母からの伝言

      2019/04/21

 先日、僕の第二の故郷、大分県の別府ビーコンプラザで1200名入るフィルハーモニアホールで講演会がありました。

 

 

 九州北部豪雨の復興支援でもあるJAIFA主催の講演会でした。大分は、ひどい豪雨で家や道が流されました。それを応援する講演会でした。

 1ヶ月前だろうか、父親から電話が突然ありました。

 「大分で講演会があるそうじゃが、何故に言わぬのか?!」父に聴くところによると、生命保険の関係者から妹に情報が入り、それが父にもたらされたようです。

 僕の父は息子に電話などしない人でした。

 「便りがないのは元気な証拠だ!」と大笑いする父が、経営していた会社を、無事に退いた後は、近年、とても年老いた気がしていた…

 初めて父から電話があった時は「父に何かあったのか!」と驚きました。

 そんな不安がる息子に、父は「元気か?…用はない」と、ビックリして僕は「父さんこそ💦元気なの⁉」と、問い返したくらいでした。最近は気弱になるほど、父は仕事がすべての男でした。

 講演会が故郷で開催されたとしても、僕としては年間たくさんある講演や企業研修の一つです。だから「伝える、伝えない」と言う意図は僕にはありませんでした。

 だから、突然に父に問われ「こちらに講演会のチラシが来たのは、ここ数日だったから、父さんには僕からも伝えようとは思っていたんだ💦」と取り繕った💦

 


 

 当日、大分の会場のどこかに父と妹が来ていた。

 そこで、僕が幼い頃に、父親と離婚した母のことを話をしました。

 母はこの別府で喫茶店を営んでいた。その頃、バイトの若い子が、レジのお金を持ち逃げしたことがありました。母は頑としてお金を盗んだバイト青年を、警察には訴えることはしませんでした。

 周囲に強くうながされても、警察へ届けを出すことを断り続けたそうです…その話を母が亡くなった後に、人伝えで聴きました。

 母が届けなかったのは、

 「離れ離れになった息子も同じくらいの年齢、我が子が人様のものに、手を出しているかもしれない。もし、そんなことがあれば、誰かが息子を許して欲しいから」という理由だったそうです。

 「持ち出したあの子には、何か理由があったのだと思う。だから、あの子に、私はお金はあげようと思う」と、周囲には、そう言ってアルバイトの青年を守りぬいたそうだ。その青年の中に僕を投影していたのでしょう。

 僕が日本でも、アメリカでも、インディアンの地でも生活し、ステキな人びとにたくさん助けらました。「自分はラッキーだなぁ」と思っていたのだけれど、そうではないのではないかと近頃は思っています。

 それは母の子どもを思う、目には見えない「願い」が、息子にラッキーな日々を引き寄せたのではないか?と、今でも僕は信じていると講演会では語りました。

 

 

 今、「引き寄せ」という言葉が流行っています。

 自分自身に見返りがあり、幸せが降りそそぐことを多くの人は願います。でも、自分ではない誰かに「幸せが引き寄せ」られますように✨✨と、心から願うのは「親の愛」なのでしょう。

 自分が不幸なことに見舞われても、誰かにその分、幸せがもたらされることを願えるのは「神の領域」である、愛なのかもしれません。

 多くの宗教的解釈では「人生は苦しみの連続で、修行なのだ」「人は罪人です。(誰かがメダルを取れると、取れない選手がいる。誰かの恋が成就すると、その人が好きだった人は失恋する。合格の裏には、不合格が存在するのです)」誰にも迷惑をかけない人はいないと…」

 仏教でも、キリスト教でも似たような解釈があります。

 だから、人生とは「修行」で、苦しみがベースなのかもしれません。

 その学びの中で、ステキなこと、良い事が起き過ぎると、仏教ではお金をお布施し、幸せの、おすそ分けするのです。

 ですから、托鉢をしている、お坊さんのお鉢にお金を入れたとしても、募金のように「ありがとうございます」とは決して言いません。

 鈴をチリンと鳴らすだけです。

 それは、苦しみの修行の中にいるのに、良いことが続くと、病気やら家族の事故やら、自分自身の死やら、しわ寄せで、後で大変なことに突然に見舞われかもしれません。だから、幸せをおすそ分けするのです。

