消毒社会は失うこともある。
2019/04/21
僕は父親が怖かった、父の顔色を見ながら生活をしていた時期もありました。でも、そのsensitivityで敏感な性格は、人間関係に決して役に立たない訳ではありません。
カウンセリングをしていて「困ったさん」の多くは空気が読めないで、自分の事ばかりシャベリ過ぎる人だったり、親しくなると対人距離が近くなり過ぎて、周りから迷惑がられる人だったり、自分で失敗してもいいから、やりとげたいことが人にはあると気づかないで、お節介にも先回りしてパッパッパとこなしてしまい、相手に劣等感を感じさせ、さか恨みされてしまう人であったりします。
また、与えてもらうことが、当たり前になり、自分で何をしたいのか、何を言いたいのかを表現しないから、仲間からは、分かりにくい、付き合いにくいと敬遠されている人々も多く見られます。
これらは周囲の顔色に、逆に鈍感な性格でもあるのです。
ですから、僕のようにある時期に怖い人と過ごすことは、決して最悪だけではないのです。これを「フラストレーション・トレランス(欲求不満に耐えられる能力)」と呼びます。今、この能力の低下もたくさんの所で見られます。
授業をボイコットして先生の話を無視する学生。警察の検問にブチ切れ飛びかかる暴走族。上司に悪気なくタメ口で会話する新入社員。チョットした家族旅行で「めんど~っ」と座り込んでしまう子供たち・・・
今、暴力がテレビでは話題になっています。
暴力ときびしい指導は違います。無関心と愛情も違います。何より、暴力のパワーで、心からの変化は見られません。人が変化するのは、その指導者の魅力のパワーです。「つべこべ言わずにやれ!」ではなく「あの人の言うことなら」と、やりたくなるような人間性の魅力を持った指導者です。それは言葉のコミュニケーション能力なのです。
そのことを学ばないで、学校の先生たちが「生徒と熱く関わり過ぎて、パワハラで訴えられでもしたら困るから」と「事なかれ主義」の冷めた雰囲気が、学校にまん延するのではないかと一抹の不安を感じます。
また、生徒の中にも「あ!これってテレビで話題になっている熱血指導ですよね。パワハラ~ッ。訴えますよ!」と、チョットした注意にも、あげ足を取ってしまう生徒が増えると、より冷めきった先生達が増えるのではないかと心配になります。
消毒は、 英語でsterilizationで、sterile(ステリル)は、もともと不毛という意味を持っています。ステリルな土地は草木の生えない荒野を表し、ステリルな年とは、凶作を意味します。
何でも禁止、検閲、管理は、映倫を作り、映画をも切り刻み、黒くマジックで塗りつぶしました。先ごろ亡くなった大島 渚監督も、禁止は「文化を逆に、ゆがめてしまう」と語りました。
何でも完全に消毒する社会は、マイナスに振子が振ることも多いのです。消毒し過ぎると有益な微生物まで殺菌してしまいます。人間には、空気や水がかけがえのないものと同じように、バイ菌も、かけがえがない環境の一部であることがわかっています。敵もまた味方、毒もまた薬になるのです。
だから、ヨーロッパで起きた魔女狩りのように、熱い先生までが魔女として処刑される魔女裁判のようなことが学校の現場で起きないことを願います。