きたコミュニケーションを…