 幸せな時は、誰かに迷惑をかけているかもしれないから、わびるつもりで頭を下げてお金を差し出すのです。それがお布施なのです。だからお坊さんが鳴らす、鈴の音は「幸せのおすそ分けを引き受けましたよ」の印なのです。

 ですから、自分に不幸(地震、豪雨)がなかった人は、感謝して、不幸を引き受けてくれた地域の人に「やれることを。がんばろう!」それが、お布施のボランティア精神です。

 なので「ボランティアをやってあげている」と言う考えは誤っているのです。自分の不幸を引き受けてくれた人に、わびるつもりで「ボランティアをさせていただく」のが正解なのです。

 自分のぶんを引き受けてくれた人に、援助するのは当然の振る舞いかたです。たとえ、ボランティアの地に行けなくても、僕の母のように、離れている人のために祈る心も、最高のボランティア精神なのかもしれません。そんな話を講演会で話しました。

 そのように誰かのために不幸を背負っているのに、自分でない「他の人」を守ろうとする人に、僕は一番の「引き寄せ」は起こるのではないかと思います。

 だから、自分を傷つけた人にも「学ばせてもらったのだわ」と思える人には、新しい出逢いがおこります。

 誰かをずーっと呪っている人、人を恨んでいる人には、引き寄せは起こらないし、何よりも、いつか終わってしまう人生なのに、その大切な時間 を、イラだったまま時を過ごしているのは、自分の人生を傷つけているのです。

 母は、大人になった僕と再会してからも、いっさい父の悪口は言いませんでした。女性関係の多い父だったから、色んな思いもあったと思います。でも、それを一度も口に出さないで「あなた達をこんなに立派に育ててくれたのだから、お父さんには足を向けて眠れない」と、死ぬ直前まで、母は僕に語り続けていました。父と僕を結びつけていたのも母の愛だったのです。

 そんな母の言葉も講演会場の、どこかで聴いている父や妹に伝えられた気がします。

 

 

 母はガンでなくなりました。

 終末期に入った時、僕はどうしても母の願いを叶えてやりたいことがありました。

 彼女の願いは「娘に会いたい」でした。僕の妹は、父や祖母を気づかって、母親と再会することを拒否し続けました。妹にも妹なりの正義があったのです。

 母の病状を伝え、君が結婚して、子どもが出来たら、自分がどんな赤ちゃんで、どんな病気をしたのか知りたくなる時が来るのではないだろうか。だから、会ってみてはどうか?いつか後悔しないか?

 妹は信念をまげて「母に会っても良い」と言ってくれた時、僕はそれを病床の母に伝えました。

 ところが、あれだけ妹の再会を望み続けた母が「逢うのはやめましょう…」と僕に言ったのです。

 「どうして、あれだけ会いたがっていたじゃない?」と、うろたえる僕に「再会してあの娘に、いろいろしてあげられるなら、心から逢いたいの。でも、もうすぐ私は逝ってしまうのよ、すぐにまた「さよなら」なの。それは、あの娘をまた苦しめるだけじゃない…」

 「あなた達を家に残して家を出た、私は、あなたにも、あの娘にもツライ思いをさせたの。だから、もう二度と子供たちには悲しい思いをさせたくはないの。だから、あなたから、あの娘に伝えておくれ」

 「私は娘が生まれて幸せでした。あなたはよく笑う赤ちゃんでした、たくさんの幸せの瞬間を私にくれました。幼い時のあなたも、可愛くて手のかからない愛くるしい女の子でした。だから、きっと、あなたは大丈夫!きっと、幸せになれます。そして、こんな母に会いたいと言ってくれただけでも、私はとても幸せでした…ずーっと、あなたのことを愛しています。そして、これからも永遠に…」と。

 

 

 一緒にいることだけが愛ではない。誰かの幸せを思い続けることも、美しい愛の一形態なのだと教えられた瞬間でした。

 

 

 もし、母のエゴで会いたいと言ったのなら、母は会ったでしょう。でも、娘の心を考えての決断でした。

 そんな、母と父との関係で心理カウンセラーになり、父との葛藤などを講演会で話題にすることを「容認」してくれている、父を誇りに思えるとIメッセージで伝えることができました。

 今回、妹は3階席もあるホールの、どこかの場所から、聴いていたと思います。

 

 

 そう会場で、母の愛に包まれて…

 思い出に残る講演会でした。

 

 



 

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