母親の愛は、呑み込む愛より見送る愛…
一人息子が3年前に結婚し、嫁の実家のすぐ側(近くのマンション)に住んでいます。今回2人目の子どもができて、手狭なので引っ越しすることになり、やはり嫁の実家側の中古マンションを買いたいという話が出ています。私は、同居するつもりはないですが、近くに住んで欲しいのです。でも息子夫婦は「家賃が高くて住めないから」という理由で、嫁の実家の近くに住みたいと言っています。たまに私が2人と会っても、嫁は私と親しくしようとはしません。私の一番の願いは、嫁ともっとオープンにつきあいたいということなのです。
この相談はよくいただく相談なのですが、この場合は相談者とお嫁さんが「勝ち負けの戦い」になっているなら、相談者の願う、お嫁さんとオープンな関係になるのは困難です。
この場合、まずは母親としては、息子さんとお嫁さんが出した結論には横槍を入れないことが鉄則です。
僕も長い間にいろんな家族を見て参りましたが、特に相談者のように、ひとり息子だと母親は無意識に自分の一部に同化しているケース(母子一体感)が多く見られます。やはりお嫁さんとの間に“私が”「息子を育てて来た」“私が”「息子を理解している」“私が”「息子が困った時に必要になるはず」と思いがちです。だから、オレオレ詐欺の犯罪被害に遭われた被害者の方々も、父親よりも母親のほうが圧倒的に多いのはそのせいです。
ですから、お嫁さんと無意識に、勝ち負けの戦いに陥ってしまいます。
ここで大切なことは、すべて若い夫婦が出した結論に、親たちが私見や異議を唱えると関係性は悪くなるばかりです。なぜなら親が何気なく放った言葉でも、若い夫婦にとっては、こうした親の干渉は重大な越権行為に感じ、その時は笑っていても、後で互いの間に微妙な空気が流れるからです。
話は変わりますが、天国にも地獄にも美味しい料理が並べられるそうです。そして長い箸が渡されます。天国では、その箸を使って、先ずは相手に食べさせるから、みんなが食べて満足を得られます。でも、地獄ではお互いに「自分が!自分が!」と一生懸命に長い箸で自分自身が食べようとするので、全員が永遠に空腹な状態を続けるのだそうです。
この例え話しにあるように、先ずは自分を勘定に入れずに「お前たちが決めたなら、それがいい」「息子はあなたにあげたようなものだから、そちらのご両親の側が安心だ」と、やせ我慢でも言ってあげれば、息子は救われ「そんな自分たちのワガママを優先させてくれる親」に対して心から感謝するでしょうし、お嫁さんも「そんな優しいことを、心から言ってくれる義母」を大切な存在と感じるのです。もちろん個人差はあります。だからといって、そこで嫌味一つでも親が言ってしまえば、将来に遺恨を残しかねません。
ですから自分の孤独(心の空腹)から息子の取り合いを始めると、結果はすべて願いとは逆になり、人生の終盤には「孤独な敗北者」になってしまいかねません。目先の淋しさよりも、将来の穏やかな日々が望まれます。
すると、その相談者は「腑に落ちました。一人息子なので、あえて離れて育ててきたつもりでしたが、嫁と無意識で息子の取り合いをしていたなんて、全く思ってもいませんでした」と…
そして、「この連休は言われたように、私は何も言わずに、息子夫婦と孫にとっての都合の良い時に行ける無料接待所のような状況でした。私の頭がしっかりしている間は、やせ我慢してみることにしました」と明るい報告がありました。
僕も相談者にお礼を伝えました。
ご自身を突き離して見つめ、新たな違う考えを受け入れて下さってありがとうございます。
愛は相手のことを、つまり息子の立場を考えてのやせ我慢です。今まさにやせ我慢ですね。我慢したほうが本当に息子を愛した母親なのだと思います。
一人の子どもを「自分の子だ!」と名乗る二人の女性が訴えてきました。ソロモン王は「その子を割いて、二つの身体に分け、それぞれの女に与えよ!」と裁きの場で言い放ちました。その時に、一方の女性が「子どもを割くのなら、あちらの母親に割かないまま(生きたまま)で、子どもを渡して下さい!」と泣いたのです。その母親にソロモンは優しく「そなたが本当の母親だな。その子をこの母に!」と、子どもを渡しました。有名なソロモン王のお話です。これは大岡越前の大岡裁きにも使われました。
寂しくても、悔しくても、無料接待所として笑っている親が、本当に息子を愛する親なのだと思います。その考えかたは頭でわかっていても普通は出来ません。あなたの為にと、自分の思いを子どもに飲ませようとするグレートマザーの鬼母が多いのです。でも、鬼母もやがては反省し鬼子母神という、子どもを守る神になりました。それが母の愛なのです。
あなたは息子さんを心から愛しているのですね。僕は感服いたしましたと…その進化した母親に頭が下がりました。